こんにちはみなさん。

こちらは、上京後、早四日が過ぎようとしています。。

これまでの、家⇔最寄駅周辺という行動範囲からは考えられないほど、毎日何やかんやと出歩いております。


なんか…人ん家でだらだらしていると、とてもブログなど書こうという気にならないのですが(笑)、現在居候している家のおねーさんから、「ブログ書かないの?」と云われて、何となく書いています。


初日は、カイラス旅をともにしたSさん宅で一日中だらだらとしゃべって終了。

二日目は、「どこやねんグアテマラ」のきょきーとさんが管理人をしている(た)「テンテンゲストハウス」(@高田馬場)に遊びに行ったのち、日暮里のペルシャ料理屋にて、総勢13名の旅人の集いに参加。

三日目は、現在の居候先で、何故か小林旭をBGMに、やはりだらだらとしゃべり、四日目の今日は、夕方から神保町で某ガイドブックの取材のギャラをいただき、居酒屋でおごってもらって終電で帰って来ました。


うーん、帰国後こんなに立て続けに人に会うの、初めてだな。わたしは、あゆにでもなったのだろうか?


さて、今回は主に、旅で知り合った友人たちを訪ね歩いているのですが、何故かわたしはこの旅で、関西よりも関東方面の旅人によく会っていたのです。

ほんとに不思議なんですが、関東の旅人に会うでしょ、すると「いやー、関西人多いですよねー。ボクが会う旅人って、ほとんど関西人ですよ」なんて、けっこうな確率で云われるのです。

ところが、こちらは関東の人にばかり会うので、いったいどこにそんなに関西人の旅人がいるのかと訝しく思うのです。


関西人にあまり会わないせいか、旅の間、わたしはすっかり大阪弁が抜けてしまい、しばらく話していてもわたしが大阪の人間だと分からない人がほとんどでした。

で、生れも育ちも大阪だというと、たいがい驚かれる。「全然大阪弁じゃないですよねー!」と。

そのたびに、「いやほら、初対面の人と話すとき、敬語になるでしょ。そうすると、何か大阪弁が引っ込んでしまうんですよね。敬語の大阪弁って難しくって…」

と、自分でもちょっとよく分からないイイワケをこいています。


でも、大阪弁だから敬語が話せないということは、ないハズなのです。

だって、大阪で働いているときは、きっと大阪弁の敬語を話していたのですから。はっきり覚えていないけど…。

なのにいったい、何故旅先では大阪弁が話せないのでしょう???

大阪、とりわけ大阪弁をこよなく愛しているのに、何を気取って標準語なんか喋っているのでしょう?

わたしは魂を売ってしまったのでしょうか?


…と、自分の大阪人としてのアイデンティティを、時々疑っていましたが、どうやらこれは、わたしだけの症状ではないようです。

関西の旅友に聞くと、けっこうこの症状に冒されている人がいるのです。そして、「うん分かる!めっちゃよく分かるで!」と、ものすごく共感し合うのでありました(笑)。


大阪の言葉はキツイとよく云われます。

わたしも、大阪弁はどこの言葉にも負けない強さ(図々しさ)があると思っています。

それが、こんな風に”大阪弁が引っ込む”のは、何だか不思議です。

もちろん、中には東京だろうかアフリカだろうが、どこにいても大阪弁(関西弁)の人がいます。

そういう人にわたしはなりたい、のですが…。


あまりに標準語を崩さないもので、時々「関西弁で喋ってよー」なんて云われることもあります。

しかし、許可(?)を出されれば出されるほど、出てこないのですよねー…。

何とか大阪人らしさを出そうと、せめてアクセントだけでも大阪風に…なんて意識しだすと、ますます変になって、まるでエセ大阪人が喋っているように聞こえてしまうのが、実に情けない限り。

関西圏でない人が、嬉しがって関西弁を喋っているのを聞くと、「何も無理せんでも…」とげんなりしてしまうのですが、自分がまさにそれみたい…って、本当に関西人なのに(涙)。


しかし、地元に帰って、大阪および周辺の友達と話すと、ちゃんと関西弁になるんですよね。

(もっとも、帰国直後は、ちょっと怪しいと指摘されたこともありますが(苦笑)。)

スイッチが切り替わるというのかなあ。

そして、やっぱり関西弁を喋っている自分は、より素の自分になれるというか、すごく素直に話せる。

ああ、これこれ、この感じ、って思うのです。たかが標準語と関西弁の差なのにねえ。


うーん、上京後のあれこれを書こうと思ったのに、何でこんな話になってるんだろ?

まあいいや。

え?就職?…その話はまた来世紀。