アパルトヘイト時代の政治犯罪に対し、マンデラが設置した真実和解委員会は、過去の責任を明確にして記録することを目的とした。その特徴は

  • 遺族に自分の思いを述べる機会を与え、その被害を証言してもらう
  • 加害者にもその犯罪行為の証言を求め、真実が語られれば恩赦を与える
  • 白人の差別主義者のみならず、解放運動の暴力事件にも適用した
  • 犯罪行為を殺人と拷問、被害者を政治活動家に限定した
ことが挙げられる。制度における偉大なイノベーションだと思う。

 従来の刑事司法手続は応報的司法と呼ばれ、個人の犯罪意思や犯罪行為、因果関係を追及し、その報いとして国家が刑罰を与える仕組みである。裁判の過程では、原告・被告が其々自分に有利なように証拠や因果関係を主張し合うのだが、それはお互いに全ての真実を明らかにする過程とは異なる。また刑罰を科したところで、本人に蓄積された心理的外傷が修復されたり、被害者やその関係者に謝罪や賠償がされる訳でもない。

 これに対して修復的司法は、犯罪を社会的現象として捉え、加害者、被害者、関係者といった当事者が直接に参画し、事件によって引き起こされた問題を解消し、この社会での再発を防ごうとする手続きである。医療過誤事件も応報的司法で双方争うよりも、真実を明らかにして再発を予防し、速やかに和解する方が双方に望ましいとも思われる。

 真実和解委員会は、この修復的司法をアパルトヘイトという国家社会体制に用いた偉大な見本だと考えられている。復讐ではなく理解を、報復ではなく補償を、という理念で、南アフリカのさらなる分断を避ける取り組みであった。この思想的土台にはウブントゥ、我々あり故に我あり、という人間性は共同性によってもたらされるという概念がある。犯罪を個人の意思と行為に還元し刑罰を与える、という西欧の個人性の発想とは対照的である。

 そう思うと、日本政府の「慰安婦問題を含め、日韓間の財産・請求権の問題は、1965年の日韓請求権・経済協力協定で『完全かつ最終的に解決』」済みです。」という姿勢は、修復的司法としていかがなものだろうか? 慰安婦問題、強制労働問題、関東大震災朝鮮人虐殺事件、東学農民運動や反日義兵運動、三一独立運動への残虐行為を始め、日本の植民地主義の国家犯罪について、南アフリカに倣って真実和解委員会を設置・運営する必要があるのではないだろうか? 真実を明らかにして理解を共有し、過ちを繰り返させないために。