週末追記87
おはようございます(‐^▽^‐)
ほうしゅんどうの西山です(。-人-。)イツモカンシャ
関東も梅雨入りしたとのこと![]()
いつもより2週間近く早めとありまして、
殆ど五月晴れの爽やかさを体感することなく、
少々損をしたような気持ちでありますσ(^_^;)
これからジメッとした季節が暫く続き、
明けるといよいよ夏でありますか![]()
ホント、
日本も夏と冬だけの二つの季節に
占められる日々が、
年を追うごとに増えていってると
感じるのは気のせいでありましょうか(^^ゞ
という週末の中、
お話を少々![]()
世の中を渡り歩いて、
正解を導き出すと言うことは
容易なことではありません。
何故ならば、
正解は自分の中にあるのではなく、
相手の中にあるからであります。
ですから、
自分が正しいと感じでも
相手がそれを正解としない限り、
世間では
そのことは間違いとなります。
甘めに採点してくれる人
辛口採点の人
無関心の人
自分が答えを求めた人の
心持ち一つで
自分の出した答えの運命は
決まります。
または採点の時期によっても
正しかったり
正しくなかったりの
判断されることもあります。
ですから、
今は素晴らしいと評価されている人であっても、
生前は全く評価に値しない
不正解のレッテルの中にいた方も
数多くいらっしゃいます。
その逆に、
その当時は大正解と思われた物事や人物も
今になってみたら
とんでもない不正解なものだった
と思われることも数多くあります。
つまり、
物事が正しかったかどうかを
今の人たちに求めたところで、
それが正解とは断定できない
ということであります。
その導き出された答えが正しいと
ある程度言えるのは、
私たちのいなくなった後で、
その当事者でない人に
検証してもらわねばならない
ということであります。
またそれも二転三転する
かもしれません。
何故ならば
正解は自身の心の内には
ないからであります。
そう考えますと、
物事に対して
一つ一つ正解を求めるということは、
いかに不毛なことかということであり、
そのことばかりを
皆が突き詰めれば突き詰めるほどに、
混沌とした深みにはまるばかりかと
いうことであります。
今与えられたこと
今向き合っていることに対して、
唯ひたすらに真摯に向き合い
日々を過ごしていく
与えられた生ある限り
一生懸命生きてみる
そうそれば正解は見つからずとも、
何某かの生きるためのヒントというものは
感じることが出来ると思います(^-^)/
寒くて首をすくめながら歩いても
ココロにはいつも太陽を![]()
みなさんにいつも
笑顔がそばにありますように(*^▽^*)
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