今だから云える。ずっと云いたかった言葉…。


ニート万歳!


就職が決まるまでは、説得力ないから控えていたの。
でも、決まったら堂々と断言しようと思ってた。まあ、働き出していきなりコケて、またニートに逆戻り…ってことになったら恥ずかしいですが(笑)。
正月明け、年明けても相変わらずだらだらです;というメールを、10歳年上のある旅人さんに送ったら、その返信にはこう書いてありました。
「人生にはそんな時間も必要だ」
その辺の話は、また改めて、ブログか「旅先むだ話」あたりで綴ってみたいと思います。


さて、(つづく)と書いたからには続きを書きます。
鎌ヶ谷には4日ほどいました。カップルで一軒家に二人暮しのG&Mさん宅。彼らも旅つながりです。今年が戌年なので飼ったというプードルが暴れまわって大変でしたが(笑)、日本人宿にいるかのようなゆるく楽しい居候ライフ(@小川さん)を過ごさせてもらいました。
その間、イスタンブールの宿の同窓会(?)があったり、アフリカのモンバサで知り合ったNさんに会ったり、最近まで入院していたパンダおじさんの快気祝いで飲んだり、と、再会したかった人に会えたので、有意義な上京になりました。


イスタン集まりのメンバーの一人が愛知の人で、何故か車で上京という暴挙を冒してきたので、帰りは愛知まで乗せてもらいました。
本当は、高速で下ろしてもらって、そこからヒッチして大阪まで無銭で帰るつもりでしたが、名古屋着が夜中12時30分とかになり、さすがに忍びないというので、その晩はその人の家で寝かせてもらうことに。


家主は朝も早よから仕事に出かけて行きましたが、わたしは図々しく昼前まで眠りこけていました(どこでも過眠)。
今さらヒッチというわけにもいかなくなり、大人しく高速バスで名古屋から帰ることにして、人ん家でゆっくりテレビなど見ているうちにいい時間になってきたので、そろそろ帰ろうかと腰を上げる前、ふと思い立ってメールだけチェックさせてもらうことにしたのです。


そうしたら、内定の通知が来ていたんですよ。


顔文字でいうと、\(◎o◎)/てな感じでした。


何だか妙にどぎまぎして、しばし部屋の中をキョロキョロしたり、意味なくネットサーフィンしたりしていたのですが、この妙な胸のつかえを吐き出したくなって、昼間確実に家にいそうな京都の主婦友に電話をかけました。
彼女もこの4月から専業主婦を卒業し、中学校の教師になるというので、少し境遇が似ていて、「なんかさー、ほんまに働くん?とか思うよなぁ」「やっぱ家おんのラクやしなぁ」と愚痴りつつも、お互いの新しい未来(笑)を祝し合うのでした。


友人の家を出て、すぐに名古屋駅に向かってもよかったのですが、せっかくなので近所をぶらついてみることに。
その町は、歴史の匂いを感じさせるたたずまいで、重いリュックを背負って知らない道を歩いていると、旅の頃の感覚がふっと甦ってくるようで、胸が少し痛くなりました。
またいつか、こんな風に、何者でもない自分になって、初めての町をひたすら歩くような日も来るのだろうか、と。
そして、名古屋駅でバスが来るまでの間、東急ハンズでキッチン・バス用品などを見て歩きながら、「こういうものを揃えないといけないのか…」と、実感のともなわないまま考えていました。


これまでの就職活動成績。
16戦2勝。うちわけ→書類落ち14社、面接3社、内定2社。
編集職にほぼ絞っていたこともありますが、けっこう少ないですね。もっとたくさん応募したような気がしていたんだけど…。もしかしたら、webでエントリーしたやつなんかは、忘れている分もあるかも知れません。何せチケット感覚だからね(苦笑)。
もっと頑張れたとは思う。他業種のセミナーなんかにも積極的に参加したりしていれば、もっと内容のある就職活動になったんじゃないかとか、反省点は山ほどあります。


旅人が、どうやって社会復帰するか。
旅の間から、ずっと興味のあったことでした。
だから、旅が終わった後の自分のことも、引き続き書き綴っていこうと決めていました。
これから長い旅に出たいと思っている人たちの参考にもなれば、と最初は考えていたけれど、ついこないだまでは「参考というよりむしろ、反面教師にしかなっていないのでは?」という体たらくで、やっぱり長旅になんか出たら社会復帰もままならなくて落ちこぼれ人生を歩むことになってしまうからやめとこーなんて思う人もいるかもな、と若干落ち込み気味であったのです。


まだ、スタートラインに立ったばかりで、社会復帰したとはとても云える段階ではないけれど、旅人であったこと、長い旅を否定しないためにも、ちゃんと働いて…というか、納得のいく人生を送っていきたいな。


たまっている旅行記は、まだまだ続きますんで、そちらの方もどうぞよろしくね☆
あと、おみやげブログも(笑)。