もしもぼくたちが人間じゃなくて魚だったとします
そ、魚なんだから水の中で暮らしていると仮定します
魚なんだから世界と水は同化していて認識することってなかなか難しいよね
そんな中でどっかの魚が『水』というものがあると聞いてきて
「どこかに『水』という手に入れたらすげー幸せになるものがある!!」
と意気込んで探しだしたとします
『水』を手に入れるべく
意識高い系になったり
何かすごい能力がないと手に入れられないと思ったり
死に物狂いでわざわざ苦しい思いをして探し回ったり
この魚は「『水』は周りにはない」という前提で考えていて
『水』をゲットするためにとにかく頑張る
超頑張る
「『水』さえ手に入れば!」って
けどさ
別に意識高い系の魚でなくても
無理に探しまわらなくても
能力がなくても
魚なんだから水なんてふつーに周りに満ち溢れているよね
っていうか水がないとそもそも生きていられないよね
魚なんだから
でも魚にとっては『水』は感じ取らないとそこにあることに気づけないよね
すぐそこに「ある」のに「ない」と勘違いして求める
客観的にみるとすごく滑稽な話だなーと思うよね
もうコントだ、コント
この魚の話でいうところの『水』は現実世界でいうと『豊かさ』に言い換えられるなーと思う
住むことができたり
食べることができたり
仕事できたり
趣味ができたり
ぐっすり寝れたり
これらって全部豊かさの一部だよね
ぼくらにとって豊かさってないと生きていけないものだ
ぼくらの周りには魚にとっての水みたいに豊かさで溢れているのに何故だか「ない」と勘違いしてしまうことが多い様に感じる
(まあ自分がそうだったからな笑)
「ない」という前提でいるからずっと必死に求め続けてしまう
「ない」と信じているから、信じた通りに豊かさがない
(様に感じる)
別に求めるものじゃなくてそこにふつーにあるのにね
めっちゃあるのにね
「豊かさ」についてぼーっと考えていて
ふとそんなことを感じたわけです
おしまい
豊かさって
中川賢太郎
