♪た~の~しく、た~の~しく、やさし~くね~♪
よし、今日のテーマソングは、華原朋美で行こう。

今日もまた、いちだんと早起きのスケジュールとなっております。
化粧の時間を逆算すると朝4時起きくらいになりかねない友人は、せっかくの朝食ビュッフェをフイにし、さすがのわたしも咽そうになりながら15分で朝食をかきこみ、慌ただしくホテルを出ました。
それというのも、ジェットフォイルが取れなかったために、カーフェリーという予約の要らない二等雑魚寝船に乗らねばならないからです。出発は7:40。
ターミナルには、いや、ターミナルの外まですでに長蛇の列ができており、地元の人らしき女性が「おかしいわねえ、いつもこんなに並ばないのに…」と携帯で話しています。
「まさか、積み残しになるってこと、ないよね?」と心配性の友人の言葉に、それだったら最初っから予約チケット売るんじゃないのー、と一笑に付したわたしでしたが…果たして、友人の悪寒は当たりました。
「カーフェリーは、ただいま満席となりました。次便のチケットの販売までしばらくお待ちください」
無情なアナウンスが流れ、列の半分近くが、まるでトカゲのしっぽのようにアッサリと切られました。…ええ、われわれはもちろん、切られた側の人間です。
次のカーフェリーは、えーと…11:40!? で、到着が13:00過ぎですって!?
中通島での時間は、今日1日のみです。だからこそ、眠い目をこすって朝イチの船に乗ろうとしていたのです。
ジェットフォイルの当日券が出ないものか…とかすかな望みをかけるも、あえなく潰えました。
とりあえず、次のカーフェリーを押さえたはいいけど…ただいまの時刻、7:50。ホテルにいるならともかく、このフェリーターミナルで4時間過ごせといふのですか…。またレンタカーを借りるには時間がもったいない。旧五輪教会のある隣の久賀島に行くってのはどうだろう……って、カーフェリーが出港する前に帰って来れねーよ!

呆然とするわたしの隣で、友人はすでにあきらめの境地に達しており「あの…あたし、寝るね」と椅子に横たわりました。
ぐぬぬぬ……(一瞬イラっとする)。いや、それもこれも、わたしの段取りの悪さがすべての根源なんだよ。ジェットフォイルを、せめて福江に着いた時点で取っておけばってことだよ! ゴールデンウィークって、ゴールデンウィークって…(号泣)。
悔し涙で滲む視界の先に、ふと目に留まった文字がありました。
「奈留島・若松島 フェリーオーシャン」
と書かれた窓口が、ターミナルの、ほとんど気づかれなさそうな端の方にオープンしているではありませんか!

…説明しよう。若松島とは、中通島に隣接し、若松大橋によって陸続きでの行き来ができる島である。つまり、若松島にさえ渡れれば、バスなりタクシーなりで中通島へアクセスできるというわけなのだ!
わたしは、窓口にかぶりつき「あのっ、次の便は何時ですか!?」と尋ねました。
「あと5分で出るよ」…なんとっ!
「ちなみに、若松島から奈良尾までは車でどのくらいですか?」
「20分もあれば行けるでしょ~」
こりゃもう行くしかないって! 1分待ってください!と叫んで、ベンチの友人を叩き起こし、忍者のような素早さでカーフェリーの乗船券を払い戻してフェリーオーシャンに飛び乗りました。げに目まぐるしきは旅の運命です。

船内は、先ほどまでの行列が冗談に思えるほどガラ空きでした。
どうやら、カーフェリーがかくのごとく混んでいたのは、奈良尾ではなく長崎に向かう人が多かったからのようでした。福江→奈良尾→長崎便なのよね。島の人たちがGWに、内地に遊びに行く便だとしたら、そりゃ混むよね。
奈留島を経由し、若松島で船を下り(本当はどちらの島にも行きたい教会があったのですが、そんな時間はとてもありません!)、そこからはタクシーで、予約していたレンタカー屋に直接アクセス。なんとか11:00前には車を出すことができました。叩け、さらば開かれん! 燃えよ、旅人魂!(意味不明)

中通島は、福江島よりもひと回り小さな面積に、福江島の倍以上の、29の教会が点在しています。
友人が、中通島の教会マップを見て、大量の楔のように打ち込まれている絵面が怖いと云ったのもうなずけるほどで、どちらかというと、五島の教会めぐりのメインは福江よりもこちらでしょう。
島の最南端である奈良尾からスタートし、まずは島の東部にある頭ヶ島天主堂を目指します。上五島で最も有名にして由緒ある古い教会です。
…と、待って! 今、左手に教会が!
そこは、頭ヶ島教会と並んで、わたしが前もってチェックを入れていた中ノ浦教会でした。ここは、別名“椿の教会”とも呼ばれ、白を基調にした壁に真っ赤な椿と水色の曲線が絡み合う、美しい内装が特徴です。乙女度の高さは五島でもトップクラスではないでしょうか。何しろ、“おとめ聖マリア”に捧げられている教会ですしね!
椿の名産地として全国的に知られる五島では、薔薇の意匠の代わりに“冬の薔薇”とも称される椿を教会の内装に採用しているのだそうです。昔は、日本に西洋式の薔薇がなかったんですね。この教会だけでなく、椿のモチーフは他の教会のステンドグラスなどにも散見されます。

放浪乙女えくすとら-nakadori007 ラブリーで大胆な椿模様。

この後も、道中で目に入った教会は片っ端から攻めるという感じになり、「教会を発見しました!」と友人が副隊長のように叫ぶと、わたしがすかさず車を停めるという連携プレイが成立してきました。
そして、教会の数をこなすうちに、教会に入る→スタンプを探す→スタンプ帳に捺印する、という流れも様式化し、わたしのスタンプ帳だというのに、いつの間にか友人が「はい、スタンプ帳貸して」と我先にスタンプを押そうとしやがります。どうやら、スタンプを押すことに快感を覚え始めたらしいです。
もともと五島の教会に興味があったのはわたしの方ですが、キリスト教という点だけでいうと、その昔カトリックに入信しようとしたこともある友人の方が近しく、造詣もわたしよりは深いはずなので、ここに来て、巡礼魂が目覚めてきたのでしょうか…。


放浪乙女えくすとら-nakadori029 隊長!ガケの上に教会があります!(跡次教会)

「なんか、巡礼してるのか、スタンプ押しに来てるのか分かんなくなってきたね」
と、嬉々としてスタンプを押す友人に、
「いや、巡礼しながらスタンプを押しているのであって、どっちかってわけじゃないんだよ」
とわたしは反論しました。
スタンプラリーという言葉にはひどく軽いニュアンスがありますが、巡礼とスタンプラリーは、本質的には似ているものだと思うのです。
だって、巡礼もスタンプラリーも、決められたありがたい場所を「踏破する」「制覇する」行為でしょ? それで得られるものが、ご利益なのか、魂の浄化なのか、或いは達成感なのか(ま、スタンプラリーはこれですね)という違いはあるにしても、スタンプラリーって、そんなに卑下するほどつまらない行為でもない気はする。
まあそうは云っても、本物の巡礼の人たちを見ると、「“なんちゃって”ですみません…」とも思いますけどね。
頭ヶ島教天主堂では、長崎から渡って来たと思しき巡礼の一団と遭遇しました。彼らはそこで讃美歌を歌い、ミサを捧げていました。図らずも同席するようなかたちになり、何やらもったいないような気持ちになりました。

放浪乙女えくすとら-nakadori080 五島で唯一の石造りの教会、頭ヶ島天主堂。

頭ヶ島天主堂は島の外れにあり、中心部へ引き返して五島うどんなど食べていると、けっこういい時間になってきました。
細長く伸びている島の北部にも教会が点在しており、最北端を目指しながらそれらを訪れる、というのが当初の予定でしたが、己の運転技術なども含め冷静に計算すると、青砂ヶ浦天主堂、大曾教会など比較的有名どころが集まる中心部を攻めるのが精一杯のようです。
福江より狭いとは云え、福江の倍もある教会を訪れるには、やはり1日では到底足りないか…。一時は路線バスの旅も考えていたけど、車でもこのありさまでは相当厳しかっただろうな。。。

放浪乙女えくすとら-nakadori091 青砂ヶ浦天主堂。リブ・ウォールト式と呼ばれる特徴的な内装。

放浪乙女えくすとら-nakadori121 レンガ造りの大曾教会。

「ぶっちゃけさあ、どの教会も同じに見えて来てるんだけど…。さっき、君のデジカメの画面を覗いて、『あれ、これさっきも見た』って思っちゃったよ」と友人。
そ、それを云うなあ! だって教会は様式美だから、ある程度似通ってくるのは仕方がないだろう! 細かく見ると、どこもちゃんと個性があふれているじゃないの!
…と反論しつつ、まあ、内心ちょっと、そんな気もしていたけどね(苦笑)。
ざっくり分類すると、西洋建築系、鉄筋コンクリート建築系、民家系の3パターンという感じでしょうか。
堂崎教会や頭ヶ島教会、青砂ヶ浦教会といった有名どころのほとんどは、五島出身の建築家・鉄川与助(終生仏教徒だったそう)が手がけていますね。彼の教会はどれも、おとぎ話に登場しそうなロマンチックな外観&内装でうっとりします。


放浪乙女えくすとら-nakadori102 青砂ヶ浦天主堂の外観。「天主堂」という漢字の看板が、何だか素朴でいい。


放浪乙女えくすとら-nakadori115 こちらは現代的な外観の青方教会。

でも一方で、民家或いは公民館風のきわめて簡素な教会には、見た目の美しさ以上の“雰囲気”が漂っていて、これもまた五島教会めぐりの醍醐味と云えるかもしれません(ま、都内にもビルの一角に教会があったりしますが、何となく入りづらいのは何故だろう…)。
祈りが息づいているというのでしょうか。『もののけ姫』の“コダマ”みたいに、さまざまな人の祈りがこの狭い空間に、静かに浮遊しているような…。本当にこの場所が、祈りのために存在していることが強く伝わってくるのです。決して世界遺産候補には入ることはないでしょうが、教会の素の美しさを見る心持がします。
例えば、若松大浦教会。外観は完全に民家です。正面に回って十字架の意匠を見るまでは、誰もここが教会とは気づかないでしょう。それでも、中に入れば折り上げ天井が施され、小さいながらもすべてがきちんと整えられています。このギャップには萌えすら感じてしまうほどです。
また、高井旅教会は、特徴的な赤い三角屋根こそ教会らしいですが、入口や本堂の外観は公民館に近い。この地で長年信仰を守っていた3家族の潜伏キリシタンが、カトリックに帰依してから建立した教会だそうです。もう、ルーツからして強い信仰をひしひしと感じるではありませんか。

放浪乙女えくすとら-nakadori176 民家風、というより完全に民家。でも正面に回るとちゃんと教会なのだ!(若松大浦教会)

放浪乙女えくすとら-nakadori189 アルミサッシの玄関が何ともローカル(高井旅教会)。

宿を取った青方地区への路線バスが、6時で終わってしまうため、レンタカーもそれまでに返さねばなりませんでした。
ギリギリの時間まで教会を巡った結果、今日周れたのは中の浦教会、跡次教会、頭ヶ島天主堂、青砂ヶ浦天主堂、青方教会、大曾教会、真手の浦教会、若松大浦教会、高井旅教会、福見教会の10件でした。
それなりに頑張った結果とは思いますが、本当は、鉄川与助が手がけた冷水教会や、ステンドグラスが壮麗な仲知教会、浦上天主堂の被曝レンガを一部使用している旧鯛ノ浦教会などにも行きたかったです。っていうか、やっぱり全部行きたかったです! (あとで知りましたが、廃墟になっている教会もあるとか…)
見てのとおり、敬虔な気持ちをあふれさせて教会を巡っていたわけではないんです。信者じゃないですからね。
だけど、1つでも多くの教会を訪れずにはいられなかったんですよ。そして、実際に周ってみて改めて、こんなに小さな島に、こんなにも多くの祈りの場所が存在し守られていることに、えもいわれぬ感動を覚えたんですよ。日常生活の中に、“祈り”のための空間的・時間的余地が設けられていることは、何て麗しいのだろう、って(怖さと紙一重ではありますけどね)。

放浪乙女えくすとら-nakadori200 福見教会の庭に建つマリア様。

さて、今日は、“友人にやさしくしようキャンペーン”の初日でもありました。
ま、やさしかったかどうかは怪しいもんですけど、2人で旅行していることがいちばん楽しく思えた1日だったという気はします。
友人も、昨日の話では「車内で仮眠を取らせてほしい」と切実に訴えていたはずが、フタを開けてみれば、最近読んだ本やら映画のあらすじや、以前コルカタのマザーハウスでボランティアをしていた頃の思ヒ出をえんえんと語っておりました。寝ないのかよ!

放浪乙女えくすとら-nakadori202 カトリックでも婚活を応援しているようです。