「セスは語る」などの情報が降ろされた、1970年頃の世界人口はおよそ40億人でした。その当時においても、人類が解決すべき主要課題の1つに、「人口過剰問題」をたびたび取り上げています。

 

 人類はその対処法として、戦争もしくは感染症を用いようとしている、と指摘。しかしいずれにせよ、「死」をもって適正数まで減らすことで、他の動植物と共存を図らないと、人間という種は地球から見捨てられるとも‥ 。

 

 また「フレデリック・マイヤース」の著書では、火星の民は、出生率を抑えることで闘争心を抑制することに成功した。人口密度を低くし、食料危機にもうまく対処した。それは地球にとっても参考になるだろう、との記述があります。

 

 2024年現在、世界の人口は80億人を超えています。半世紀で倍増しているのです。環境面では、異常気象が常態化していますし、特に夏の暑さは私の子供時代とは質が違います。地震や洪水や山林火災が頻発しても、世界の人口に与える影響は軽微です。

 

 では、このまま100億人、120億人と増え続けても大丈夫なのでしょうか? 40億人の時点でも過剰と言われていたのに、そんなはずはないでしょう。何かおかしいと感じます。

 

      

 

 輪廻の体系である地球の3次元領域、つまりこの地上世界へと誕生する際には、霊的世界から魂が受肉する必要があります。性行為により受精したとしても、肝心の魂が受精卵と一体にならない場合は、自然流産になってしまいます。

 

 「胎内記憶をもつ子供たち」に書かれているように、白い服を着た神様のような存在に、母親の子宮の中へ入るよう背中をおされた。光のチューブを通ってお母さんのお腹に入ったという体験談が数多く見られます。出産は霊界側との合意事項です。

 

 近年の大幅な人口増加には、霊的世界も一枚噛んでいます。人口を抑制する必要があるなら、受精卵に宿る魂を減らせばよいのですから‥。にも拘らず、次から次へと魂を地上界へと送り込んでくる。輪廻には、地球の神々の審議会も絡んでいる重要案件であるとシルバーバーチも述べています。

 

 霊界、天界、神界という霊的世界においても、意見が割れているのでしょうか?人口抑制派と人口増加容認派とに。それなら80年前に降ろされた「日月神示」の、人口が3分の1に激減するという大峠の内容が、一向に現実化しないのも頷けます。

 

 では、人口増加容認派は、どんな存在なのでしょう? 大峠を推進する神々の権能を封じる力を持っています。現在の人間社会の在り様に対して、肯定的な見方をしている存在でしょう。

 

 科学技術は課題をクリアしています。たとえば排ガス規制で街の空気は、以前より浄化されています。イタイイタイ病なども工場排水を清浄にすることで克服しました。開発途上国には、先進国が陥った公害の発生しない技術を、無償供与する取り組みが為されています。

 

 社会システムも洗練されています。生まれつきの社会的弱者にはセーフティーネットが敷かれるようになりました。虐待を受けた児童には、保護や自立支援を後押しするNPOも存在しています。貧困家庭への給付金や食糧の支給やこども食堂なども行われています。

 

 ガザやウクライナのように、虐殺や戦争も確かにあります。しかし、人類全体で見ると意識が変容して、社会も女性の権利が尊重されるようになり、肯定的な意味で先進国では少子化が進んでいます。

 

 良くない面だけでなく、人類の良い面に注目すると、せっかく創り上げた文明を破壊して、原始的な時代からやり直しというのは、愚かしい選択だと思います。雑誌「岩戸開き14号」では、大峠のあとの世界について記述がありますが、私は大峠そのものが不発に終わると考えるようになりました。

 

 人口過剰ということなら、すでに大峠が起こって、人口が激減してないとおかしいのです。あちらの世界は、一枚岩なんかじゃないです。ワンネスの世界が、分離の世界の存在である神々を押しとどめているのでしょう。