ご先祖さまを辿る~岐阜県養老郡養老町へ~ | はったろうの『とりあえず・・・猫』

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猫が好き。猫がとても好き。だから、猫が大好き。でも、奈良も好き。

以前から、我が家のご先祖さまは何処に居たのか?

 

そんなことを考えたことってありませんか?

 

かなり前、父親に尋ねたところ、

 

「我が家のお墓と本家は養老にある。ただ、それしか分からない」と答えました。

 

養老と言えば「養老の滝」と「養老孝子伝説」「養老サイダー」。この3つが私の中の養老。

 

 

父親が名古屋市で出生し、祖父の代も名古屋だったことから、祖父の除籍謄本から先祖を辿る

 

ことが出来るはず・・・。そう思って8月15日、岡崎市に来る直前の住所地である名古屋市南

 

区役所を訪ねました。

 

 

ここで名古屋市の全部の区の謄本が取れるなんて、都会は便利だ。

 

そうして分かったことが・・・

 

①曾祖父の代に岐阜県養老町から名古屋市へと転居している。

 

②高祖父(ひいひいじいさん)の名前と住所

 

③曾祖父は二男だった

 

これを基にして、現在の養老町の地名を岡崎市の図書館で古地図と突合する。

 

あった!!

 

高祖父・曾祖父とも養老町白石という字名だった。でも高祖父と曾祖父の番地は異なっていた。

 

これは謄本にも記されていた。明治35年11月4日に本家から分家し、明治42年6月22日に

 

結婚していた。

 

 

さらに最近の地図を見てみると、我が家の宗派のお寺がこの地区にある。江戸幕府は宗派ごとに

 

檀家制度を作り、民衆を管理した。養老と言う場所は元号にもなっているし、なんと元正天皇が行幸

 

されている由緒のある場所なんだ。

 

養老へ行き、町役場で謄本を取り、檀家寺の過去帳を見せて貰えば・・・

 

 

夢がどんどん膨らんでくる。

 

目を付けたお寺へ電話をし、8月17日に訪問させていただくこととなりました。

 

 

そして8月17日、遂に先祖を辿るため高速道路へと車を走らせました。

 

 

まずは町役場で事情をお話しして、曾祖父と高祖父に関する除籍謄本があるかどうかを確認して

 

もらいました。実は除籍謄本は、最後の記録日から80年保存後廃棄処分されるそうなんです。

 

名古屋で取った除籍謄本から遡ると、曾祖父が養老町から転籍したのは120年前・・・。

 

でも、本家が残っていたならば、高祖父の記録が残っているかもしれない。

 

一縷の望みにすべてを賭けていました。

 

 

なんと、曾祖父の除籍謄本と、高祖父の除籍謄本があったんです。

 

曾祖父分は平成2年10月に再製されていました。でもこれによって、曾祖父が分家する時に、

 

曾祖父の妹(四女)が一緒に分家した世帯に入っていました。

 

そして高祖父の除籍謄本は・・・

 

何と明治政府の命令で初めて作られた時のモノでした。この戸籍は明治5年に作られていたので、

 

それより以前に、養老町にある大橋家に婿養子に入っていた!!!

 

高祖父のさらに上(高曾祖父ということもあるらしい)に大橋竹次の二女 志かの入り婿だった。

 

高祖父は天保14(1843)年11月23日生まれ。高祖母は嘉永5(1852)年2月14日生まれ。

 

では、住所地は何処になるのか?現在とは当然に異なる筈。

 

町役場の方と相談しましたが、法務局へ行って土地法典を見てもらうしかないと言われました。

 

それならば・・・

 

養老町の図書館へ行って、司書の方々に相談し、古地図を探してもらいました。やはり岡崎で見た

 

字名が一番疑わしい。

 

そこは養老の滝の近く、孝子伝説の地がある白石と言う場所。現在はこの字名は無いんです。

 

 

かつてこのあたり一帯を「白石」と呼んでいたことが分かりました。約束の時間まで1時間近く

 

あったので、養老の滝を見に行くことといたしました。

 

とりあえず、体いっぱいにマイナスイオンを吸収して駐車場へ戻り、4軒ほど並んでいる売店の

 

一つに入り、ソフトクリームを頼みながら、お店のおばちゃんに白石地区の檀家寺を探している

 

話しをしました。

 

すると、自分が目をつけ、今から過去帳を見せていただく予定のお寺とは別のお寺が、

 

この地域の檀家寺だと分かりました。

 

その檀家寺のことや、今のご住職は元教員だったことなど、いろいろなお話を聞かせてくれました。

 

 

養老公園内に建っている「養老寺」。ここの創建は古く、養老2(718)年。元々は法相宗のお寺だった

 

そうですが、鎌倉時代に天台宗へ改宗。しかし永禄5(1561)年、このあたりに7つの大きな寺が

 

あったのですが(多芸七坊・・・たきしちぼう)、織田信長の焼打ちに遭い焼失。寺領300石も取り

 

上げられたのですが、天正18(1590)年に仮堂再建と寺領復活が認められ、慶長12(1607)年

 

浄土真宗大谷派へと改宗し、現在に至っているそうで・・・

 

だから、檀家もお墓もない・・・

 

 

とにかく人の好いご住職で、2時間の余、お話しし続けてしまいました。ご住職になられた時、

 

このお寺には十一面観音をご本尊にした本堂と、秘仏となっている不動明王が祀られている

 

不動堂の二つがあったそうですが、本堂は仮堂のまま経年し、痛みも酷く、屋根も傾いてきたため、

 

平成26年に取り壊されたそうです。

 

そのご住職からも、この地区の檀家寺はこことは別にある真宗大谷派の寺院、正慶寺だということが

 

分かりました。

 

正慶寺へ向かう途中の山道から濃尾平野が一望できます。

 

 

アポイントも取らず、飛び込みでお話を聞きに行ってしまいましたが・・・、こちらが檀家寺の

 

ようです。夕方、此処から離れた場所にある墓地の六地蔵のお祭りの準備でお忙しい中、

 

お話を聞いていただきました。

 

残念ながら、ご住職の記憶の中に「大橋」という家は全く存在しませんでした。過去帳を

 

見せて欲しい旨をお伝えしましたが、個人情報の問題があるからすべてお断りしている。

 

(子孫だし、それを証明する謄本も見せてお話ししました。本来なら過去帳を見る権利は

 あるんです。過去帳はお寺が管理していたものの、かつての戸籍と同じですから)

 

でも、高祖父の住所と名前から過去帳を探してくださることと、お墓の管理について調べて頂ける

 

約束をしていただけました。すると最後にご住職が、

 

「今頃から、この近所のご老人方が祭りの準備で墓地に見えるから、土地の事はその方々に

 

 聞いてみたらいいかもしれないですよ」って教えてくれました。

 

墓地の場所は分からなかったけど、多分、住職が指さした方向へ行けば見当たるのではと車を

 

進めたら、ありましたよ!!

 

 

養老山脈の麓に出来た扇状地に人々が集まって作られたのが養老町白石地区。このお墓はまるで

 

棚田のように段々になっています。地元のご老人方によると、この墓地には1軒だけ「大橋」の家名の

 

お墓があるそうで、場所を教えて頂けました。上から2番目・・・、分かり易い。

 

日が傾き始め、西日がジリジリと肌を焼きつくような日差しに向かって墓地を上がって行きました。

 

教えて頂いた上から2番目の場所。そこには3基のお墓があり、2つはまだ新し目な御影石の墓石。

 

家紋を見たら「下がり藤」。我が家は確か「上がり藤」。残り一つは石の質も悪く、かなり汚れている。

 

 

表側に「先祖代々之墓」って書いてある。まだ2日も経っていないお花が供えてありました。

 

おそるおそる裏側を見てみました。

 

 

そこに刻まれていた人名こそ、「曾祖父 光造」って・・・。でも一人だけしか名前が書いていない。

 

その時、ふと母親の言葉を思い出しました。

 

「この人(父親)が小さい時に養老で、長男だからって葬式の車を引かされた」って・・・

 

父親からは「お寺に近い所にお墓があった(お寺の境内地、隣地に墓が無かった)はず・・・」って。

 

間違いないよ、絶対に!

 

養老の山に見守られるように、そして濃尾平野、あるいは手前の大垣市を見下ろすかのように

 

お墓は建っている。

 

ひいじいちゃん、さぞかし眺めがいいだろうね。

 

でも、明治に名古屋へ転籍したはずの曾祖父のお墓が、どうして此処にあるのか?

 

岡崎に墓を建てる時に「養老から分骨した」って言った父親の記憶・・・

 

 

そうそう、養老町は今、元号が養老に変わってちょうど1300年を迎え、いろんなイベントが

 

開催されています。街中にポスターも・・・

 

 

岐阜県出身のモデルの鈴木ちなみさん。11月3~5日に、養老の滝がある養老公園へ来られる

 

そうです。この格好は、行幸された元正天皇をモデルにしているそうです。

 

帰宅後、あらためて謄本類を細かく見てみたら、本家の高祖父も昭和3年に名古屋へ転出している。

 

曾祖父も祖父に家督を継がせた後、名古屋の別の町へ転居している。

 

名古屋市の除籍謄本が足りなかった・・・。

 

夏休み中に、もう一度名古屋の区役所へそれらを取りに行ってきます。

 

でも6代先まで先祖を遡られたってことは奇跡に近いと思います。

 

 

2時間の余お話をした養老寺のご住職に妙に気に入られて、「10月と11月に収蔵庫を開扉するから、

 

是非とも来てほしい。これもなんかの縁だわ。何か知らないけど、あんたのこと、妙に気に入った」って。

 

 

みなさんも一度、ご先祖様について調べられると面白いですよ。

 

 

                                                       (は)了