あなたの想いとコトバをこの世の光にする男 
井上祐宏であります!

今、世界で起こっていること…

今、日本で起こっていること…

このホームページを見ている方々の多くは、きっと…

「いったいこれはどうしたことか…
現実が映画を超えている…
リアルホラー映画が現在進行中だ…」

といった思いにこの数年間、幾度も襲われたことでしょう…。

このブログを執筆していることもあって、日々、様々な情報を探っています。

今日も何かこのブログでご紹介するに値する情報は無いかな…

そんな思いでYouTubeを見ていたら、下記の動画が目に入ってきました。

【切り抜き 特別番組】日本人はグローバリズムといかに戦うか?[桜R6/4/1]



及川幸久さんの見識には私は常々、一目置いておりました。

その彼が、第三次世界大戦は目前に迫っている、と語っている。

その理由も、十分ありうるものでした…。

そこから、

いったい私はどうするべきなのか…

何か手掛かりは無いか…

といろいろな情報を探っていて…

私にとって、知の巨大な情報源…

このパンデミックが始まってからの数年間の私に指針を提供してくれ、また心の支えにもなった

巨大情報サイト アルツハッカーに思いが向かいました。

そ・し・て…

この記事が目に入ったのです。

ブログの経緯 ― 脱中央集権・分散化社会に向けて 2023
投稿日:2023年10月19日 改定日:2023年12月9日

はじめに
サイト管理人のアルハカです。2006年に自身が希少難病に、続いて2009年には母が若年性アルツハイマー病と診断されました。以来、医学論文を読むことが日課となり2015年に世界初のアルツハイマー病逆転症例研究を見つけます。再利用医薬品とホリスティックなアプローチによって母の進行抑制を目の当たりにし、認知症には治療方法があるということを知ってもらうため、2017年、当サイトを開設しました。

コロナパンデミックにおいても、大量の医療論文を読み続け、多くの関連情報を発信してきました。mRNAワクチン技術開発者であるマローン博士、イベルメクチン治療を訴えたFLCCCのコリー博士、COVID-19早期治療基金を運営するスティーブ・カーシュ氏、世界初のCOVID早期治療査読論文を発表したマッカロー博士、WCHのテス博士、大衆形成のデスメット博士など、多くのCOVIDヒーローを日本で最初に紹介できたことは密かな誇りです。

情報収集と配信
初めて訪れた方には、非主流の科学(特に医療)に関する内容も多分に含まれるため、サイトの信頼性に疑問を感じる方もいるかもしれません。この手の誤解を説くことのできる論拠はあまり余るほどサイトに載せていますが、「科学とは何か」という問いから始まり、還元主義、実証主義、企業科学、EBMなど、思想的背景や多くの社会的、技術的問題が込み入っており、見かけ以上に簡単に答えられないことにストレスを感じることもあります。

私が試みていることは、該当分野の査読論文と専門書を大量に読み、疑似科学やフェイクニュース、陰謀論と呼ばれるものがどこまで実証的に考察できることが可能なのか?と問いながら探求することにあります。その上で、得られた情報の信頼度を基に、一般的な記事や専門家の意見も参照し、複数の仮説に確率を割り当て、反復検証を行い現実的、妥当な解を見つけ出そうとしています。

一流の知性のテストは、二つの相反する考えを同時に心に抱き、なおかつ機能する能力を保持することである

-F・スコット・フィッツジェラルド The Crack-Up (1936)

ブログやソーシャルメディアにおいては、事実関係を淡々と紹介し、自らの意見は控えるか、あるいは示唆する程度に留め、受け取り方は読者に委ねています。言い換えれば、このブログの主なテーマは「読者に信任されること」でもなければ、「真実はここにあり!」でもありません。むしろ、市民が普段接する機会が失われていると考えられる重要な仮説的情報へのアクセスを容易にし、読者が読み、考え、議論し、自らの判断を下すための触媒となることを目的としています。

世界情勢の混乱を反映してカオスと化した感のあるブログですが^^;、このアプローチが成功していれば、それはこのブログの価値を形作るものです。

そのようにして、当初は明らかに異端視されていた(今でも?)イベルメクチンやヒドロキシクロロキンはじめとする再利用医薬品(オフラベル医薬品)に関する有効性、早期治療、ワクチンに関する情報共有を行い、奇妙な運命ながら、、ウクライナ-ロシア戦争、最近ではイスラエル-パレスチナ紛争など、新たな役割を意識する機会にもなりました。


この冒頭の部分を読んで、これは、読み進めねば!と思いました。

アルツハッカーさんとはもちろん面識はありませんが、彼が自分の母の認知症改善をテーマにしてこのサイトを始めたことくらいは知っていました。

しかし、この数年間で、認知症の問題をはるかに超えて、パンデミックについての途轍もなく膨大な情報サイトに進化していった経緯について、彼が綴っていたのこの記事の存在を今日まで知りませんでした。

そして読み進めていきましたが、とてつもない情報量に、とても読み込むことなど、頭の弱い私には不可能!

しかしざらっと流し読みしただけでも、極めて啓発されるものがありした。

この記事の中でいくつか、印象的な部分をご紹介しましょう。

「もし私が、あなたを傷つけるかもしれない効果のないワクチンを強制的に摂取させたとしたら、私は決してそれを認めることはできない。 認めるわけにはいかない。もし認めてしまったら、私はその結果に苦しむことになるからだ」

– タッカー・カールソン

重要なのは、全体として、この公衆衛生緊急事態が、事実上、国際的な軍事作戦を隠す口実として利用されていることです。-サーシャ・ラティポワ

決して絶望してはならないが、もし絶望するのであれば、絶望の中で努力しなさい  – Edmund Burke

判断に役立つかもしれないポイントを3つに絞ります。

情報発信者の「利害関係」に注意し、
独立した「複数」の情報源を利用し、
最後の砦は「人間の直感」です。
人の常識や倫理的直感にはバイアスがあり、小利口な人々によって嘲笑されることもしばしばあります。しかし、今ほど、その倫理的直感を必要としている時はありません。


膨大な論考の最後に、アルツハッカーさんが紹介してくれたのがこの人でした。



上記投稿内容を転載します。

スタニスラフ・ペトロフ:世界を救った男

1983年9月26日、世界は潜在的な核災害から救われた。

早朝、ソ連の早期警戒システムがアメリカからのミサイル攻撃を探知した。コンピューターは数発のミサイルが発射されたことを示唆した。ソ連軍の手順としては、核攻撃による報復を行うはずだった。

しかし、スタニスラフ・ペトロフ当直士官(敵のミサイル発射を登録するのが仕事だった)は上官に報告せず、誤報として処理した。

これは彼の指示違反であり、職務怠慢である。

彼の仕事は、ミサイル攻撃を登録し、ソ連の軍部と政治指導部に報告することだった。1983年の政治情勢では、報復攻撃はほぼ確実だっただろう。

「サイレンが鳴り響いたが、私はただそこに数秒間座って、『発射』と書かれた逆光の大きな赤いスクリーンを見つめていました」と彼は言う。

システムはそのアラートの信頼度を「最高」と伝えていた。間違いない。アメリカはミサイルを発射したのだ。

「1分後、再びサイレンが鳴りました。2発目のミサイルが発射。そして3発目、4発目、5発目。コンピューターはアラートを 『発射』から『ミサイル攻撃 』に変えました」と彼は言う。

ペトロフ氏はロシアの安煙草を吸いながら、頭の中で数え切れないほど繰り返したに違いない事件を語る。

「空爆を報告する前に、どれだけの時間考えることが許されるかというルールはありませんでした。しかし、先延ばしにすればするほど、貴重な時間を奪うことになります。ソ連の軍と政治の指導部には、遅滞なく報告する必要があります」

「でも、動けませんでした。熱いフライパンの上に座っているような気分でした」

ソ連の議定書では、核攻撃には自国の核攻撃で対応することになっている。

警戒態勢の本質は明白に思われたが、ペトロフ氏は疑念を抱いていた。

ソ連には、彼のようなIT専門家のほかに、アメリカのミサイル部隊を監視する専門家がいた。衛星レーダーのオペレーターたちは、ミサイルを探知していないと彼に言った。

しかし、その人たちはサポートサービスに過ぎなかった。プロトコルには、コンピュータの読み取りに基づいて判断しなければならないとはっきりと書かれていた。そしてその決定は、当直士官である彼に委ねられていた。

しかし、彼が不審に思ったのは、その警告がいかに強く明確であったかということだ。

ペトロフ氏はソ連軍司令部の当直将校に電話し、システムの不具合を報告した。

もし彼が間違っていたら、最初の核爆発はその数分後に起こっていただろう。

※この誤報は後に、高い雲に太陽が反射したのをミサイル発射と勘違いした衛星の誤作動によるものと判明した。

ペトロフは報われなかった。それどころか、勤務日誌を正しく記入しなかったとして譴責処分を受け、翌年には退役した。

30年経った今、ペトロフ氏は確率は五分五分だったと考えている。ペトロフ氏は、この警報が偽のものであったという確証はなかったと言う。

彼は、チーム内で民間教育を受けた唯一の将校だったと言う。 「私の同僚はみなプロの兵士で、命令を下して従うように教えられていました」と彼は語った。

だから、もし他の誰かがシフトに入っていたら、警報が鳴っていただろうと彼は考えている。

彼は10年間沈黙を守った。当時、彼の指揮官はペトロフを支持していなかったが、1991年のソ連崩壊後に事件を明らかにした。

しかし、その役柄のおかげで祖国での名声はほとんど得られなかった。彼はモスクワ郊外のフリャジーノにある手つかずの小さなアパートに住み続けた。ロシア政府機関からは、彼の死に関する公式な報告や声明は発表されていない。

彼は自分をヒーローだとは思っていない。

「それが私の仕事でした。でも、あの夜のシフトが私だったのは幸運でした」

写真:2015年8月27日 ロシア・モスクワ地方フリアジーノの自宅で記念撮影に応じる元ソ連のミサイル防衛軍将校スタニスラフ・ペトロフ(2017年に77歳で死去)


第三次世界大戦が計画されている!との及川さんの言葉から始まった私の数時間にわたる旅は、奇しくも、それをリアルに食い止めた人物との遭遇へと導かれたのです。

合掌
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