●「いいがかり」「いちゃもん」「難癖」の典型的な例

「言葉遊び」の中でもっとも「最悪」なものが「ありがとう」や「ありがとうございました」問題である

筆者は過去に「仮病」の偽者患者にただ右から左へ弁当を運ぶ「誰でも出来るお仕事」に毎回「有難うございます」とだけ告げて対応していた

玄関口で会う時間はわずか十秒もなく話しもいつもそのひと言でしかないのにそれでも「言いがかり」をつけ言葉遊びをしてすり替えた

連中には「かもしれない」とか「大丈夫」とか相手に少しでも甘く見えるとつけあがりむしろ逆に口実にしてくる異常者集団である

筆者が当時実際に使った言葉とは「有難うございます」のひと言だけでそれ以外の言い方は一切関係ないことをここに「暴露」したい

 

●妄想から生まれたドラえもん

いまとなっては超有名な「ドラえもん」の話しをしたい
ドラえもんは昔の世代のマンガなので人によって受け取り方が相当違うはずである

私が知っていたのは「ドラえもん」がダメ人間の「のび太」にありえないアイテムを与えて助けてあげようとするもののいつもドジをして失敗してしまう実にワンパターンな話しだった
ハッキリ言って遅すぎだがとにかく最後には自分の力で自転車が乗れるようになってめでたしめでたしで終わったと思っていた

もちろんドラえもんがアニメの歌にもある「未来の世界のネコ型ロボット」であることなど知る由もない
ドラえもんとはそもそも「未来ののび太」が完全に「後の祭り」である「自分の過去」を良くしようと書き換えるために送り込んだなど想像さえしなかった

少し調べてみると「未来ののび太」と聞いた話しが「のび太の子孫」に変わっている
のび太が成長した程度の年月ではドラえもんのアイテムなどありえないと思っていたため疑問視していた

後に続々と新情報が入ってくることで単なるいちマンガに過ぎなかった程度のドラえもんの評価はまるで様変わりした

間違いなくその後の読者たちが自分で気づく前に先にネタバレをして教えることで「当初の意図とはまるで違う状況」に作り変えまるで「別作品」にしてしまったとさえ言える
ちなみに「ドラえもん」の「え」の字さえ当時とは違っていたことに気づいた

今の世代の若者が本当の意味でどのように受け取っていたのか非常に興味がある

■ドラえもんのうた■

こんなこといいな できたらいいな
あんあ(な)ゆめ こんなゆめ いっぱいあるけど
みんなみんなみんな かなえてくれる
ふしぎなポッケで かなえてくれる

・・・・・・・

本当に「悪魔」が存在すれば「悪魔に魂を売り渡す」者がいたとしても不思議ではない

「悪魔」の力を借りてまで「夢」と称した「妄想」を叶えようとする

自分の周囲の「人間」の中に人間のフリをした沢山の「化け物」が紛れ込み潜んでいた
まるで「SF」か「ホラー」映画のような話だが何も知らない無知な連中が仮病やつじつま合わせで事実を否定出来るだろうか

「エクソシスト」と言う日本でも有名な「映画」がある

「エクソシスト」(Exorcist)とはキリスト教のカトリック教会の「悪魔祓い」をする司祭のことで「実在」した人たちである
もちろんプロテスタントにも同様の「悪魔祓い」が存在する
「悪魔」の問題は世界的なレベルで登場しはるか古代から猛威をふるっていた

現代科学とは宗教(キリスト教)から離れて独自に世界を解き明かそうとした道具とも言われている
意外にもこの「科学」に基づいて徹底的に駆使することで発展させた独自理論をつけ加えれば十分にこの難問を「証明」できる範囲の話だった
 

●ダメ人間とたかるだけの人生
 

■ひとりの小さな手■

ひとりの小さな手
何もできないけど
それでもみんなの手と手を合わせれば
何かできる
何かできる

・・・・・

「文部省」に支配された小学校の「音楽」で強制された楽曲は数多い
筆者が過去に「曲」だけで「歌詞」を無視し意味さえ考えなくなってしまった原因のひとつとも言える

現実は「文殊(もんじゅ)の知恵」ではなく「烏合の衆」である
ダメ人間がいくら集まろうとダメ人間に変わりはない

学校ではなぜか「班単位」のグループ活動と言う強制が当たり前のようにさせられた
そのせいで厄介な足手まといが同じ班になった覚えはみなあるはずである

学校の「役目」も「成績」もすべて「個人単位」のはずなのになぜか無関係な「団体競技」を押しつける

自分では何もできない「ダメ人間」はいわゆる「出来る人間」にたかろうとする
この様な「ダメ人間」が社会の寄生虫となり楽して甘い汁を吸おうとする

日本を「美化」したり偉そうな自慢話しをしている連中がいるが「日本国」は筆者が生まれる丁度その前に「借金生活」をはじめた
いくらでも「借金」して構わないならどんなダメ人間だって「その金」で何か出来るし何かしたように思える

日本人である限りどんなに個人的に努力した「成功者」であってもみな巻き添えでいわゆる「負け組」にされていた

自分では「何もできない」「ダメ人間」は過去の成功体験を元に「赤の他人」にたかり何かしたつもりになりたいのである

日本の歴史を振り返ると個人的には研究が不十分ながらその結果は日本史の専門家と同意見の結果に落ち着いている


 

●文部省と日本国憲法の関係

実は何かを記そうとすると関連した山ほどの派生した事柄に触れなければならず本当に際限がない
このため抑えるべき要点のみで述べていた訳だが前にあれほど糾弾した文部省問題も何かあると察した方がいたのではないかと思う
そこでその点を少し補足したい

「日本国」の問題とは「日本国憲法」問題でもある
「憲法」は「文部省」の主張を聞いても絶対にわからないと思うため指摘すると実は「独立国」として承認されるには憲法が「必要不可欠」なのだ
その「日本国憲法」を文部省は「國民ぜんたいでつくった」と主張した

実際は「日本国憲法」は当時の占領軍支配下の「連合国軍最高司令官総司令部」(GHQ)が作り詳細な話しまで残されている
「素人集団」が作ったと言う中傷もあるがそもそも憲法を立案する専門家など普通はいない
「GHQ」は具体的には世界の憲法を調べ上げそれを参考にして作成したと言う
とはいえかけられた時間は非常に短く限界はあったそうである

日本国が「独立する前提」となる憲法さえ文部省は当時から国民を騙そうとしていた


もうひとつは日本の国家元首の問題である

第一章 天皇

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

有名な「象徴天皇」と呼ばれる条文だが「象徴」とはどのような意味であるのか意外と知られていない

実は「象徴」とは「symbol」の日本語訳だった
本来であれば「symbol」の意味を問うのならば正しいが日本語の「象徴」の意味から探ったら見当違いの方向へ行きかねない

やはり際限が無くなるため憲法問題もこの辺にするが機会があればまた関連してつけ加えたい

 

●濡れ衣事件と言葉遊び

いわゆる「濡れ衣事件」以降「言葉遊び」が迷惑を超えた氾濫の仕方をした
迂闊にものを言うと「思わぬ意味」にとられかねないため注意が必要となる厄介な話である
この様な「言葉遊び」の類は昔から結構頻繁におきていた

かなり昔になるがふと「いじめ」と言う言葉はいつ誕生し使われ出したのかと疑問に思った
ある時期から聞くようになったような気もするが意識などしていないので何とも言えなかった

そしてついに思い出した
「いじめ」とは正しくは「弱い者いじめ」のことだった
いつしかこの「弱い者」を抜いて「いじめ」とだけ語られるようになったらしい

だから「いじめ」の対象はいつも「弱い者」で「強い者」に対しては絶対に逆らわない
「いじめ」と言う言葉や概念を持たなくても「弱い者」は常になめられ酷い目にあわせられる

日本と言う国は少々おかしく聞いた話では学校での「いじめ」は学校が認定してはじめて認められるような妙なルールができあがっていた様に思う
前例が出来上がると後の者がそれに従わないといけなくされてしまう
本当にこんな状態でいいのかと疑問でならない

皆様は事件とは関係なく「自由」にものが言えるようになることを切に希望する
 

●新聞の購読データー

読売新聞

昔は発行部数1000万部を誇るいわゆる新聞の定番と見なされていた
しかし読者の多くが読んでいたのは実は「テレビ欄だけ」と揶揄されてもいた

赤旗

元両親が「日本共産党」の機関紙で収入源でもある赤旗を突如いつもの発作で一時的に購読
小学生の低学年頃だが少し読んだところ何かありそうで何もなかったような覚えがある

読売新聞

やはり小学生の頃読売だけでなく「朝日新聞」や「毎日新聞」にも興味を持ち元父親に単なる購読話しをすると朝日新聞は「エリート」だからとかすごい剣幕でどなりちらし否定した

日本経済新聞

元兄が就職活動のために読売から変更し購読

朝日新聞

日経新聞がいらなくなると今度はなぜか朝日に変えたらしい

毎日新聞

筆者に理由があり元父親の反対を押し切って購読

ヘラルドトリビューン

最初は外国で購読したのがはじまり

サンケイ新聞

ネットで無料で読めた新聞で定期購読ではない

日本経済新聞

ヘラルドの代わりにお試し期間の結果だけで一時定期購読
購読のプレゼントでもらった冊子「情報源」は意味不明で失笑もの


 

●筆者の活動方針とありえない濡れ衣事件

筆者の活動方針は当初「世界」を中心に展開していた
書籍が「日本人向け」に執筆されたため日本の事も文明レベルでの対比で何度か登場するが基本は世界である点を明言している

ところがなぜか日本を意図的に「美化」して騙るおかしな連中の「事件」に巻き込まれ祭り上げられることになった
好き放題やった挙句「大失敗」し都合が悪くなると逃げ出して今度は「ひとりぼっち」などとまた私のせいにすり替えた

では連中とは無関係な筆者の元々の「活動」とは一体どこに消えたのだろうか
こんな単純な事実さえ思いつかないほど無能な連中ばかりだったからこそ何がおきても不思議ではなかった

事件からほぼ四半世紀が過ぎたがそれからの日本の歴史だけでもいいが連中は少しでも「自力」で何か分かっただろうか
元両親も愚かにも自分の過去である「半生」でさえ「自分」でまともに振り返り検証さえしようとしなかった

結局は「無能」がゆえに筆者をまともに「カモ」にさえ出来なかったように自分では何ひとつできず結局はすべて「口先だけ」だっただろう

元両親がいい例だが事件後しばらくして気が大きくなったせいか言い逃れが出来ない証拠の数々を山ほど残した
「悪魔に魂を売り渡す」と言うが人間などとっくの昔に捨てたはずなのにただの「一介の人間」を超えられなかった「無能さ」をせいぜい嘆くといいだろう
 

●日本国の建国記念日と真の戦争犯罪人

祝日の建国記念日といえば「2月11日」であることは筆者を除き多くの者が覚えていることだろう
実はこの日は「神話上」の日本の建国の日とされているだけでいまの「日本国」とは何ら関係がない

本当の「日本国」の独立・建国記念日とは戦勝国である「連合軍(国)」に許可された1952年(昭和27年)4月28日である

日本の「強制教育」では日常生活や実務とはかけ離れた役にも立たない知識を無理矢理「暗記」させて全部出来て当たり前の世界にしているがこんな基本的なことさえ教えもしない

官僚である「文部省」もやはり大日本帝国時代の「真の戦争犯罪人」の末裔で敗戦後も何ら処罰もされなかったためそのまま生き残りいま現在も自分に都合の悪い事はひた隠しにし国民を騙してすべてを他人のせいにしてうそぶいている

日本の学校教育では歴史の課程で「国際連合」(国連)と教えるが正しくは「連合国(連合軍)」のことである
実は過去に「翻訳」の段階で同じ[the United Nations]をある時は「連合国」またある時は「国際連合」と使い分けて訳すことを発見した

新世代の子供たちが何も知らないことをいいことにここまでウソをつき通しその後も騙し続ける連中である
世界中の国々に対して到底顔向けが出来る状態ではなく(本当の意味での)日本人だけがこの最悪な恥まみれの問題を早急に解決すべきである

(これまでの記事も単なる要約に過ぎず実際はこの程度では済まないことはお断りしておく)
 

●迷信と過去と恐ろしい現実

貴方はいわゆる「迷信」と言うものを信じるだろうか

現代的感覚から考えたらありえない話しだが残念ながらこの問題点を知らなければ世の中を正確に把握できないだろう

筆者は1966年(昭和41年)の生まれである
どうでもいいようでいて重要なのはこの年が「丙午(ひのえうま)」の年に当たることである

実は「丙午(ひのえうま)」に生まれた「女の子」は好ましくないと言う「迷信」があった
年代別の人口統計を見れば一目瞭然だが年々子供が増加していく中でこの年だけが激減している

つまり当時「子供を産む世代の親」の多くがみな何ら根拠のない「迷信」に従っていたと言える

この子供の「親が生まれた世代」とは大東亜戦争(日中・日米戦争)の末期か敗戦後の混乱した非常に難しい時期に当たる
筆者の元両親も同様であり「大日本帝国」で生まれで「連合国占領下の日本」で育った
その後の新たな「日本国」(正式名称)の人間ではない

戦争もそうだが「当時の事は当時の人間の間で解決するのが筋」である

「元父親」は筆者を酷い目にあわせて逃げ出した言い訳としてはるか後に「戦争に負けて転んだ」ことを理由として脈絡もなく突如言い出した
騙されないで欲しいが昔の大日本帝国人はほとんど死に絶えて当時大人として存命しているのは現在の年齢でほぼ100歳以上が目安となる

恐ろしいことに身の回りにいた人間が同じ日本人だと思うのは間違いで「頭の中」がどうなっていたかわからない
さらに敗戦後教育とやらで大量生産された子供たちは一体どうなってしまったのだろうか

少なくとも過去の「迷信」は消え去るどころか形を変えることでその後も脈々と引き継がれていたのだった
 

●記憶障害と人間もどき

我々の身近には「常識」では考えられないほど「何も覚えていない」ものたちが存在する
記憶がないと言うと「医学的」に一般的な事例を想像するだろうがここで取り上げるのは全く別物の話しである

全てを忘れてしまうのならともかくとりわけ自分に都合のいい「断片的」なデタラメな記憶だけは残っているため始末に負えない
前にあった事と関連する問題がおきたとしても「すぐに忘れる」ため話しが通じず逆に相手側を問題にして責めてくるような事例など珍しくない

「記憶」に根本的に「障害」があるため「人間」扱いどころか「動物」としてさえ認められないいわば「化け物」がこの世の中に潜んでいた
問題はなぜこの様な重大な「記憶障害」があるものたちがはびこる異常事態がおきていたのか

第一に着目すべき点は自分の周囲に人間の格好をした「人間もどき」がいてそのものたちがまともな記憶もないのに「ひと真似」をしてもっともらしく見せかけ自分もないのにやたら「自己主張」をして好き放題やっていた事実を改めて再認識し我々との違いを明確に「区別」していく必要があると思われる