「射鵰英雄伝 レジェンド・オブ・ヒーロー」(原題:射雕英雄伝 The Legend Of The Condor Heroes)は、中国の国民的作家金庸の「射鵰英雄伝」を原作とする、2017年制作・放映(日本では2018年放映)の武侠ドラマ。全52話。
タイトルは、主人公の郭靖(かくせい)が弓で鷲を射落とすさまからつけられたという。
以前チャンネルNECOで放送していたのを観て面白かったのを憶えていたのだが、アマプラで見つけたのでステイホームを利用して一気に観直した。
壮大なスケールの作品で、登場人物の数も多い。
荒唐無稽といえばそれまでだが、先の展開がまるで読めず、場面があちこち飛ぶので、時々少し前へ戻って見直さないとわからなくなってしまう。
こんな時、配信はありがたい。
普通にテレビドラマとして観ても、アラフィフの記憶力ではついていけない。
武侠ドラマはリー・ヤーポン(李亞鵬)が令狐冲を演じた「笑傲江湖」から入ったが、その頃の映像と比べると進化が著しい。
ドラマ化は10回目だそうで、ウォン・カーウァイ監督の「楽園の瑕」など、スピンオフともなれば枚挙に暇がない。
映像作家にとっても、金庸作品はそれだけ魅力的ということなのだろう。
主人公郭靖の成長を縦軸に、愛らしく利発な娘黄蓉(こうよう)とのラブストーリーを横軸に物語は紡がれていく。
時折引用される詩歌や書画は格調高く、作者の造詣が深くなければ生み出せなかったろう。
舞台も広大で、蒙古の草原から中国全土に及び、峻険な山岳地帯の風景から、長江の雄大な流れ、モンゴルの広大な牧草地帯など、かの国ならではのスケール感に圧倒される。
予告編によると、35億という製作費が投じられたらしい。
現在の我が国のテレビドラマでは考えられない数字。
それでいて、主役の二人を演じたのは、当時はまだ若手のヤン・シューウェン(楊旭文)と リー・イートン(李一桐)ということで、製作サイドとしてはかなりな冒険だったらしい。
どうしても過去作と比較されるし、金庸作品の主役を若手が演じることには、視聴者側にも不安があったようだが、結果的にはむしろ良かったのではないか。
演者の成長が役柄の成長とダイレクトに結びついてみえるため、より感情移入がしやすく、それが作品の魅力にもなっていた。
ストーリー
西暦1126年。
宋は女真族の建てた金に淮水以北の領土を奪われ、江南の臨安へ都を移した。
以降南宋と称し、数十年の後。
朝廷の腐敗を憤る全真教の道士丘処機(きゅうしょき)は、金人や売国官吏らを討伐する旅の道すがら、牛家村で、郭嘯天(かくしょうてん)と楊鉄心(ようてっしん)という義兄弟と意気投合し、しばし歓談する。
丘処機の人柄に心酔した二人は、間もなく産まれる我が子の名付け親になってほしいと懇願し、丘処機もこれを承諾。
郭家の子に靖(せい)、楊家の子に康(こう)の名を送った。
同じ頃、鉄心の妻包惜弱(ほうせきじゃく)は深手を負って納屋に身を隠していた金の皇子完顔洪烈(わんやんこうれつ)をそれと知らずに介抱する。
丘処機が去って後、牛家村は段天徳(だんてんとく)率いる官兵の襲撃を受け、二人の奮戦空しく全滅してしまう。
郭家の妻李萍(りへい)は段天徳にさらわれ、かたや包惜弱は完顔洪烈に救われ、初めて助けた男が金の皇子だったことを知る。
旅の空で牛家村を襲った災難を耳にした丘処機は、急いで引き返すが、郭家も楊家も、すでに離散して跡形もなかった。
両家とも、自分が立ち寄ったため巻き添えになったと思い込んだ丘処機は、懸命に彼らの消息をたずね、義兄弟は殺されたものの妻は存命らしく、包惜弱の行方は不明だが、李萍の方は段天徳が連れ去って、叔父の焦木大師のもとへ逃げ込んだらしいと探り出した。
一方、焦木大師は丘処機来訪の報を耳にすると震え上がり、江南七怪と呼ばれる七人の武芸者に助力を求める。
丘処機と江南七怪、焦木大師は、嘉興の「酔仙楼」で対決した。
段天徳を差し出すよう要求する丘処機に対し、知らぬ存ぜぬで押し通そうとする焦木大師。
業を煮やした丘処機と江南七怪の間で闘いが始まるが、7対1でも実力伯仲、勝負がつかない。
その隙に段天徳は北へ逃亡し、焦木大師も騙されていたと知った丘処機は不明を詫びるが、収まらない江南七怪の頭領柯鎮悪(かちんあく)は、あくまでも勝敗を決しようと主張する。
そこで、丘処機は一風変わった提案をした。
行方不明となっている包惜弱と李萍を探し出し、包惜弱の子康を丘処機が、李萍の子靖を七怪がそれぞれ鍛え上げ、18歳になった時手合わせさせて決着を付けようというのだった。
柯鎮悪はこれを承諾し、丘処機と江南七怪は18年後の再会を約して別れるのだが……。
主人公郭靖のヤン・シューウェン(楊旭文)
ヒロイン黄蓉のリー・イートン(李一桐)
すでに映像化されていた「射鵰英雄伝 新版」を視聴していたので、フー・ゴー(胡歌)とアリエル・リン(林依晨)のイメージがあったのだが、個人的には新作の二人の方が好み。
どちらもより初々しく、未熟なりに一所懸命頑張る姿につい応援したくなってしまう。
ちなみに、新版の二人はこんな感じ。
だいぶ大人びている。
その分隙がなく、二人の成長が今回ほどは劇的に感じられなかったし、ラストの「崋山論剣」も、VFXがアニメじみていて、やや迫力に欠ける印象を受けたが、今回は最後まで入り込んで楽しむことが出来た。
序盤の二人が初々しい分、クライマックスの「崋山論剣」は激アツで、ヤン・シューウェンの郭靖が、しみじみ、
(強くなったなあ……)
まるで保護者になった気分だった。
最後まで見届けられたという達成感に満たされた。
国内でこうした感覚が得られるドラマといえば、NHKの大河ドラマぐらいで、近年は回転が早いから、充足感を得るのはなかなか難しくなっている。
郭靖は黄蓉と広い大陸を旅しながら、数多の武芸者と出会い、闘ったり、薫陶を受けたりしながら腕を磨いていくわけだが、中でも強烈だったのが「天下五絶」と呼ばれる達人たち。
「東邪」黄薬師(こうやくし)、「西毒」欧陽鋒(おうようほう)、「北丐」洪七公(こうしちこう)、「南帝」一灯大師(いっとうだいし)、「中神通」王重陽(おうちょうよう)らは、武林の実力者であり、ある者は師となり、ある者は不倶戴天の敵となり、さまざまな形で郭靖の人生に関わってくる。
彼らが主役以上に破天荒かつ魅力的で、物語を引っ張る原動力になっていた。
郭靖は朴訥で正直、他人の言葉を鵜呑みにしては、何をするにも遠回りしてしまう。
ところが、その遠回りが巡り巡って、彼をより高みに押し上げていくのだから、まさに「人間万事塞翁が馬」そのままのドラマだ。
他にも、「老頑童」周伯通(しゅうはくつう)やら、「鉄掌水上飄」こと裘千仞(きゅうせんじん)やら、型破りなキャラクターが続々登場する。
綺羅星のごとき武芸者が入り乱れ、舞台もめまぐるしく変わるというのに、よくあれだけ一人一人の個性を上手く際立たせ、物語を混乱せずに整えられたものだと、原作者はもとより、構成作家の手腕にも感心した。
そして、王道の成長物語には、好敵手の存在が不可欠。
本作のもう一人の主人公ともいえるのが楊康(ようこう)。
これもまた、若いチェン・シンシュー(陳星旭)が演じている。
義弟楊康のチェン・シンシュー(陳星旭)
郭靖とは親同士の約束で義兄弟とされながら、成り行きで(というのが酷い!)金の皇子として育てられ、宋人を蔑み見下している。
何も知らずにいれば良かったろうが、郭靖らと関わることで人生が一変、出自と野心との狭間で苦しみ抜くことになる。
才知に長け、武術の腕も郭靖に勝りながら、行動する度に裏目に出て、立場を悪くしていく。
郭靖が真正直に誰かの言葉で動く度に幸運に恵まれるのとは、非常に対照的だ。
懸命に生きているのはわかるのだが、自らの才を恃むあまり、他人の忠告に耳を貸さぬこともあって、結局は武術も人間的な器も郭靖に追い越され、嫉妬と憤怒に身を焦がす。
何故、郭靖ばかりが幸運に恵まれるのか?
そのことをより真剣に考え学ぶべきだったと思うが、周囲が許さなかった不幸もある。
楊康の自業自得というのは気の毒だろう。
そんな楊康を心から慕う美女穆念慈(ぼくねんじ)を演じたのが、モン・ズーイー(孟子義)
穆念慈のモン・ズーイー(孟子義)
強い目力に思わず引き込まれてしまう。
非常に美しく、武術も出来る。
出会い最悪の楊康に何故か惹かれ、彼が実の両親を育ての父に殺されるという悲惨な身の上になってからは、身も心も楊康一色。
二人で宋人として穏やかな人生を送りたいと望むが、当の楊康が立身出世を諦めきれず、悪党とつるんで究極の奥義書「九陰真経」や、名将岳飛(がくひ)の兵法書「武穆遺書」を求め、金の手先と成り下がる。
そうしてたびたび騙され傷つくのだが、それでも信じてついて行く姿が切なくも健気で抱きしめたくなる。
本当に郭靖たちとは対照的な二人だった。
楊康は自らの野心により身を滅ぼし、念慈は忘れ形見の男の子を女手一つで育てることとなる。
郭靖が「楊過(ようか)」と名付けたその子の長大な物語はまた別に存在するが、それは次の機会に。
最後に、私は知らなかったが、主題曲には歌詞付きのものもあったらしい。
ネットで見つけたので貼っておく。