4-4(1)空の子爵

  バイカウント744(1)

 久留米に住んでいた倉田さんは全日空の定期便、第一号の切符をもっている。

 昭和二十九年(1954年)二月六日大阪から東京に飛んだ時にはからずも「一番目」というコトになったそうである。搭乗券を見ると金額は四五00円なり、うち通行税が四0九円となっている。

 それから五年目のデータを見ると二五万人の人が全日空ラインを飛回ったことになっていたが、さらに四十四年度に移ると五四三万人と、うなぎ上りどころかジェット機の急上昇まがいに乗客数がふえた。一部エリートの空の旅行という風情は霧散して、スカイ・メートという割引も重なり、それは団地のバス発着所なみの空港の混雑となった。

 日ペリと極東航空が昭和二十七年十二月生まれてヘリコプターと小型機オースター・オートカーを使い仕事が始った。両者がそれから五年後に合併するわけだが、昭和二十八年十月十五日定期運送事業の認可をもらい、英国のデハビランド・ダブを使い日本人のパイロットによる戦後の定期航空便が始った。

 貨物に代って人間が飛行機に納まった第一号が倉田さんであったワケだが、八人乗りのダブから十五人乗りのヘロンへ移り、また四発機マラソンで二0人を運ぶなど大奮闘して昭和三十二年を迎えた。

 十二月一日は全日空発足の日であった。

 ダグラスDC3型九機が投入されてこれまでの輸送力をパワーアップした。だがこれまでの混成空輸部隊は三十四年度ガラリと一変したのである。それはコンベア400・メトロポリタンを二機幹線に投入したことであった。「東京・札幌一二0分」のキャッチ・フレーズはまだ目新しい想い出である。さらに、ターボプロップ機「バイカウント744」(註1)を札幌ラインに入れてジェット化の姿勢をつくった。例の”タバコが立ちます"で話題になった旅客機である。昭和三十五年七月イギリスからチャーターした「空の子爵」は大活躍した。三十六年、性能がガラリと向上した800シリーズが、八機そろい、札幌を始め宮崎、鹿児島へと翼を伸ばしたが、本格派ジェット機B727(註2)の就航で国内での活躍は終った。

 いまこの機体はインドネシアの空で働いている。(全文)

 

 註1) ターボプロップ機「バイカウント744」

 ビッカース バイカウント (VIKERS Viscounnt)

 イギリス、ビッカース・アームストロング社がブラバゾン委員会の提言をうけて民間航空会社向けに開発した低翼単葉4発ターボプロップ旅客機。名称の「バイカウント」は子爵の意。

 ビッカース社はブラバゾン委員会の提言をうけて、1945年からターボプロップ旅客機の設計を開始した。最初は4発のターボプロップエンジン搭載の24座席で、1,750マイル(2,816km)までの航空路線で200マイルmile/h(322km/h)で運用される旅客機として計画された。

 最初の設計では与圧(加圧)はなく、貨物スペースは床下としたダブルバルブ(楕円)の胴体で進められていたが、経済性の面で高度飛行が必要となり、与圧キャビンに設計が変更され円形断面の胴体とし、座席数を32席に増席し胴体を延長した。エンジンをロールスロイス ダートエンジン搭載して、1947年末、プロトタイプ「モデル630」が完成、バイカウント(子爵)と名付けられ、1948年7月に初飛行した。

 「モデル630」に対し航空会社から運用コスト削減の要求と、さらに乗客数の増加と速度の向上を求められた。ビッカース社では「モデル630」の胴体長さ、65フィート5インチ(19.94m)を74フィート6インチ(22.71m)と伸ばし、翼幅(全幅)が89フィート(27m)、座席数を53座席に増やし、巡航速度を308mile/h(496km/h)と向上させた「モデル700」を1950年8月に初飛行させた。

 「モデル700」は1953年4月から世界初のターボプロップ旅客機としてBEAで運用が開始された。さらに全長を7フィート10インチ(1.17m)延ばし、71座席とした「モデル800」が開発され、BAEはこの機体を20機発注、翌年にはエアカナダ、KLM、全日空など世界各国の航空会社に採用されていった。

 その後、他社の高速ジェット機の中短距離航空路線への進出で受注が減り、又イギリス製の中短距離旅客機 BAC1-11 の開発が進んだことからバイカウントは1963年に生産を中止した。生産機数は各型合計 445機。

 日本では、1960年(昭和35年)7月、全日空が「モデル700(744)」を2機、ビッカース社からリースして8月から、東京ー札幌線に就航させた。1961年(昭和36年)に「744」のリースを解約、6月から9月にかけて「モデル800(828)」、3機を導入、次いで1962年(昭和37年)2月までに「モデル828」、6機を導入、計9機でF27フレンドシップ25機と使い分け運用された。当時日本航空は国内線ではDC-4を運航していたが、1961年(昭和36年)、ジェット旅客機「コンベア880」を東京ー札幌線に投入。これに対抗して全日空は「ボーイング727」を導入することになる。「バイカウント」のラストフライトは1970年(昭和45年)10月。

 

 「ビッカース・バイカウント」 コンパクトに(ブリタニカ国際大百科事典より)

 イギリス、ビッカース社が開発した4発ターボプロップ旅客機。世界で初めてターボプロップエンジンを搭載した旅客機として1948年7月に初飛行。ピストンエンジン機に比べて振動や騒音が少ないことから乗り心地のよさでターボプロップ機の評価えお一挙に高めた。その快適さはこのイギリス機にほれ込んだアメリカ合衆国の航空会社に、アメリカ機はすべて手放すと言わせしめたほどで、日本の定期路線に就航したときも、飛行中にテーブルの上にたばこが立てられると評判になった。就航は1954年4月、イギリスの英国欧州航空BEAで飛び始め、アメリカでも多数が使われた。機内は与圧され客席数は当初の700型で40~48席だったが、のちエンジンの出力が強化されて機体も大きくなり、810型では57~65席になった。エンジンはロールスロイス ダートMk525 1,990hp x4。全長26.11m 全幅28.56m 総重量33,885kg 最大巡航速度575km/h 航続2,500km 各型生産数は440機あまり。

 

 バイカウント 各型

・モデル630: プロトタイプ(原型機) 座席数 32

         エンジン RRダート501 1,380shp x4

・モデル700: 最初の生産型 座席数 53

         エンジン RRダート506 1,381shp x4

・モデル700D: エンジン RRダート510 1,576shp x4

・モデル800: モデル700の胴体延長型 座席数 71

         エンジン RRダート510 1,576shp x4

・モデル810: 座席数 84

         エンジン RRダート530(525) 1,991shp x4

 

 モデル700(744) 諸元

 エンジン: ロールスロイス ダート506(504) 1,381shp x4

 乗員:2名~3名 乗客 46名~53名

・全幅: 28.56m ・全長: 26.11m ・全高: 8.15m ・自重:        ・最大離陸重量: 27,200kg

・巡航速度: 514km/h

 

 モデル800(828) 諸元

 エンジン: ロールスロイス ダート510 1,576shp x4

 乗員:2名 乗客 52名~76名

・全幅: 28.56m ・全長: 25.90m ・全高: 8.15m ・自重:         ・最大離陸重量: 28,200kg

・巡航速度: 515km/h

 

 モデル810 諸元

 エンジン: ロールスロイス ダート525 1,990shp x4

 乗員:2名+客室乗務員 乗客 75名

・全幅: 28.56m ・全長: 26.11m ・全高: 8.15m ・自重: 18,722kg ・最大離陸重量:30,617kg

・巡航速度: 566km/h 上昇限度: 7,600m ・航続距離: 2,276km

 

 全日空のバイカウント機

・G-APKJ(VC744):登録 1960年(昭和35年)7月 抹消 1961年(昭和36年)6月

             ビッカース社よりリース

・G-APKK(VC744): 登録 1960年(昭和35年)7月 抹消 1961年(昭和36年)10月

              ビッカース社よりリース

・JA8201(VC828): 登録 1961年(昭和36年)7月 抹消 1970年(昭和45年)10月

・JA8202(VC828): 登録 1961年(昭和36年)6月 抹消 1962年(昭和37年)11月

            昭和37年11月19日操縦訓練飛行中愛知県猿投町上空でスピン陥り墜落

・JA8203(VC828): 登録 1961年(昭和36年)9月 抹消 1970年(昭和45年)10月

・JA8205(VC828): 登録 1962年(昭和37年)4月 抹消 1970年(昭和45年)5月

・JA8206(VC828): 登録 1962年(昭和37年)5月 抹消 1970年(昭和45年)10月

・JA8207(VC828): 登録 1962年(昭和37年)6月 抹消 1970年(昭和45年)10月

・JA8208(VC828): 登録 1962年(昭和37年)10月 抹消 1970年(昭和45年)8月

・JA8209(VC828): 登録 1962年(昭和37年)11月 抹消 1970年(昭和45年)5月

 1965年(昭和40年)からボーイング727を導入、バイカウントは1970年(昭和45年)10月には全機が引退した。

 

 ブラバゾン委員会 (ウイキペディアより)

 1942年12月(第2次世界大戦中)、イギリス帝国の将来の民間旅客機及びその市場の需要を調査するために設立。ジョン・ムーア=ブラバゾンの主導の下に会合を始めた。その最終報告書は委員と国有航空会社で後のブリティッシュ・ヨーロピアン(BEA)の英国海外航空(BOAC)のメンバーによって調査されたⅠ方式~Ⅴ方式の5種類の機体の開発を進言した。

 Ⅱ方式は短距離路線でDC-3やデ・ハビランドDH89を更新することが想定されたが、BEAはより大型で大容量の設計を求めた。Ⅱ方式は後にピストンエンジン式のⅡA方式とターボプロップエンジン式のⅡB方式の2つの設計に分割された。ⅡA方式はエアスピード アンバサダーとして開発、ⅡB方式はビッカース バイカウントとして開発された。(Ⅳ方式からデ・ハビランド社で開発されたのがDH106コメット)

 

 ビッカース(Vickers PLC) (ブリタニカ国際大百科事典と日本大百科全書より)

 イギリス最大級の重工業会社。1867年、製鉄業者 E・(エドワード)・ビッカースによってビッカース・ソンズ・アンド・カンパニーとして設立され、イギリス軍の兵器製作を担当して急成長。19世紀末にはノルデンフェルト兵器会社、機関銃のマキシム鉄砲会社と合併、さらに1927年、火砲メーカーのアームストロング(1846年設立)と合併してビッカース・アームストロング(社)と改称、世界最大の兵器会社として知られた。1980年には有名な自動車メーカーのロールスロイスモーターを吸収合併したが、1998年ドイツの自動車メーカーのフォルクスワーゲンに売却。また1981年には翼下のボトリングがアメリカのミラーハイドロを買収、同1981年、社名をビッカースと変更、レーシング用エンジンが主力の自動車部門、戦車を中心とする防衛機器部門、世界最大級の船舶用エンジンや航空機タービンエンジンなど推進システム部門からなった。1999年、イギリスのロールスロイスに買収された。

 2002年、ロールスロイスはビッカースの軍事部門をアルビス社に売却し、アルビス・ビッカース社に変更した。しかし同社は2004年にBAEシステムズ社に売却されたためビッカースの名前は消えた。またロールスロイス傘下のその他のビッカースの事業は2003年にビンタースと名称を変更している。このようにして由緒ある「ビッカース」の正式社名が歴史から消えることになった。

 

 註2) 本格派ジェット機 B(ボーイング)727

 ボーイング727

 アメリカ、ボーイング社が民間航空の中短距離路線用に開発した低翼単葉3発ジェット旅客機。

 1956年6月、ボーイング社はそれまでローカル線で運用されていたダグラスDC-4やコンベア440等のレシプロ旅客機の後継機として先に自社で開発されていたボーイング707より搭載力(乗客収用力)の小さい中距離用ジェット旅客機の開発を開始した。

 設計は「707」の胴体の基本設計を流用し、ローカル空港での発着が可能な機体を、エンジンはP&W JT8Dターボファンエンジンを採用、機体後部に3基のこのエンジンを搭載、水平尾翼を垂直尾翼の上部につけたT字尾翼とし、主翼に強力な高揚力装置を取付け、STOL性を確保した。機体は1963年7月、「727」として初飛行させた。(当初、727-100には-100はなく、1967年に-200が生産されたため、それ以降それまでの727に-100が付けられ区別された)

 路線に就航したのは1964年2月、アメリカ、イースタン航空から始まり、その性能の良さで世界各国の航空会社からボーイング社に発注が相次いだ。

 その後、航空会社からの座席数増加の要望で1967年に胴体延長型(ストレッチ型)、727-200を開発、727-100、-200 は中短距離路線で使用されていたボーイング707やダグラスDC-8、コンベア880 などの初期ジェット旅客機の代替機となった。

 727-100は1973年に生産を終了。727-200 は767、757 の生産を本格化させるため、1984年に生産を終了した。727 の生産機数は 1,832機にのぼる。

 日本では、1960年代前半、日本航空(日航、JAL)と全日本空輸(全日空、ANA)の二社は東京ー札幌線を中心に利用客獲得のため激しい競争を行なっていた。この競争を有利に導くため、二社はそれぞれ新型中短距離用ジェット旅客機の導入を検討していた。

 ジェット旅客機を持つ日本航空(JAL)とは別にジェット旅客機導入の経験もなく、整備面も脆弱な全日空(ANA)はジェット化にあたり安全確保の面が懸念されたことから、運輸省は「国内線用ジェット旅客機は同一機種を使用すること」と通達、指示した。機種は ホーカーシドレートライデント、ダグラスDC-9、BAC1-11 も候補に上げていたが、二社は ボーイング727-100 を選択した。

 日航(JAL)と全日空(ANA)は1964年(昭和39年)1月に1965年(昭和40年)納入予定で揃って機体を発注したが、全日空(ANA)は1964年(昭和39年)5月にユナイテッド航空から機体、乗員をチャーターし、東京ー札幌線に臨時使用機として投入、日航に先行した。自社(全日空)発注機は1965年(昭和40年)3月に到着。1964年(昭和39年)4月に発足した日本国内航空も2機を発注、1965年(昭和40年)5月に納入された。日航は1965年(昭和40年)7月に納入された。

 その後、全日空は胴体延長型 727-200 を採用、1969年(昭和44年)にアメリカ、航空会社からリース、自社発注機は1971年(昭和46年)から導入を始めた。

 合計導入数は全日空(ANA)が43機(-100型 12機 -200型 31機)。日航(JAL)が-100型 20機。日本国内航空(JDA)が2機。

 日本国内航空(JDA)の 727-100 は東亜国内航空(TDA)となった後、1974年(昭和49年)に退役。

 日航(JAL)の 727-100 はチャーター専用機として残った2機を除いて、1975年(昭和50年)までにすべて退役。残る2機は1987年(昭和62年)に退役。

 全日空(ANA)の 727-100 は1975年(昭和50年)までに全機退役。727-200 は1984年(昭和59年)から退役が始まり、1990年(平成2年)4月のラストフライトで全機が退役した。

 

 ボーイング727 各型

・B 727-100: 初期生産型 座席数 149(最大)

         エンジン P&W JT8D-1 x3

・B 727-100C: 貨客両用型

・B 727-100QC: 貨客急速転換型

・B 727-200: 胴体延長型 座席数 189(最大)

         エンジン P&W JT8D-9 x3

 

 ボーイング727-100 諸元

 エンジン: P&W JT8D-1 6,350kg x3

 乗員:3名 乗客 149名(最大)

・全幅: 32.92m ・全長: 40.59m ・全高: 10.36m ・自重:      ・最大離陸重量: 69,000kg

・最大速度: 1,052km/h ・巡航速度: 880km/h ・最大運用高度: 12,800m

・航続距離: 3,100km

 

 ボーイング727-200 諸元

 エンジン: P&W JT8D-9 6,580kg x3

 乗員:3名 乗客 189名(最大)

・全幅: 32.92m ・全長: 46.70m ・全高: 10.36m ・自重:        ・最大離陸重量: 83,823kg

・最大速度: 1,052km/h ・巡航速度: 880km/h ・最大運用高度: 12,800m

・航続距離: 2,170km

 

 日航(JAL)のボーイング727-100

 全日空と運用機種を統一、全日空と同時に1964年(昭和39年)1月にボーイング社に727-100型機、12機を発注。1965年(昭和40年)から納入が始まり、1969年(昭和44年)までに16機を導入、国内線に投入。その後、ボーイング737-200やDC-9が導入されたため、多くの機体は1975年(昭和50年)には退役した。最後に導入された2機は、新潟ーハバロフスク線を中心とした国内、国際線の臨時便やチャーター便などで運用され、1988年(昭和63年)退役した。

 購入機

・JA8307(B 727-100) とね: 登録 1965年(昭和40年)7月 抹消 1972年(昭和47年)7月

・JA8308(B 727-100)かも: 登録 1965年(昭和40年)11月 抹消 1972年(昭和47年)7月

・JA8309(B 727-100)ちくご:登録 1966年(昭和41年)1月 抹消 1972年(昭和47年)11月

・JA8310(B 727-100)いしかり:登録 1966年(昭和41年)1月 抹消 1972年(昭和47年)10月

・JA8311(B 727-100)きそ: 登録 1966年(昭和41年)2月 抹消 1972年(昭和47年)12月

・JA8312(B 727-100)とかち:登録 1966年(昭和41年)4月 抹消 1972年(昭和47年)9月

・JA8314(B 727-100): 登録 1966年(昭和41年)3月 抹消 1975年(昭和50年)11月

        日本国内航空(JDA)が導入、国内移籍 日航(JAL)-東亜国内航空(TDA)

          天女(JDA) てんりゅう(JAL) かいもん(TDA)

・JA8315(B 727-100): 登録 1966年(昭和41年)4月 抹消 1976年(昭和51年)3月

        日本国内航空(JDA)が導入、国内移籍 日航(JAL)-東亜国内航空(TDA)

          羽衣(JDA) よど(JAL) たかちほ(TDA)

・JA8318(B 727-100): 登録 1966年(昭和41年)7月 抹消 1974年(昭和49年)8月

        日航(JAL)が導入、国内移籍 東亜国内航空(TDA)

          たま(JAL) ふじ(TDA)

・JA8319(B 727-100)きたかみ: 登録 1967年(昭和42年)2月 抹消 1975年(昭和50年)3月

・JA8320(B 727-100)さがみ: 登録 1967年(昭和42年)2月 抹消 1974年(昭和49年)4月

・JA8325(B 727-100)しなの: 登録 1967年(昭和42年)12月 抹消 1975年(昭和50年)9月

・JA8326(B 727-100)くまの: 登録1967年(昭和42年)12月 抹消 1988年(昭和63年)2月

・JA8327(B 727-100)くろべ: 登録1969年(昭和44年)1月 抹消 1988年(昭和63年)2月

リース機

・N690WA(B 727-100):1970年(昭和45年)8月~1975年(昭和50年)3月

                ワールドエアウエイズよりリース

・N691WA(B 727-100):1969年(昭和44年)3月~1973年(昭和48年)1月

                ワールドエアウエイズよりリース

・N692WA(B 727-100):1969年(昭和44年)8月~1970年(昭和45年)7月

                ワールドエアウエイズより短期リース

・N693WA(B 727-100):1969年(昭和44年)8月~1975年(昭和50年)3月

                TDAが「とかち」としてワールドエアウエイズよりリース

・N694WA(B 727-100):1969年(昭和44年)3月~1971年(昭和46年)3月

                ワールドエアウエイズより短期リース

・N695WA(B 727-100):1970年(昭和45年)8月~1971年(昭和46年)3月

                ワールドエアウエイズより短期リース

 

 東亜国内航空(TDA)のボーイング727-100

 日本国内航空(JDA)が1966年(昭和41年)、ボーイング727-100、2機(JA8314, 8315)を導入したが政府の方針で日本航空(JAL)に運航を委託されることになった。日本国内航空は東亜航空と合併し、1971年(昭和46年)5月に東亜国内航空(TDA)が発足した。東亜国内航空の発足とともに3機が日航(JAL)からTDAに移籍、復帰した。(3機のうち1機(JA8318)はJDAが保有しJALで事故、抹消となったコンベア880の補償)

 

 全日空(ANA)のボーイング727-100

 全日空(ANA)は日航(JAL)とともに1964年(昭和39年)1月、ボーイング社に727-100、8機を発注したが、1964年(昭和39年)5月にユナイテッド航空から機体、乗員をチャーターして東京ー札幌線に投入、日航(JAL)に先行した。発注機は1965年(昭和40年)から納入され、1974年(昭和49年)までに12機(購入機 8機 リース機 4機)が導入された。国内線では経済性に勝る727-200を導入するまで、日航(JAL)と激しい旅客獲得競争を繰り広げた。

 購入機

・JA8301(B727-100): 登録 1965年(昭和40年)3月 抹消 1972年(昭和47年)5月

・JA8302(B727-100): 登録 1965年(昭和40年)3月 抹消 1966年(昭和41年)2月

               昭和41年2月4日 羽田空港着陸進入時に墜落、事故抹消

・JA8303(B727-100): 登録 1965年(昭和40年)4月 抹消 1973年(昭和48年)2月

・JA8305(B727-100): 登録 1965年(昭和40年)7月 抹消 1972年(昭和47年)11月

・JA8306(B727-100): 登録 1965年(昭和40年)8月 抹消 1972年(昭和47年)11月

・JA8316(B727-100): 登録 1966年(昭和41年)3月 抹消 1973年(昭和48年)3月

・JA8317(B727-100): 登録 1966年(昭和41年)8月 抹消 1972年(昭和47年)12月

・JA8321(B727-100): 登録 1967年(昭和42年)5月 抹消 1972年(昭和47年)9月

 リース機 

・N68650(B727-100): 1964年(昭和39年)4月~1965年(昭和40年)4月

               ユナイテッド航空より短期リース

・N972PS(B727-100): 1973年(昭和48年)1月~1974年(昭和49年)3月

               パシフィック・サウスウエスト航空(PSA)より短期リース

・N974PS(B727-100): 1969年(昭和44年)2月~1970年(昭和45年)1月

               PSAより短期リース

・N975PS(B727-100): 1969年(昭和44年)4月~1974年(昭和49年)3月

               PSAよりリース

 

 全日空(ANA)のボーイング727-200

 全日空は「727-100」に代わる座席数を増して、より経済性の優れた「727-200」を1969年(昭和44年)ボーイング社に27機を発注、1971年(昭和46年)から1978年(昭和53年)にかけて、PSAからのリース機を含め、33機を導入、全日空のフラッグシップとして全日空発展の基礎を作った。より大型のL1011トライスター(1974年(昭和44年)1月導入)、ボーイング747SR(1978年(昭和53年)12月導入)が導入されたため運行4年間をもってその役割を終えた。

 購入機

・JA8328(B727-281): 登録 1971年(昭和46年)2月 抹消 1980年(昭和55年)2月

・JA8329(B727-281): 登録 1971年(昭和46年)3月 抹消 1971年(昭和46年)8月

                昭和46年7月30日 岩手県雫石上空で自衛隊機と衝突、墜落

・JA8330(B727-281): 登録 1971年(昭和46年)5月 抹消 1980年(昭和55年)2月

・JA8331(B727-281): 登録 1971年(昭和46年)5月 抹消 1980年(昭和55年)12月

・JA8332(B727-281): 登録 1971年(昭和46年)6月 抹消 1980年(昭和55年)10月

・JA8333(B727-281): 登録 1971年(昭和46年)6月 抹消 1984年(昭和59年)7月

・JA8334(B727-281): 登録 1971年(昭和46年)7月 抹消 1984年(昭和59年)4月

・JA8335(B727-281): 登録 1971年(昭和46年)8月 抹消 1984年(昭和59年)8月

・JA8336(B727-281): 登録 1972年(昭和47年)5月 抹消 1984年(昭和59年)1月

・JA8337(B727-281): 登録 1972年(昭和47年)5月 抹消 1983年(昭和58年)12月

・JA8338(B727-281): 登録 1972年(昭和47年)4月 抹消 1983年(昭和58年)11月

・JA8339(B727-281): 登録 1972年(昭和47年)3月 抹消 1984年(昭和59年)3月

・JA8340(B727-281): 登録 1972年(昭和47年)3月 抹消 1984年(昭和59年)2月

・JA8341(B727-281): 登録 1972年(昭和47年)4月 抹消 1984年(昭和59年)11月

・JA8343(B727-281A): 登録 1972年(昭和47年)6月 抹消 1989年(昭和64年)4月

・JA8344(B727-281A): 登録 1972年(昭和47年)6月 抹消 1989年(昭和64年)7月

・JA8345(B727-281A): 登録 1973年(昭和48年)7月 抹消 1986年(昭和61年)11月

・JA8346(B727-281A): 登録 1973年(昭和48年)7月 抹消 1984年(昭和59年)9月

・JA8347(B727-281A): 登録 1973年(昭和48年)8月 抹消 1987年(昭和62年)9月

・JA8348(B727-281A): 登録 1973年(昭和48年)8月 抹消 1987年(昭和62年)10月

・JA8349(B727-281A): 登録 1973年(昭和48年)9月 抹消 1989年(昭和64年)9月

・JA8350(B727-281A): 登録 1974年(昭和49年)4月 抹消 1987年(昭和62年)5月

・JA8351(B727-281A): 登録 1974年(昭和49年)4月 抹消 1987年(昭和62年)6月

・JA8352(B727-281A): 登録 1974年(昭和49年)5月 抹消 1987年(昭和62年)9月

・JA8353(B727-281A): 登録 1978年(昭和53年)2月 抹消 1990年(平成2年)1月

・JA8354(B727-281A): 登録 1978年(昭和53年)2月 抹消 1990年(平成2年)4月

・JA8355(B727-281A): 登録 1978年(昭和53年)8月 抹消 1990年(平成2年)5月

 リース機

・N384PS(B727-254): 1970年(昭和45年)3月~1975年(昭和50年)3月 PSAよりリース

・N535PS(B727-214): 1969年(昭和44年)9月~1970年(昭和45年)1月 PSAよりリース

・N536PS(B727-254): 1970年(昭和45年)4月~1975年(昭和50年)4月 PSAよりリース

・N547PS(B727-254): 1969年(昭和44年)12月~1975年(昭和50年)12月 PSAよりリース

・N549PS(B727-254): 1970年(昭和45年)1月~1974年(昭和49年)5月 PSAよりリース

 

 ボーイング社 (Boeing Co.,) (百科辞典マイペディアより)

 大型旅客機で知られるアメリカの航空機メーカー。1934年に設立。第2次世界大戦で B-17、B-29 の4発爆撃機を量産、戦後 B-47、B-52 のジェツト爆撃機を開発、その高い技術を民間機に応用して、1957年に世界最初の本格的長距離ジェット旅客機 707 を完成、引き続き 727、737、747(初のジャンボジェット旅客機)、757、767、777、787 を就航させた。旅客機のほかにも通信用衛星、デルタロケット(衛星打ち上げ用ロケット)スーペーシャトルも手がけるなど、宇宙部門にも注力、国際宇宙ステーション建設の中核企業でもある。1997年、アメリカを代表する軍需企業、マクダネル・ダグラス社を買収し、軍事・宇宙部門でも世界トップに。本社イリノイ州シカゴ。2011年12月期売上高 687億ドル。

 

 プラット・アンド・ホイットニー (P&W) JT8D ターボファンエンジン(ウイキペディアより)

 P&W社がボーイング727用に、1964年低バイパス比(0.96:1)のターボファンエンジン。A-4、A-6、EA-6B に搭載された P&W J52 ターボジェットエンジンの改良型。

 2軸式軸流前方ターボファンエンジン。外側の軸は単段の高圧タービンから駆動され7段の高圧圧縮機を回転させる。前方最初の2段はファンのバイパス流である。ターボファンエンジンの排気はバイパス流を混合させるため純粋なターボジェットエンジンと比較して騒音は静粛になる。それでも JT8D は低バイパス比のため依然騒音は大きい。これは意図してバイパス比を低くしたのではなく、ターボファンエンジンの草創期における技術的限界によるものである。その後に登場した JT8D-2G は JT8D-9 のコア・エンジンの主要部分である高圧圧縮機・燃焼室・高圧タービンを流用しつつ、前方ファンを新設計の大型ファンとしてバイパス比を高めたもので、騒音低減とともに推力増加と燃料消費量の改善を図ったものである。

 JT8D は推力12,250~21,000ポンドまで幅広くラインアップされており、ボーイング727、737、ダグラスDC-9 に搭載された。350社で運用され総運転時間は15億時間に及び、草創期のターボファンエンジンでは比類なき製造数を誇る。

 ボーイング727-100/200 搭載エンジン: JT8D-7(推力14,000lb(62,280kw)

 

 ターボファンエンジン (日本大百科全書ニッポニカより)

 航空機用タービンエンジンの一種。ターボジェットエンジンのタービン部にタービンを増設して排気ガスのエネルギーを吸収させ、そのエネルギーでエンジンの前列に設けたファン(風車)を駆動し、ファンで圧縮した空気の一部をそのまま側路(バイパス)を通じてエンジンの後方へ直接噴出させ、残りの一部をエンジン内部に導いて燃料を混合して燃焼させる。大量の空気を比較的低速度で噴出させることで推力を得る形式なので、還音速での飛行に適し排気騒音が小さく燃料消費率も優れており、民間機用エンジンには好適とされている。なおファンで圧縮され側路(バイパス)を通して排出される空気とエンジン内で燃焼排気されるガスとの重量比をバイパス比といい、初期のターボファンでは1対1程度であったが最新の高バイパス比の大出力(最大離陸推力20~25トン)のエンジンでは5対1以上になっており、大きさの割に大きな推力が得られるのでジャンボ機のような超大型機の実現に大きく貢献した。

 

 このタイトルの挿し絵から

 挿絵は ビッカース バイカウント744 です。

 全日空はビッカース社から「バイカウント744」 2機を昭和35年7月から1年間短期リースをしています。そのリースが終った昭和36年7月から昭和38年2月までに、その改良型「バイカウント828」 を9機をビッカース社から購入、ボーイング727と代わるまで国内線で活躍しています。

 「バイカウント744」と「バイカウント828」の外観上の違いは、「744」の搭乗口ドアが楕円形、客窓が10個(片側)。「828」の搭乗口は長方形、客窓は13個(片側)。

 挿絵のバイカウントには客窓が10個描かれていいます。

 

 以上、バイカウント機とボーイング727のことをまとめてきましたが長文になってしまいましたのでタイトルを二つに分けます。これまでを「空の子爵 バイカウント744(1)」として、「このタイトルから」を(2)として「ボーイング707」とその対抗機種「ダグラスDC-8」のことになります。

 次にタイトル4-4「空の子爵 バイカウント744(2)」に続けます。(R4・2・11)

 

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