トマセロによると、物語は、過去の経験や、他者の視点、社会的なルールを共有し、集団での共同活動を円滑にするためのツールだそうだ。人間が共有意図性を元に協力関係を結ぶことで適応したのと表裏一体である。物語には他者の視点があり、様々な登場人物や状況が織りなす原因と結果が連続し、これらが読者たちに共有される。そして主観・客観、因果関係といった認識形式の土台をなす。

 そう考えると、集まって暮らす空間にも物語形式が埋め込まれている、としてもおかしくない。通路一つをとっても、すれ違いには他者の視点が入っている。相手がどちらに足を踏み出すかを推測して、自分の踏み出す方向を選択して衝突を避ける。こうしたすれ違いが暗黙のルールになっている。その通路の脇に溜まり場があれば、他者の通行の妨げにならずに、ちょっとした立ち話もできる。こうしたコミュニケーションがお互いの状況や考え方を何かのときの協力の土台になる。車の入らない小径や小広場は子どもたちの遊び場で、傍らで寛ぐ大人たちは何気なく見守ることになる。子どもたちはそこで遊びのルールを工夫し、公平に楽しむ。道に面した玄関引き戸ガラスは在宅のサインで、ふらっと近所の知り合いが訪れ、上がり框に腰掛けて茶飲み話をする。

 このような空間要素が、集団で暮らす上で大切な協力関係を育む。登場人物が多彩でそれぞれに関係が深い環境で、様々な出来事が起こる。子どもが迷子になったが、周りがその姿を見ていて、行く方を辿っていくと栗の木の下で見つかった。親子で意見が衝突したが、近所の知り合いとそれとなく雑談しているうちに、わだかまりも少し解消された。進路に悩んでいると、近所の馴染みの店でいろいろ紹介してもらって、道筋が見えてきた。このようなエピソードが重なって自分の物語も紡がれる。自慢話は敬遠されるにしても、そんな一人一人の物語が周りで共有され、教訓や規範にも反映される。人が人であるのは、このような場で積み重ねられて共有されたエピソードがあるからだとも思われる。