そう何度も足を運ぶ機会はないと思いますが、その機会の1つで在学中を含めて

今回で3回目の訪問をしてきます。

 

滞在時間は短いですが、懐かしみを持って向かいたいと思います。

 

また、通教生の方と話をする時に成績の話題になることがありますが、

私は合格できれば成績はCであろうと構わないスタンツで勉強していました。

 

これには2つ理由がありまして、1つは1科目に費やす勉強時間を少なくして

多くの(科目の)勉強がしたかったことがあります。

良い成績を取るための勉強は一切しませんでした。

気を付けたのは勉強後、インプットした知識が合っているかどうか、

その点のみでした、理解度重視ということです。

 

もう1つは単位修得試験が記述試験であるということです。

マークシート等であればもしかしたら満点狙いもあったかもしれませんが、

それでも理解度重視でしたので、成績はどうでもよかったと思います。

 

記述式の問題がある以上、採点は採点者の特徴がどうしても反映されます。

甘い採点もあれば厳しい採点もあるでしょう。

 

法政に難解な教員がいた話は散々してきましたが、

そのような先生が担当する科目から良い成績を取るにはどうすればよいか

ということを考える時間がもったいない。

また、そういう教員がいることから、良い成績を取るためにその科目を

あえて履修から外してよい成績を収めるというのも、逃げのように思えます。

 

そうであれば最初から成績なんて気にしない。

卒業後、成績証明書の提出が必要で、かつ、その1つ1つの科目の成績が

その提出先で何か考慮されるということであれば、私も考えますが、

そのような話はあまり聞いたことがないですし、私においては

全く活用価値がない話になります。

 

考え方は学生さんそれぞれ違いますので、その価値はその学生さん自身にあるのだろうと

思いますけど、たまにそういう話を私にされる時がありますが、

 

「そうですか、頑張って下さい」

 

としか言いようがないところです。

 

卒業式に総代に指名されて謝辞でも読みたいのかな、それとも成績優秀者として

表彰されたいのかな、みたいなことを考えたことがありますけど、

この法政ではその考えをもって入学当初から頑張ると危険かもしれないですね。

 

野球で言うと完全試合、完璧勝利を収めるという目標で頑張っている途中で

例の相性の悪い教員と関り、討論したあげく、完全試合を逃した(成績がBだった)みたいな

ことになれば、仮にそれが私であればこの教員を相当恨むと思いますね。

 

また、そういう教員がいるのが事実で、そういう中で完全試合を達成するために

その教員の科目をあえて履修から外したとすれば、先ほども述べたように

逃げて完全試合を達成したと思われても仕方がない、と私は思います。

 

目標設定は個々の自由ですが、自由がゆえに、他の学生さんと比べる必要は
ないのかなと思っています。そもそも目標が違うのですから、私は聞きますけど
私にとっては、そーなんだ、としか思えない話題でした。