その時自分が感じたことをそのまま伝えている
たぶん、いや、おそらく
ごめんなさい
不器用で

「普通の女の子の生活がしたい」、それがももクロを辞める理由としての有安杏果が発言したのを聞いて、「えっ?!」と思ったのは僕だけでないはずだ。ソロアーティストとしてやっていける大きな自信をつけた、武道館であれだけ魂のライブを成功裏に終えてわずか3か月しか経っていない。どう考えてもアイドルを辞めてソロアーティストをやりたいから辞めると思うのが普通だ。でも、ちがう普通の女の子の生活がしたいんだと。それは、生まれた時から子役として、アイドルとして、ずっと芸能人として活躍した彼女が、スケジュールがぎっしり詰まった生活から解放され、なにも予定がなく、自分の好きなことを出来るそういう環境に身を置きたいとのことらしい。それはちょっと普通の女の子の生活とは違う。いや、仕事や家事もなんの予定もなくて好きなことをするっていうのはとても贅沢なことだ。事務所との契約もしくは芸能界の暗黙のルールに従って、事務所を辞めた後一定期間芸能活動をしてはいけないことがその裏にはあるのだろうか、負けず嫌いの性格からだろうか、それを事務所から押し付けられたのでなく、まるでその決定が自分の意思に基づいたものであると自分や周りを説得させるため、そう表現したのかもしれない。また、アイドルグループの一員としての世間の目や制約を気にせずに普通の女の子として、自由に恋愛したいという意味があったのかもしれない。しばらくゆっくり充電した上でアーティスト活動を再開したいと単純に言えば良からぬ誤解を防げていたかもしれない。しかし、彼女は敢えて自分の気持ちを正直に表すために「普通の女の子の生活がしたい」と表現した。その言葉が独り歩きして誤解を産みやすくとも。

フライデーに恋愛相手と激写された。その直後、自ら手書きで、お付き合いしている方が「医師としてこれまで親身にサポートをして頂いてる方」と表現してる。おそらく、これまで彼が医師として本当に親身になってサポートしてくれたからこそ、彼女は感謝の意味も込めて、素直にこうした表現になったのだろう。自分の気持ちに正直だ。たぶん、いや、おそらく。この表現がどういう問題を孕んでいるかおそらく認識していなかったのではないかとも思う。フライデーの記事も彼がかなり年上の精神科医であることを書いているから、いずれ知れ渡る事実であるが、医師として親身にサポートしているという表現は多いに誤解を産むし、問題になる。その後雑誌のインタビューやラジオで、彼を庇うような形で、精神病の疾患を患い精神病の治療を受けたことでないことを説明している。ただ、誤解を解こうという気持ちは解るし批判する訳でないが、それが例え精神病の治療を受けた形でなく、コンサート前にパニックや緊張して泣いたりするのを防ぐためのカウンセリングやアドバイス等を行うだけだったとしても、精神科医と患者と原則同じ関係だ。少なくとも米国の法律上はまったく同じ扱いであり、セラピストもしくはカウンセラーがクライアントとの間で、それ以外の関係を持つこと、すなわち多重関係になることは法律上禁止されている(詳細は、小職の前ブログを参照ください)。セラピストやカウンセラーは、クライアントと信頼関係を形成する必要がある。他の人には中々言えないことや悩み等を心の内を打ち明けて貰うなどして、信頼関係を形成していく。しかし、それはクライアントのためであり、自己の利益のために使ってはいけない。そうして信頼関係ができ、アドバイスして貰っている内に、彼女がソロアーティストとして独立したいことも相談していく仲になることも容易に想像できる。どこに敵がいるか分からない芸能界、下手な相談してつぶされる危険がある。年齢的にいろいろな社会経験をしていて、職業的にも厳格な守秘義務を負う彼が頼りになる相談相手になったのであろう。だから彼女にとっては、自然な形でお付き合いが始まったのであろうと思う。彼女を全く批判するつもりはない。ただ、彼には自分の立場や社会的責任を感じての行動をして欲しいと切に思う。

2月に僕がブログを書いた時点では起きていなかった大きな事実が2つある。一つ目は有安杏果が復活コンサート、サクライブを見事成功させた事。二つ目はラジオの生放送でその元気な声を聴けたことだ。この2つの事実を持って彼女が今非常に充実して、幸せであることが実感できた。だからこそ、彼には彼女をしっかり守って頂き、有安杏果が素晴らしいアーティストとして今後も活躍できるようにしてサポートして貰いたい。彼が全身全霊を持ってそうして欲しいと心から切に願う。

サクライブ、チケット残念ながら当選しなかった。でも、丁度その週末出張が重なり日本にいた。有難い事に感想戦へのお誘いを頂き、そこで有安さんの手書きの銀テープを頂いたり、ライブの感想を伺え、その雰囲気を味わえたことはとても楽しく、「有安杏果お帰り!!」との気持ちとこれからの彼女の活躍がとても楽しみになった。でも、一番嬉しかったのは、その前に会場推しに行き、そこで遭遇した方との会場推しの飲み会だった。そこには有安推しではない、他のメンバーを推しているモノノフの方が多くいた。チケットもないのに、自分の推しでもないのに、有安杏果のソロデビューの会場までわざわざ来てくれている。そんなモノノフが彼女の復活を祝して集まってくれる。こんな愛に溢れるファンがいるだろうか?!なんて優しいんだ。ももクロやモノノフの魅力は、この優しさと愛があるからなんだ。その深い愛に育まれて、ソロデビューできるまでに育った今の有安杏果があるんだ。もうそれ思うだけで胸が一杯になった。本当モノノフって本当素晴らしい。その時、自分がなぜ、ももクロに魅せられているのか新たに教えられた気がした。ツイッター等では彼女に対する批判等が多くあり、ファンとしては心痛め、見えない虹む涙を流していた一人としては、こうした緑推しでないモノノフが有安杏果のために集まってくれることは心の底から嬉しかった。

有安杏果はソロとして独立した。しかし、ソロとしての活動の場はまだまだ限られている。個人事務所としての人脈は有安自身以外のものはなく、またフライデーの報道などありイメージが損なわれていて、新しいアルバムも発表していない。こうした環境で、ソロアーティストして新しくファンを獲得するのは容易でない。

サクライブで発表されて、ラジオで生放送で演奏された新曲「虹む涙」を聴いた。正確には何度も何度も繰り返し聴きまくっている。正直、ここ数か月有安を巡ってツイッターで色々批判されたり、批判を批判するファンがいた。僕も一有安ファンとしても、たぶん、いや、おそらく、不器用なのだろう、いろいろ引っかかることがあり楽しめなくなっていた。でも、そんな悩みをこの「虹む涙」が一気に吹っ飛ばした。彼女の低いつぶやくような歌声が、心の奥底にすっと入り込み、僕の琴線に触れる。誤解を恐れずに言うと、決して彼女は歌がとびっきりうまい訳でない。彼女より歌が上手い歌手は一杯いる。でも、彼女のような独特の魅力を持っている歌手はあまりいない。音程も微妙にズレたり、しなかったりと歌声が少しぶれることもある、でもそこも含めて、なにか凄く魅力的なのだ。なにか分からないけど。彼女の歌声に魂を共鳴させる力があるのだ。この「虹む涙」のシンプルなメロディー、とても心地よい。さらに歌詞も彼女の今の気持ちを不器用なまでにストレートに表している。

「飛ばしすぎたら疲れちゃうから」との始まりの歌詞は、ももクロの「あんた飛ばしすぎ」を暗に示し、「小走りに」自分のペースで活動できるソロが自分に合ってると。多くのアーティストでひしめき合い一杯の「満員電車」である芸能界に復帰し乗った途端に、フライデーなどによって自分の「新しい靴が汚れて」しまって、「ため息ぐらい出ちゃう」と。窓に映る自分に目を逸らしたのは、ある一種の自己嫌悪を感じて落ち込みながらも、ふとしたことで見つけた花がきれいで幸せを感じる。自分が選んだ道だから、笑われようが批判されようが、自分らしく生きていくとの決意表明し、それを応援してくれるファンを温かく見守ってくれる空に、一緒に涙でできた海の上に美しい虹を描こうと。それがまるで、「小さな海に色とりどりの明かり」のように輝いている。

この曲は、最後の「小さな海に色とりどりの明かり」がすべてだ。そこに想いが凝縮されている。少なくとも僕にとっては。杏果が歌うこのフレーズを聴くと、なにかがすぅーと抜け、心がさあっと明るくなり、何故か目の前が虹む。まるで長く続いた曇り空から、優しい太陽の光を見つけた時のような、なにか温かい安心感を感じる。

大好きな曲だ。いつか生で聴きたい。いつか。。

でも残念ながら仕事がごたごたしていて、今年はいつ日本に帰国できるのかわからない状態だ。だから、ZEPPツアーいけるかどうか分からない。いけない可能性の方が高い。でも、彼女はきっとずっと歌い続けてくれるだろう。そのためには是非とも、ZEPPツアーが成功して欲しい。そのために、これまで彼女を支えてくれたファン、モノノフの支えが今まで以上に必要だ。

モノノフの方々、有安のHOP STEP ZEPPツアーに是非是非参戦してください!!!

 

ヒューストンノフ 

5月3日