2024.01.31(水)
少しづつ 寒さも和らいできたような心地です。
散歩中の日差しは柔らかく、少し汗ばんでもきます。春を待っている植物たちも輝いてみえます。
すでに 満開の紅梅 と 遠慮がちな白梅
午前中の用事が終わり、久しぶりに東の方面へ気分転換に向かおうと車を走らせました。月末にも関わらず、幹線道路も山沿いの道もあまり混雑はみられません。
必ずこの方面にきたら行きたくなる場所があります。◎◎ピーナッツ屋さん
久しぶりに買い物ができるな~と北へ向かっていると 信号待ちをしている時、なにか引き寄せられるような不思議な感じがして首を巡らすと 「大和神社」と大きな案内が見えました。道は細くて車での通行は厳しそうでしたが、行ってみたいと思いました。奈良に住んでて 「大和」は見慣れて、聞き慣れてもいますが、行ってみてびっくりしました。
「大和神社」は「おおやまとじんじゃ」と読みます。
人家と畑が広がる中にありますので、今まで気づかず通り過ぎていました。
”日本最古”とあります。歴史に疎いので この神社の詳細は語れませんが、「万物の生育、発展、健康増進、家門繁栄、五穀豊穣、殖産工業の発展を司る」とあり、上古より、海外渡航の交通安全の守護神であると記されていました。
境内に 「戦艦大和博物館」がありました。
なぜここにあるのか不思議に思い中に入ってみました。中には、戦時中のいろいろな資料とともに、世界最大最強を誇る「戦艦大和」の雄姿がありました。
全長263Mで排水量64000トン、口径46cmの主砲、装甲の厚さ この3つで世界一。
今も、長崎県沖に眠るそうです。船体の大きさを考えると、何千人もの乗組員の方も亡くなられたのだと思うといたたまれない気持ちになりました。
なぜ この奈良の地にある神社に「戦艦大和 乗組員の慰霊碑」や博物館があるのかを いただいた資料で見てみました。
「大和神社の神は、戦艦大和の艦内に分祀(ぶんし)*1)されていた。当時、日本海軍の軍艦の内部には必ず艦名に因んだ神社から分祀することが多かったのである。しかも、大和神社の祭神は、武勇の神、破邪顕正(はじゃけんせい)の神であることに加え、航海神の性格を持っていた。」*1)本社と同じ祭神を、別に神社を設けること
心を込めてお参りしました。
境内にほっこりの場所がありました。
”樹齢300年以上の楠の中腹に松が寄生して現在も元気です。松にあやかって元気で・・”とあり
”おみくじを結ばないで 桜が痛がっています” とあり ほっこりしました。
参拝後、のほほん と毎日を送っているこの身でなにか出来ることはないか 今やれることを心を込めてやろうと 改めて思いました。