昨日、1年ぶりくらいかなぁ・・・
久し振りに、「岡崎行基さんの会」へ行ってきました。
そもそも、「行基さん」って誰?ってなことに普通はなりますよね。
行基は奈良時代の民間のお坊さんです。聖武天皇が大仏を作るときに民衆の力を結束させ、
主に様々な土木工事を行ったとされる方なんです。
続日本紀によると、元々は奈良 薬師寺の僧侶で、その末寺である喜光寺で入滅されたと記述が
あるんです、
その喜光寺のご住職であり、薬師寺の管主(かんす=住職)である山田法胤大僧正が2ヶ月に1度、
岡崎市で法話をなされているということで、10年前から時折その法話を聴きに行くようになり、
今ではご縁を頂戴し、顔を見ただけで名前を呼んで下さる間柄となりました。
10年前・・・
心を壊して会社を休職して1年目。以前より法胤先生のお名前は存じ上げていたし、話がとにかく
面白い。何度か薬師寺で法話は聴講させて頂いていたので、思い切って出掛けてみたのが
2006年1月だったと思います。
その後我が家に長男が・・・
始めは「新之助」という名前にしたのですが、思い切って先生のお名前を拝借して「法胤」と名付け
寵愛しました。それが法たんです。
その年の9月も行基さんの会で先生にお名前を拝借したことを述べ、その使用を認めていただきました。
はったろうと、とても偉いお坊さん 山田法胤先生との夢のコラボレーションが実現しました。
「チューチューと嘆き悲しむ声聞けば ねずみの地獄猫の極楽」
これは平成26年5月に行われた玄奘三蔵会のお知らせに入っていた印刷物。ここにその川柳の
意味が書いてあります。
先生は拙い絵を見て、「これにピッタリの川柳があるから」と言って、色紙に書いてくださりました。
喜光寺は奈良の西ノ京、菅原の里にひっそりとあります。この本堂は大仏殿を作る前に試作品として
4分の1のスケールで作られたものと伝わっています。なお、この地菅原の里とは、学問の神様、
菅原道真公の祖先が生まれた里だと言われています。
ここで亡くなられた行基さんをお祀りするお堂を2年前に建立されました。法胤せんせいと行基菩薩像の
ツーショット。
法胤先生は岐阜県本巣郡の根尾村で生まれ、中学3年生の3学期から薬師寺に入山されたそうです。
つまり、今年でちょうど薬師寺に入って60年だそうです。
1940年生まれ。何の因果か、我が実父、昨年亡くなられたなあさんの実父と同い年。
とても気さくな性格なので、誰とでもすぐに心が打ち解けてしまう。こても先生の徳なんでしょう。
我が家も夫婦で先生とのご縁を大切にさせて頂いております。あの有名な奈良 薬師寺のご住職と
気軽にお話が出来るなんて、夢にも思わなかったです。
しかも・・・
我が子に・・・
すくすくと育った法たん。いつもは愛称で呼んでいます。至れり尽くせりのお坊ちゃまで育ったため
自分大好き、他の猫嫌いな性格です。
でも、他の子たちも法たんには一目置いています。
愛情で満ち溢れて、体まで膨らんでしまいました。
ご多忙な中、岡崎まで足を運んでいただいているのにもかかわらず、一人の我儘に笑顔でお付き合い
頂いた先生にはいつも感謝しかありません。
今年の夏、7年間勤められた管主を辞任なされるそうで、「薬師寺管主 法胤」と書かれた色紙は
貴重なものです。
岡崎に来られる前、11日には東北地方を慰霊の旅で回られ、昨日は熱海で法話をなされて岡崎へ
来られたそうです。
このご縁、ずっと大事にして行きます。
(は)了