良美











ケロイドで上唇が無い男が廊下で正座している。
時々深々とお辞儀をする。宗教に縋っているのか。

蝶の様に両手を羽ばたかせて踊っている少女。
宇多田ヒカルの忠実なコピー。幾重にも重なった上瞼は半開きのままだ。

署名活動に専念している措置入院の女。
明らかな躁転の兆候で、見開いた瞼に瞳が微動を繰り返す。

一番うるさいのは、生活保護を受けていたオバさん。
人の陰口でしか孤独を癒せない。こいつは使えそうだ。

ここはC3一般病棟。徐々に隔離解除され、個室を与えられた。
朝は5時に起床して、喫煙所の開く6時までロビーでコーヒーを飲む。
時々見回りの看護師に早すぎると注意されるが、騒がなければ問題はない。

朝の煙草の煙は寒暖の差によって発生した霧の幻想的な光景の中に溶けていった。
この世界が本当で、強化ガラスの中は繭だ。精神を病んだ者達にとっての再生の場所。

しかし、誰もが居心地が良い訳では無い。
帰れる場所が有り、受け入れられる条件を満たされている患者など殆どいない。
だから現実世界と距離を起き、一先ず忘れた振りをして、出来るだけ寂しくないように
当り障りのない態度で、媚を売って好かれようと努力する。

辛い体験に同情し、苦悩を分かち合い、慰めあっているだけの関係。
幾つかの派閥が有り、主導権を握った者は、
現実から逃避した哀れなお山の大将だと言う事にさえ気づかない。

退院してからの地獄の日々の為の準備期間を怠って、何処へ帰ろうと言うのだろう。
現実世界に踏み出す勇気さえ、気力さえ無く、同病相哀れんで繭の中でのうのうと
全てを病気のせいにして、反論者など排除して、自分の世界を強固にする。

そんな部類の人間を人格操作するのはいとも容易い。
薄っぺらな浅はかな奴ほど、化けの皮は剥がしやすい。

看護師も精神科医も原理は同じだ。
痛点を突き刺し、穴を広げる。慌てた隙に脳にダメージを与え精神を崩壊させる。
その手段はランチェスター戦術の如く無数に存在する。

ラウンジのテーブルには、お気に入りの患者を加えて食事をした。
他愛も無い雑談から、病名と性格の弱点を把握した。

オセロやトランプを興じて患者を惹きつけ、洗脳してゆく。
此処がどんなに酷い病院で、劣悪な環境に置かれているか。
精神科医がどんなに無能で怠惰な事か。

看護スタッフへの反発。主治医への不信感。
たちまちC3病棟は烈火のごとく炎上し、
逃げ道を失った者達は木村副院長に縋るより術はなかった。



さて、準備は良いかい?



俺は躊躇せず、人を殺せる。








【C3病棟@】闘病記
 

イエスの涙



風 蘭
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