このタイトルは、政治的な原因で人々が虐げられているニュースに接すると、何故か必ず観たくなってしまう。
プーチン政権下のロシアによるウクライナ侵攻の報せを聞き、また観返す羽目になった。
ミャンマーの軍事クーデターの後、香港の中国による強制併合の時にも観た。
政治によって、個人の自由や権利が無惨に踏みにじられる光景を目にすると、矢も盾もたまらず観返さずにいられない、そんな魅力に満ちた名作である。
「スミス都へ行く」(原題: Mr. Smith Goes to Washington)は、1939年コロンビア ピクチャーズ製作。フランク・キャプラ監督、ジェームズ・ステュアート主演のアメリカ映画。
実に83年前の作品だというのに、何度観返したか知れない。
死ぬまでに、何度観返すことになるのやら。
これを観返したいと思わずにすむ世の中になってほしいが、コメディと捉えて楽しんでいる方もいるようで、映画の観方はいろいろなのだなあと思う。
確かにポリティカルコメディの要素はあるけれど、私はまるで笑えなかった。初めて観た時は何とも泣けてきてしまい、こんな映画が作れるアメリカは本当にいい国だと心底思った。
現在は年齢のせいもあってか、そこまでのめり込んで観ることはなくなったが、それでも、古き良きアメリカの栄光といったものを感じないではいられない。
この映画に関するエピソードとして有名なものに、山田洋次監督に対して新劇俳優の宇野重吉氏が語った言葉というのがある。
宇野重吉氏。
若い方は知らないだろうし、私も世代的に「寺尾聰のお父上」という程度の認識しかないが、これが日本で公開された1941年は、暮れの真珠湾攻撃によって太平洋戦争の火蓋が切って落とされ、「スミス都へ行く」は、戦前に公開された最後の外国映画になったという。
…一つ今の話を聞いてて思い出した昔話をしますけれども、寅さんの「夕焼け小焼け」貴方見たって言ったね、あれに宇野重吉さんという俳優が出ているでしょ、あの画家に、絵描きさんになってね…あの人は戦後の日本の新劇界の大変なリーダーで、大変に大きな仕事をした人なんだけれども、大巨匠なんだけれども、あの人があの映画に出演した後で、僕とたまたま食事をする機会があって、彼がしみじみと僕に言うのね。
僕はたぶんその頃日本の映画界もだんだん落ち目になって来て、そんな愚痴をこぼしたのかな…。
あの宇野さんがね、あの人が、戦争中新劇運動なんて政府にめちゃくちゃに弾圧されちゃって、何度もあの人達は治安維持法で逮捕されたりなんかして、ひどい目にあっていた。
そして食うや食わずになっていた。
そして、「まもなく徴兵が来るだろう、そしたら俺は戦争に行かなければならないのだろう。そんな絶望の日々、俺は死のうと思った」というのね。
まあ、青年ってそういう衝動にかられることはしょっちゅうあるわね。
そういう暗い時代にあった志の高い宇野青年としては、「死のうと思った、まじめに思ったんですよ」と言うの。
で、「下宿を整理して、渋谷の町に出て、繁華街を見納めのつもりで歩いていたら、映画をやっている。そんなかに『スミス氏都へ行く』、監督はフランク・キャぺラという映画があって、なんかね、見たくなって、いやどうせ死ぬんだけれど、その前にこの映画を見ようと思った」と言うのね。
「キャぺラの映画見て…」、皆さん是非この映画見て欲しいんだけれど、フランク・キャペラの代表的な映画で、つまり、アメリカの民主主義というものを、本当に心から謳歌しているっていうかな、民主主義の精神を歌い上げた、まあキャペラの名作で、アメリカの映画史の中でも、大変高い位置を持っているものなんだけれど、「この『スミス氏都へ行く』を見終わった後で、私はね、あ、まだ死ぬことはない、生きていこうと、この世の中は生きるに足るんだと、なんとかなるんだと思ってね、死ぬのを止めましたよ」というのよね。「だから山田さんね、映画って言うのはね、この遠く海を隔てた、地球の裏っ側に住んでいる一人のアジアの東洋の若者を絶望から救うどころか、命をつなぎとめるだけの力を持っているんですよ。そのためだけでも、この映画は、キャペラの映画は作られるだけの意味があったんだと思っています。だから、あなたは、山田さん、映画を作ることに絶望してはいけません」と、「一生懸命作ってくださいよ」と彼が僕に言ったこと、一生忘れまいと思ったもんですけどね。映画っていうのは、そういう気高い力まで持っているのだということですよね。
大変いい話だと思うけれども、すべての映画がそうとは限らないから、観客は自身の価値基準によって、選び、評価する。
それでいいと思う。
確かに最大の娯楽であった当時に比べれば映画の影響力は落ちているかも知れないが、現在でも、充分人の心を動かして、行動に駆立てることの出来る、数少ない文化の一つだと思う。
ストーリー
とある州の上院議員が急死した。
その州を牛耳る新聞社を経営するジム・テイラー(エドワード・アーノルド)は、子飼いの州知事や政治家を使って大規模な不正を行っていた。土地を二束三文で買占め、そこへ政府のダムを誘致して、莫大な利益を得ようという企てである。
ダムの誘致を成功させるためにも、早急に新しい上院議員を選出する必要がある。
しかし、その議員は確実にテイラー派に引き込める人材でなくてはならず、後継者選びは難航した。
悩んだ州知事は、息子達が強く推すボーイスカウトの団長、若きジェファーソン・スミス(ジェームズ・ステュアート)を推薦する。
スミスは子供たちから絶大な人気があり、その親からの票が見込めることと、理想は高いが政治に無知で頭も悪く、テイラーの傀儡にしやすいというのがその理由であった。
スミスは上院議員に選出され、合衆国の都ワシントンで議員の生活をはじめることになる。
出発の日、スミスはもう一人の州選出議員、ペイン上院議員(クロード・レインズ)とともに列車に乗り込んだ。
偶然にもスミスの父親クレイトンとペインは志を同じくする親友であった。
かつてクレイトンはジャーナリスト、ペインは弁護士として巨悪と戦っていたのである。
クレイトンは一人で巨大な組織を敵に回して勇敢に戦ったが、さんざん嫌がらせを受けた挙句、殺されてしまった。
「個人が、組織と戦って勝つことは不可能なのか」と問うスミスに、ペインは即答する。
「不可能だ」と。
ワシントンに到着したスミスであったが、若く純朴で、世間知らずの田舎者が上院議員になったのを世間が放っておくはずもなく、メディアはスミスについて面白おかしく書き立てて、すっかり笑いものにしてしまった。
激怒したスミスは、蛮勇を奮って貶した記者たちの集う酒場へ殴り込むが、政治の汚さ醜さを熟知する記者たちから無能の傀儡呼ばわりされ、完膚なきまでに論破されてしまう。
政治家らしい仕事をするにはどうすべきかと悩んだスミスは、ペインに助言を求める。
内心おとなしくしていてほしいペインは、そのように説得するのだが、ついにスミスの熱意に根負けし、少年のためのキャンプ場を建設する法案を作ってはどうかと助言する。
子供好きなスミスはさっそく仕事にとりかかった。
はじめはスミスを田舎者の能なしと馬鹿にしていた女性秘書のサンダース(ジーン・アーサー)も、彼の熱意に次第に感化され、法案の作成に尽力する。
ある日、議場のスミスは突然立ち上がり、田舎者丸出しの大音声で「議長!法案を提出します!」と叫んだ。
議場は失笑に包まれる。
記者達同様、議員達もスミスを能無しの傀儡と見下していた。
スミスは、そんな彼らを納得させようと懸命に法案を読み上げるが、ただただ笑いものになるだけであった。
「このキャンプ場はウィレット川のテリー渓谷に位置し……」
それを聞いた途端、ペインは血相を変えた。
スミスがキャンプ場を作ろうと提案した土地こそ、テイラーがダム建設のため買占めようとしていた土地なのであった。
スミスの法案が可決されたら、せっかくの計画も水泡に帰してしまう。
首尾よく初めての法案を提出したスミスだが、取り巻く環境は一変してしまった。
父と同じ正義の士として尊敬していたはずのペインは、とっくに悪に屈服して、テイラーの不正に手を貸していた。
ペインとテイラーはどうにかしてスミスの法案を撤回させるべく、権謀術数の限りを尽くす。
そして、サンダースからヒントを与えられたスミスは、ついにダムの不正に気付いてしまう。
ペインがテイラーとつるんでいることにも。
テイラーとペインは、スミスに対し脅迫まがいの説得を行い、ダムの不正に目をつぶること、法案を撤回することを要求する。
スミスはペインがすでに悪に与していたことにショックを受けるものの、法案の撤回には断固として応じなかった。
すると、翌日の議会で思いもよらぬ事態が起こる。
ペインが冤罪をでっち上げてスミスを告発したのである。
スミスはキャンプ場予定地に私有地を持っており、法案は彼自身に利益誘導をするためのものだという。
議会は重鎮であるペインを信じ、その要求に応じてスミスの疑惑に関する公聴会が開かれた。
公聴会では、テイラー一派によるスミスが不正を働いたとする証拠、証人が次々に提出され、スミスは為す術なく追いつめられてゆく。
ついにはペイン自身までが証人台に立ち、嘘八百を並べ立てた。
これがとどめとなり、政治の不条理に絶望したスミスは、せっかく与えられた反論の機会をも放棄し、無言で公聴会を後にするのであった。
もはやスミスが不正を働いたと信じない者はなかった。
しかし、秘書のサンダースは、リンカーン記念碑の近くで泣いているスミスを見つけると、絶望せずにテイラーやペイン――巨悪と戦うよう叱咤激励する。
そして、そのサンダースから逆転の秘策を授けられたスミスは、一度は逃げ出そうとした議場へと再び舞い戻るのであった。
翌日の議会において、スミスの追放が満場一致で可決されるはずであったが、固い決意を胸に議場へ現れたスミスは、議長に発言を求めた。
追放されるのは決定的なのに、いったい何を言おうというのか。
傍聴人の後押しもあって、議長はスミスに発言を許した。
議員達の間に再び失笑が広がる。
しかし、ペインはスミスの表情から何かを感じ取り、横槍を入れようと立ち上がる。
スミスは一歩も譲らず、断固としてこう言い放った。
「わたしは昨夜、ある人から教えを受けましてね。議会では他人に発言を譲る必要はないと知りました。つまり好きなだけ話せるのです」
『いかなる上院議員も、他の議員の討論をその議員の同意無しには中断させることができない』。
スミスはこの上院の規定を利用して腐敗した議会を乗っ取り、テイラーの不正を全国民に暴露しようと考えたのであった。
スミス上院議員一世一代の演説が始まる!
山田監督も語っているように、これはアメリカの民主主義が最も輝いていた時代の映画で、その精神が主人公の言葉を借りて存分に語られている。
「素晴らしき哉、人生」にせよ、「オペラハット」にせよ、「群衆」にせよ、フランク・キャプラという監督が人々に注ぐ眼差しには、いつも性善説を信じ、貧しい者を優しく見つめる温かさが溢れている。
古くはO・ヘンリーの短編小説などにも通底する当時の合衆国に充ちていたある種国民の自信であり、この国はまだまだ良くなるという未来を信じる人々の心の表れでもあったように思う。
だから、現在の我々の立ち位置から見ると、極めて楽観的で、厳しい現実から目を逸らしているハリボテの正義に映りかねない。
例えば「進撃の巨人」のように、「現実は残酷なもの」という主張を容赦なく突きつけてくる作品の方が、説得力をもって響いたりする。
だが、それはやはり「スミスを笑いものにしている議員達」の目と同じであって、何があろうと諦めず、常に自由の素晴らしさや大切さを語り、それを子供達に教えてゆく責任が大人にはあるのではないか。
ジェファーソン・スミスは、議場の人々だけでなく、映画を観ている観客達にもそのことを訴えかけている。
自身の自殺に無関係の人々を巻き込み何の痛みも感じない、どれだけ苛酷な日々を送ればそこまで心を失えるのかわからないような人が次々現れる今のこの国で、スミスの主張がどこまで説得力を持つかはわからない。
少なくとも今回のウクライナ危機を目の当たりにし、泡を食って核武装を持ち出すような人々には、まったく響かないだろう。
しかし、現実は決して一面的なものでなく、侵攻の事実の裏で、より多くの人々が心から戦争を嫌い、疎んじて、平和を希求している事実があることも忘れてはならないと思う。
ジェファーソン・スミス/ジェームズ・ステュアート
ところで、ジェファーソン・スミス役のジェームズ・ステュアートは、まさにハマリ役であった。
彼もいわばキャプラファミリーの一人だが、役柄としては他のどの役よりも合っていたと思う(個人の感想)。
もうこの映画を観ずにいられなくなるような事件には遭遇したくないが、多分、今後もまた観ることになるのだろう。
今度のことで、時代は100年近く逆行してしまったように感じる。
自分がいかに幸せな時代を生きてきたか、改めて思い知らされる。