ひとが
この世に生まれる前から
この星は輝き
ひとが
この世から去ったあとも
この星は輝き続ける
生きているとき
ひとは
この星の海を見上げ
みずからの行末を想う……。
「銀河鉄道999」は、松本零士原作、1979年(昭和54年)に公開された東映動画制作によるアニメーション映画で、同名TVアニメに基づく映画化作品である。
原作及びTV版では10歳で設定されていた主人公星野鉄郎の年齢が、映画では15歳に引き上げられている。
これは、アニメ映画として空前の大ヒットを記録した「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のファンをそのまま引き継ぐ形を想定しており、中高生が主たる集客対象となるため、主人公が10歳では幼すぎ、メーテルとの恋愛要素を取り込むにも、唐突な印象が拭えなかったためと思われる。
少年画報社の「少年キング」誌上で原作が好評連載中、並行してTVアニメも放映中だったため、映画で先に結末が描かれるというのは、ファンの間に大きな反響を呼んだ。
大幅に変更された鉄郎のビジュアルとともに、この発表は賛否両論巻き起こしたが、集客手段としては絶大な効果があった。
予告編の「アニメ史上最高の傑作」という謳い文句も、当時としては誇張でも何でもなく、その通りだったと思う。
中学生だった私も、この売り文句と博打的な興行に魅せられて、初めて映画館に徹夜で並ぶ経験をした。
同時に、映画というのは絶対一人で観るべきだと思い知らされた作品でもある。
というのも、あの素晴らしいラスト・シーンにおいて、いっしょに観た友人の目を気にして泣くまいとするあまり、作品世界に没入し損ねるという本末転倒をやらかしてしまったからだ。
隣に座っている友人が、あれほど邪魔だったことはない。
これ以降、初めての映画は必ず一人で観に行くことにしている。
ストーリー
時に西暦2221年。
高度に発達した機械文明は肉体の機械化による人類の不死すら実現し、生存圏を宇宙全域まで拡大していた。
しかし、その陰で貧しい者たちは打ち捨てられ、吹き溜りの貧民街で多くの人々が日々行き倒れ、命を失っていた。
そんな中、いつからか「銀河鉄道999」に乗れば、機械の身体を無料で貰える星へ行けるという噂が全宇宙へ広まっていた。
地球のスラム街に暮らす15歳の少年星野鉄郎は、999に乗るため機械化人の定期券を盗もうとするが失敗し、機械化ポリスに追いつめられたところを、メーテルと名乗る謎の美女に救われる。
盗みは悪いことと知りつつ、どうしても999に乗りたかったという鉄郎に、メーテルは機械の身体を手に入れてどうするのかと問う。
「機械伯爵を殺すのさ」
鉄郎は10歳の時、機械伯爵という機械化人の人間狩りによって母を殺されていた。
そんな鉄郎に、メーテルは自分も連れて行ってくれるなら、999にも乗れる定期券をくれるという。
かくして、鉄郎はメーテルとともに「銀河鉄道999」に乗って、機械の身体を無料でくれるという謎の星をめざして旅立った。
最初の停車駅タイタンで、鉄郎と同じく機械化人に親を殺された子供たちを育てている山賊アンタレスから、宇宙で生き残るための心得と、機械伯爵の居城「時間城」の所在をただ一人、宇宙海賊エメラルダスだけが知っていることを教えられ、不思議な老婆からは、帽子と高性能のコスモガンを授けられる。
次の冥王星では、顔のない機械化人シャドウにより絶体絶命の危機に陥るが、メーテルに助けられる。
そうして食堂車のウエイトレスをしているクレアや車掌とも心を通わせ、旅を続ける鉄郎だったが、ある時、999の進路を海賊船クィーンエメラルダス号が横切ろうとする。
クィーンエメラルダス号は、「時間城」の所在を唯一知る女海賊エメラルダスの艦だった。
エメラルダスとメーテルが旧知の仲だったことから、「時間城」が次の停車駅である惑星ヘビーメルダーの「トレーダー分岐点」へやってくると聞いた鉄郎の胸に、復讐の炎が燃え上がる。
鉄郎は、ガンフロンティア山のふもとで同じ帽子と銃を持つ男トチローと出会い、彼がタイタンで銃と帽子をくれた老婆の息子だと知る。
トチローも鉄郎と同様機械化人を憎み、長い間戦い続けてきたが、いまや宇宙病に蝕まれ、死期が迫っていた。
鉄郎に間もなく山の裏手に「時間城」がやってくることを告げると、力尽きたように寝台に横たわり、手元のレバーを引いて欲しいと懇願する。
鉄郎が言われた通りレバーを引くと、トチローの肉体は一瞬にしてプラズマ化し、天高く立ち上っていった。
トチローの死を目の当たりにした鉄郎は、志半ばで夭折したトチローの無念を思い、限りある命の儚さに涙する。
トチローの親友キャプテンハーロックとの出会い、エメラルダスとの再会などを経て「時間城」へ潜入し、ついに母の仇を討つ鉄郎。
「これで、おまえの復讐も終わったわけだな」
と、言うハーロックに、鉄郎は首を振る。
「機械伯爵や機械化人を見ていると、永遠に生きるだけが幸せじゃない。限りある命だから人は精一杯頑張るし、思いやりや優しさがそこに生まれるんだとそう気がついたんです。機械の身体なんて、宇宙から全部なくなってしまえと。ぼくたちはこの身体を永遠に生きて行けるからという理由だけで、機械の身体になんかしてはいけないんだと気がついたんです。だからぼくは、アンドロメダの機械の身体をただでくれるという星へ行って、その星を破壊してしまいたいのです!」
機械伯爵を倒し、母の復讐を遂げた鉄郎は、こうして新たな目的をもって旅を続けるのだった。
しかし、終着駅が近づくにつれ、メーテルの表情は暗く沈んでゆく。
メーテルとは何者なのか。
終着駅で鉄郎を待ち受けるものは何か?
すべての謎が、いま解き明かされる。
松本零士という漫画家に興味を持ったのは、言わずもがなの「宇宙戦艦ヤマト」から。
しかし、これは西崎義展プロデューサーの作品に参加したという印象が強く、本格的にのめり込むきっかけになったのは、その後制作されたTVアニメ「宇宙海賊キャプテンハーロック」だった。
「プレイコミック」に掲載されていた原作は、マゾーンという女型宇宙人のヌードぐらいしか見所がなく、私には単にSFチックなエロ漫画だったが、アニメは一転、トチローの娘まゆを登場させ、彼女との交流を描くことで、ハーロックの内に秘める優しさを印象づけ、素晴らしく魅力的なタイトルになった。
とはいえ、私にとっては成功だったこの改変も、原作者には望ましくないものだったそうで、多分、私は原作者より、アニメスタッフの方に波長が合ったのだろうと思う。
そのアニメ版ハーロックを監督したりんたろうが、本作の監督を務めている。
映画が公開された当時、並行してTV放送が続いていたのは冒頭に書いた通りだが、その頃はすでに作画がかなり崩れていて、メーテルは特にデカっ鼻の垂れ目になって、序盤の絵柄が懐かしかった。
↓これが
↓こうなる。
ところが、さすがは映画。
本作では、実に綺麗に描かれていた。
元に戻ってる!
いや、それ以上か。
勿論、その後もより美しい画で何度も新作が作られ、ドラマ化や舞台化までされるわけだが、それらの作品群はすでに本作を離れ、完全に松本零士の世界観で作られているため、私にはあまり興味がわかなかった。
漫画も続いているようだが、私は本作と、二年後に公開された「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」で完結、というより、本作のみで完結してしまった。
エターナルファンタジーも観るには観たが、松本零士という漫画家とはあまり相性が良くないらしいと確認するだけに終わった。
「アンドロメダ編」と呼ばれる第一部だけで満腹だ。
綺羅星のごとき名台詞の数々は、実に詩的で胸を打つ。
「鉄郎さん、さようなら。たった一人のわたしのお友だち……好きだった!」
そう言って鉄郎の身代わりになるクレアの最期だけでも悲しいのに、そこからはもう、延々説明不要の名場面が続く。
本当に、隣の友達が邪魔だった。
わなわな震えながら、必死で泣きそうになるのをこらえていたのが懐かしい。
「いつかわたしが帰ってきてあなたのそばにいても、あなたはわたしに気がつかないでしょうね」
何だよそれ!死んじゃうより悲しいじゃんか!
野沢雅子の演技が入り込みすぎていて、鉄郎の表情と全然合っていないのだが、それすらまるで気にならない。
青木望氏のBGMもぴったりで、これ以上ないほど雰囲気を盛り上げてくれる。
そして、〆は城達也。
耳にしたら忘れ難いあのナレーションが、実に見事な幕引きとなっていた。
いま、万感の思いをこめて汽笛が鳴る。
いま、万感の思いをこめて汽車が行く。
一つの旅は終わり、また新しい旅立ちが始まる。
さらば、メーテル。
さらば、銀河鉄道999。
さらば、少年の日よ。