断っちまいました。


なんか、”悩みからとりあえず解放されたい”という理由で断ったんじゃねーか、という逃げな気も、しなくもないけれども。
難しく考えすぎて(いや、ある意味何も考えてなさすぎて)、糸がこんがらがりまくって、自分でどうしょうもなくって。こういうのは、自分が一番(本質が)見えてなかったりするんですよね…。


どっちにしてもこれ、人から見れば賛否両論あるんだろうなって思います。
自分の中でも、関ヶ原よろしく東軍(上京賛成派)と西軍(反対派)が、絶えず争っていたのですから。


東軍から見れば、「意気地がない」とか「わざわざその面接のために上京したんでしょ」とか「人間どんな環境だって慣れればやっていける」とか「今はそれほど物欲がないからそんなに金は必要ない」とか「まだ若いのに守りに入りすぎてる」とか「せっかくのチャンスをみすみす逃すなんて」とか、あと「占い師によれば、わたしの2006年度の就職縁は薄いので、別にこの1年はこだわらずに働けばいいんじゃないか」とか(←誰も知らないデータ)…。


んで、西軍にしてみれば、「未来がない」とか「会社はそこだけじゃない」とか「もう大人なんだからある程度のお金は稼がないと」とか「その業界でメシを食うなら自分を安売りしない方がいいのでは」とか「親戚の家にメーワクかけてまでやるべき仕事なのか」とか「どうせ1年で辞めるつもりなのなら、もう少しほかを探してもいいんじゃないか」とか…こっちも色々です。


まーほんと、行く理由も行かない理由も、山ほどありました。
人によっても本当に色んな意見があって、相談するたびに、振り子のように心が揺れました。やっていけると云ってくれる人、断るのもアリだと云ってくれる人…それらはあまりにも千差万別で、どれもが正解に見えて、最後は自分で決めるしかないという当たり前の結論に至るほかないのです。


しかし、決定打は結局、給料と仕事への情熱が釣り合わなかったということでしょうかね…。

ある友人曰く「自分にとって大切なもんがそこにあれば金など関係ない。しかし気持ちそこそこで手を打つなら金は大いに関係するよな」。
そんな、何だって自分のやりたいことど真ん中の仕事なんて、あんまりないとは思うけれど、広告の進行というのは、編集とは微妙にズレてしまいます。
もちろん、その業界に慣れるという意味では、少々ズレようが何だろうがいいのかも知れませんが、それなら、大阪で知人から、飲食関係の広告ライターの仕事をもらうのとやることはそんなに変わらない気もしました。


実はそのライターの仕事を受けようかと、昨年末に、ライターさんに会って実情を聞いてみたのですよね。でも彼は「自分は本業が他にあって食うためにやっているけれど、そんなにキャリアになる仕事ではないと思います」と云って、就職を薦めました。
まあそんな経緯もあって、「貧乏だろうが何だろうが、この仕事をやる!」とまで思えなかったのです…多分。


どちらを選んでも、違う種類の後悔をすることは分かっていました。
誰と話したかとか、そのときの体調とか、読んだメールとか、色んなものが少しずつ影響して、結局こうなったのです。断る直前も、リクナビとか見ていたし。
後悔がないと云えばウソになります。断った瞬間、生乾きのかさぶたを剥がすようなイヤな気持ちでした。同時に解放感もありましたが…。
”後悔しないように生きろ”ってよく云いますが、そんな当たり前のことが、けっこう難しかったりするんだなあと、今さら思います。わたしが優柔不断すぎるだけとも云えますか;


でも、ひとつだけ分かっていることは、断ってしまったからには、新しいのを探すしかない。「あんとき断ってよかった」と、正解にするしかないということです。
よりよい職が見つかるという保障なんて、どこにもありません。保障というか、本当にないのかも知れない。
あの給料で東京に出ることも賭けならば、断って一から探すのもまた賭けかなと思います。
毎度ながら大げさで笑ってしまいますが。


だから、また探して、履歴書を送ります。
明日はこっちで某出版社の説明会に行って来ます。
何だかんだで、ここまではそんなに真剣にやってなかったけれど、今回のことで、気持ち的にはだいぶ追い詰められて、エンジンはかかったような気がします。