3-12 空飛ぶ忍者

    百式司令部偵察機

 大戦中の花形は陸軍の百式司令部偵察機(註1)であろう。

 昭和十九年に出現した海軍の陸上偵察機「彩雲」が現れるに及んで、話題は半減したがその足速い陸軍の忍者の活躍は遠く南はオーストラリアから北はアッツ島まで及んだ。十四年十一月、試作一号機は各務原飛行場から藤田少佐の手で大空に浮かびあがった。四000メートルの高度で五四0キロのデータを示したが、陸軍側の期待する六00キロのラインにはまだ遠かった。

 だが旧式化した九七司偵に代わる機材をまちのぞんでいた軍では、とりあえず制式として量産に突入させた。製作の三菱ではよりスピードを目標に近づけようと考えていたが、瑞星(ハ一0二)型エンジンの完成により心臓部をこれに変えた。足はこれでぐんと速くなった。目標より四キロもアップする好成績を生んだのである。この二型は華南の空を駆けさらに開戦まじかいマレーの空も駆けて”空の通り魔”とさわがれた。

 忍者”くノ一”としては面目をほどこしたわけである。この快調をさらにアップしようと三型が試みられた。高空における性能向上にポイントを置いたのである。六000の高度で六三0キロの快速を出した結果に軍は大満足をした。この優秀な忍者に対してさらに剣をもたせようと考えた。B29にアタックする防空戦闘機の役をつけようとしたのである。トップに二0ミリ砲をつけ、後部席近くにこれは斜め上方にかまえた三七ミリ砲をどかっとつけて、さらに胴体下には五0キロタ弾二発を抱えさせるという欲ばったプランが生れた。

 「菊水」のマークを尾翼につけた第一六独立飛行中隊などはこの機材を使用したものであるが、転用計画はスムーズさを欠き大いなる活躍ができえぬまま終戦を迎えたのである。(全文)

 文中、「昭和14年11月、試作一号機は藤田少佐の手で大空に浮かびあがった」とあるが藤田雄蔵少佐は昭和14年2月、中国華中で戦死、初飛行を行ったのは三菱の江口操縦士、藤田少佐は陸軍航技研側として機体開発に参画していた。

 

 註1) 百式司令部偵察機

 一00式司令部偵察機(キ46)

 三菱重工が陸軍向けに開発した低翼単葉双発高速偵察機。

 昭和12年、陸軍は九七式司令部偵察機に代わる新型司令部偵察機をキ46としてその開発を三菱重工に指示した。

 陸軍から三菱に対して、以下の要求性能が出された。

・常用作戦高度は 4,000m~6,000m

・最大高度は高度4,000mで600km/h以上

・航続距離は巡航速度400km/hで6時間以上

・搭載エンジンは 中島ハ25又は 三菱ハ26のいずれかを使用

 昭和13年、陸軍からは航空本部の技術陣、藤田少佐、安藤技師、東大航空研究所の開発チーム、安田三治教授が参画、三菱は久保富夫技師が設計主務者となり、搭載エンジンに三菱のハ26を採用して設計に着手した。

 昭和14年11月、試作一号機が完成、三菱の手で各務原飛行場で初飛行を行った。機体は立川陸軍飛行場、下志津陸軍飛行場、満州での寒冷地試験等各種試験が行われ、昭和15年8月に飛行試験が終了した。

 この試験に記録した最高速度は540km/hだったが将来性が期待でき採用が決定、昭和15年(1940年 皇紀2600年)9月、-00式司令部偵察機(キ46-Ⅰ)として制式採用された。試作機3機と増加試作機8機が製作され、その後26機が量産された。機体は空気力学に基ついた空気抵抗を出来るだけ抑えた流線型の胴体とエンジンカウルを持ったスマートな機体が完成した。昭和16年8月、この機体は中国戦線で運用が開始され、開戦前のマレー方面の捜索に使用されていった。

 この間、昭和16年3月、三菱ではエンジンを過給機を1段2速にしたハ102(1,050hp)を搭載したキ46-Ⅱを試作、この試作機は速度、604km/hを記録し軍の要求性能を達成した。この機体の陸軍の実用試験は昭和17年5月に完了、6月に一00式司令部偵察機二型(キ46-Ⅱ)として制式採用された。キ46-Ⅱが二型として採用されたことに伴い キ46-Ⅰは一00式司令部偵察機一型となった。機体完成後、直ちに運用が開始され、北はアリューシャン(アッツ島)から南太平洋(ニューギニア)、太平洋戦線全域で活躍した。

 二型(キ46-Ⅱ)の実用試験が完了した昭和17年5月には陸軍は更なる速度向上型をキ46-Ⅲとしてその開発を三菱に指示した。陸軍からの要求性能は最高速度、650km/h以上、搭載エンジンには水メタノール噴射装置付、ハ112-Ⅱ(1,500hp)が指定された。

 三菱ではより高速化を要求されたため、エンジンカウルも再設計、機体も一体型風防を採用した。空気抵抗を少なくした風防形状は独特なスタイルとなった。一型、二型で装備していた7.7mm機銃は廃止され、高速化が試みられた。キ46-Ⅲは昭和18年3月に完成、生産に入った。昭和19年8月、一00式司令部偵察機三型(キ46-Ⅲ)として制式採用された。

 昭和19年に入り、陸軍は三型(キ46-Ⅲ)を対爆撃機用迎撃機に改修すること計画、防戦(防空戦闘機)高戦(高高度戦闘機)に改修した試作機を三菱に製造指示した。昭和19年6月、20mm機関砲(ホ5)を機首に2門装備した改造一号機が完成、この機体をキ46-Ⅲ乙とした。続いて7月に37mm機関砲(ホ204)を機体後部上方に上向き砲として搭載した機体が完成、これをキ46-Ⅲ乙+丙とし、それぞれを採用した。三型に乙、丙が採用されたため、従来型の三型は三型甲(キ46-Ⅲ甲)となった。

 この間、昭和18年、三菱で ターボチャージャー付エンジン ハ112-Ⅱが完成、陸軍はこれを搭載した試作機を キ46-Ⅳとして機体開発を三菱に指示した。昭和18年12月、機首風防を段付き風防に戻し試作一号機が完成、昭和19年1月に初飛行を行ったがターボチャージャーの実用化が遅れ終戦までに試作機4機を製作、量産には至らなかった。

 生産は三菱で1,742機(一型:28機 二型:1,097機 三型:611機 四型:4機)が生産された。 

 

 一00式司令部偵察機(キ46) 各型

・一00式司令部偵察機一型(キ46-Ⅰ)

 エンジン:三菱ハ26-Ⅰ空冷複列星型14気筒 850hp(離昇)x2

・一00式司令部偵察機二型(キ46-Ⅱ)

 エンジン:三菱ハ102空冷複列星型14気筒 1,080hp(離昇)x2

・一00式司令部偵察機二型改(キ46-Ⅱ改)

  二型の練習機型

・一00式司令部偵察機三型甲(キ46-Ⅲ甲)

 エンジン:三菱ハ112-Ⅱ空冷複列星型14気筒 1,500hp(離昇)x2

・武装一00式司令部偵察機三型乙(キ46-Ⅲ乙)

  三型甲の武装型 機首に20mm機関砲2門を装備

・武装一00式司令部偵察機三型乙+丙(キ46-Ⅲ乙+丙)

  三型乙に37mm機関砲を上向き砲として装備

・一00式司令部偵察機四型(キ46-Ⅳ)

 エンジン:三菱ハ112-Ⅱル ターボチャージャー付

 

 一00式司令部偵察機二型(キ46-Ⅱ) 諸元

 エンジン:三菱ハ102 空冷複列星型14気筒 1,080hp(離昇)x2

 乗員:2名

・全幅: 14.70m ・全長: 11.00m ・全高: 3.88m ・自重: 3,263kg ・全備重量: 5,050kg

・最大高度:604km/h(高度5,000m) ・上昇限度: 10,720m ・航続距離: 2,474km

・武装: 7.7mm機銃x1

 

 一00式司令部偵察機三型甲(キ46-Ⅲ甲) 諸元

 エンジン:三菱ハ112-Ⅱ 空冷複列星型14気筒 1,500hp(離昇)x2

 乗員:2名

・全幅: 14.70m ・全長: 11.00m ・全高: 3.88m ・自重: 3,831kg ・全備重量: 5,724kg

・最大速度: 630km/h(高度6,000m) ・上昇限度: 10,500m ・航続距離: 4,000km

・武装: 無し

 

 ハ112-Ⅱ エンジン

 三菱重工が開発製造した空冷複列星型14気筒エンジン。

 「金星」六二型エンジンに相当。「金星」は海軍が三菱のエンジンに付けた制式採用名称、「金星」各型は海軍機に搭載、海軍のエンジンであったが、大戦末期、陸軍でもこの高出力エンジンをハ112-Ⅱとハ番号をつけて採用した。

 陸軍ハ番号:ハ112-Ⅱ 陸軍制式名称:四式1500馬力発動機 統合名称:ハ33-54

 搭載機種:一00式司令部偵察機三型(キ46-Ⅲ)

 諸元

・タイプ: 空冷複列星型14気筒

・内径 x 行程: 140mm x 150mm

・排気量: 32,340cc

・径(直径) x 長さ: 1,218mm x 1,660mm

・過給機: 遠心式スーパーチャージャー 1段2速

・離昇馬力: 1,500hp/2,600rpm

・公称馬力: 一速全開 1,350hp/2,600rpm

        二速全開 1,250hp/2,600rpm

・水メタノール噴射装置付

 

 ハ112-Ⅱル エンジン

 ハ112-Ⅱエンジンにターボチャージャー(排気ガス駆動式過給機)を備えたエンジン

 

 キ83 遠距離戦闘機

 三菱重工が陸軍向けに開発した中翼単葉双発遠距離戦闘機。

 昭和16年5月、陸軍は遠距離を爆撃機を援護(直掩)できる長距離戦闘機の開発を三菱に指示した。陸軍からは機体は双発、複座、最高速度は650km/h以上という要求が出された。三菱では久保富夫技師を設計主務者として昭和17年、設計に着手した。

 機体開発は途中から海軍との共同開発となった。陸軍側から汎用性を求め一00式司偵の後継機への転用の要望もあり設計の方針が定まらなかった。

 昭和18年7月、機体は双発、エンジンは三菱のハ211ル(ターボチャージャー付)を採用、乗員は2名(基本は単座、後部胴体内に偵察要員を搭乗可能)高高度戦闘機とする仕様が決まった。昭和19年10月、試作一号機が完成、11月に各務原飛行場で初飛行、高度5,000mで655km/hを記録した。

 昭和20年4月までに2,3、4号機が完成したが、2号機は飛行テスト中風防の事故で墜落、3、4号機は空襲で失われた。1号機は松本飛行場でテストを続けていたが終戦で米軍により接収された。機体は技術調査のためアメリカ本土に輸送され、その後焼却処分された。

 

 キ83 諸元

 エンジン: 三菱 ハ211-ル 空冷複列星型18気筒 2,200hp(離昇)x2

 乗員:2名(1名)

・全幅: 15.50m ・全長: 12.50m ・全高: 4.60m,・自重: 5,980kg ・全備重量: 8,795kg

・最大速度: 704.5km/h 高度9,000m (計画) ・実用上昇限度: 12,650m

・航続距離: 1,953km

・武装: 30mm機関砲x2 20mm機関砲x2 (機首) 爆弾 50kg x2

 

 ハ211-ル エンジン

 三菱重工が開発した空冷複列星型18気筒ターボチャージャー付エンジン。

 14気筒エンジン「金星」を18気筒化したエンジン。

 陸軍ハ番号:ハ211ル 統合名称:ハ43-11ル

 搭載機種:キ83

 諸元

・タイプ: 空冷複列星型18気筒

・内径 x 行程: 140mm x 150mm

・排気量: 41,600cc

・径(直径) x 長さ: 1,230mm x 2,020mm

・過給機: ターボチャージャー 1速2段

・離昇馬力: 2,200hp/2,900rpm

・公称馬力: 一速全開 2,070hp/2,800rpm

        二速全開 1,750hp/2,800rpm

 

 久保富夫 1908年(明治41年)11月~1990年(平成2年)3月

 航空機技術者 経営者

 1908年(明治41年)11月 長崎県に生まれる

 1927年(昭和2年)4月 東京帝国大学工学部航空学科入学

 1931年(昭和6年)3月 東京帝国大学工学部航空学科卒業

            4月 三菱航空機(後、三菱重工)入社 名古屋製作所勤務

 1938年(昭和13年)  三菱重工にて 陸軍機キ46(100式司偵)の設計主務者となる

 1942年(昭和17年)   三菱重工にて 陸軍機キ83の設計主務者となる

 1946年(昭和21年)1月 三菱重工 水島機器製作所に転任

 1947年(昭和22年)4月 三菱重工 水島機器製作所 技術部長

 1950年(昭和25年)1月 中日本重工(後、新三菱重工)へ転籍

 1952年(昭和27年)10月 新三菱重工 名古屋製作所(後、名古屋航空機)に転任

 1961年(昭和36年)12月 新三菱重工 名古屋航空機製作所 所長

 1962年(昭和37年)5月 新三菱重工 名古屋航空機製作所 取締役所長

 1963年(昭和38年)5月 新三菱重工 常務取締役

 1964年(昭和39年)6月 三菱重工 常務取締役 自動車事業部副事業部長

 1965年(昭和40年)6月 三菱重工 常務取締役 自動車事業部長

 1969年(昭和44年)5月 三菱重工 常務取締役 技術本部長

 1973年(昭和48年)5月 三菱自動車工業(重工より分離設立) 取締役社長

 1974年(昭和49年)4月 藍綬褒章 受賞

 1979年(昭和54年)6月 三菱自動車工業 取締役会長

 1983年(昭和58年)6月 三菱自動車工業 相談役

 1990年(平成2年)3月 逝去

 

 このタイトルから

 飛行分科、司令部偵察機隊(司偵機隊)は九七式司令部偵察機をもって独立飛行中隊を編成、昭和12年から中国戦線全域で偵察任務を遂行、展開していました。大戦、開戦を前にしてこの司偵機は満州、中国で次々と編成され、開戦とともに機体を一00式司偵に替えて太平洋戦線全域に展開して行きます。昭和19年、一00式司偵の司偵機隊は機体を武装一00式司偵に改変して防空戦闘機隊となっていきます。

 司偵機隊による独立飛行中隊

・独立飛行第一六中隊(司偵機隊)

 使用機種:九七式司偵 一00式司偵

 昭和13年8月 彰徳にて編成

 展開:中国戦線全域ーマレー作戦準備捜索ージャワービルマー内地

 昭和19年7月 内地帰還 独立飛行第一六中隊(再編)と飛行第八一戦隊を編成

 

・独立飛行第一六中隊(司偵防空戦闘機隊)

 使用機種:武装一00式司偵

 昭和19年7月 大阪にて編成

 展開:中部軍管区の防空

 昭和20年8月 児玉にて復帰

 

・飛行第八一戦隊(司偵機隊)

 使用機種:一00式司偵

 昭和19年7月 彰徳にて編成

 展開:ビルマー南部仏印ーレグー

 昭和20年8月 レグーにて終戦

 

・独立飛行第一七中隊(司偵防空戦闘機隊)

 使用機種:武装一00式司偵

 昭和19年3月 調布にて編成

 展開:東部軍管区の防空

 昭和20年8月 調布にて終戦

 

・独立飛行第一八中隊(司偵機隊)

 使用機種:九七式司偵 一00式司偵

 昭和13年2月 中国にて編成

 展開:中国戦線全域

 昭和18年8月 一00式司偵に機種改変

 昭和19年10月 漢口にて独立飛行第16中隊と第55中隊を改編飛行第八二戦隊を編成

 

・飛行第八二戦隊(司偵機隊)

 使用機種:一00式司偵

 昭和19年10月 漢口にて編成

 展開:南京を拠点として中国戦線全域

 昭和20年8月 京城にて終戦

 

・独立飛行第一九中隊(司偵防空戦闘機隊)

 使用機種:武装一00式司偵

 昭和19年7月 小月にて編成

 展開:西部軍管区の防空

 昭和20年8月 小月にて終戦

 

・独立飛行第五0中隊(司偵機隊)

 使用機種:九七式司偵 一00式司偵

 昭和16年7月 新京にて編成

 展開:サイゴンーマレー半島捜索ーバレンパンー新京

 昭和19年1月 新京にて復帰

 

・独立飛行第五一中隊(司偵機隊)

 使用機種:九七式司偵 一00式司偵

 昭和16年7月 広東にて編成

 展開:マレー方面写真撮影ープノンペンー新京

 昭和19年1月 新京にて復帰

 

・独立飛行第五五中隊(司偵機隊)

 使用機種:九七式司偵 一00式司偵

 昭和17年3月 トムアンにて編成

 展開:南京ー重慶進攻作戦の写真撮影ー南京

 昭和19年10月 南京にて復帰

           漢口にて独立飛行第55中隊と第18中隊を改編飛行第82戦隊を編成

 

・独立飛行第六三中隊(司偵機隊)

 使用機種:九七式司偵 一00式司偵

 昭和16年7月 温春にて編成

 展開:中国戦線全域

 昭和19年4月 温春にて復帰

 

・独立飛行第七0中隊(司偵機隊)

 使用機種:九七式司偵 一00式司偵

 昭和17年7月 チチハルにて編成

 展開:仏印クラコールー南太平洋方面ー豪州北方面捜索ージャワ

 昭和20年8月 ジャワにて終戦

 

・独立飛行第七四中隊(直協機 司偵機隊)

 使用機種:九八式直協機 一00式司偵

 昭和16年7月 衙門屯にて編成

 展開:比島ビガンー内地

 昭和18年2月 八街にて一00式司偵に機種改変

 展開:ニューギニアー比島ーパレンバンー内地

 昭和20年4月 内地にて武装一00式司偵をもって高高度戦闘機中隊を編成

 展開:グルンバン

 昭和20年8月 グルンバンにて終戦

 

・独立飛行第七六中隊(司偵機隊)

 使用機種:九七式司偵 一00式司偵

 昭和16年7月 衙門屯にて編成

 展開:比島捜索ー南太平洋ラバウルーニューギニア捜索

 昭和18年6月 ラバウルにて復帰

 

・独立飛行第八一中隊(司偵機隊)

 使用機種:九七式司偵 一00式司偵

 昭和16年7月 温春にて編成

 展開:昭和18年8月、ニューギニアに進出 9月 全機損耗

 昭和18年9月 独立飛行第八二中隊と交代し温春に帰還

 

・独立飛行第八一中隊(司偵機 戦闘機隊)

 使用機種:一00式司偵 二式複戦

 昭和18年9月 温春にて再編成

 展開:鞍山ー奉天ー新京

 昭和20年8月 新京にて終戦

 

・独立飛行第八二中隊(軽爆撃機隊)(司偵機隊)

 昭和14年7月 広東にて編成

 昭和17年7月 司偵機隊として温春にて編成

 使用機種:一00式司偵

 展開:昭和19年1月 独立飛行第81中隊と交代してニューギニアへー内地

 昭和19年10月 内地帰還

 昭和20年2月 司偵防空戦闘機隊として独立飛行第82中隊を再編成

 使用機種:武装一00式司偵

 展開:大阪を中心として高高度戦を実施

 昭和20年8月 第28独立飛行隊に編入

 

・独立飛行第一八中隊(軍偵察機隊)(司偵機隊)

 昭和14年8月 軍偵察機隊として彰徳にて編成

 展開:ラバウル

 昭和19年7月 ラバウルにて復帰

 昭和20年2月 司偵防空戦闘機隊として独立飛行第83中隊を再編成

 使用機種:武装一00式司偵

 展開:内地にて高高度戦を実施

 

・飛行第一0六戦隊(司偵機隊)

 使用機種:武装一00式司偵

 昭和19年10月 各務原にて編成

 展開:比島マニラー台湾 小港ー内地 新田原ー蓆田

 昭和20年4月 福岡にて復帰

 

 昭和12年、飛行団司令部の下に数個の飛行戦隊があり、飛行戦隊は飛行分科された「爆撃機隊」「戦闘機隊」「偵察機隊」で編成され、偵察機隊は更に細分科され「司令部偵察機隊」「軍偵察機隊」「直協機隊」に分けられて、飛行分科各隊は飛行戦隊司令部の下にありました

 作戦立案の際、作戦該当地域の敵状を広範囲にわたって知る必要がありました。その為高速で長距離飛行性能を持つ偵察機が求められました。先ずは昭和12年、キ15が九七式司令部偵察機として登場します。

 司令部偵察機変遷

・昭和12年5月 キ15-Ⅰ 中島ハ8 640hp x1 480km/h

・昭和14年9月 キ15-Ⅱ 中島ハ25 950hp x1 510km/h 437機

・昭和14年11月 キ46-Ⅰ 三菱ハ26-Ⅰ 850hp x2 540km/h 28機

・昭和15年8月 キ46-Ⅱ 三菱ハ102 1,080hp x2 604km/h 1,097機

・昭和18年3月 キ46-Ⅲ甲 三菱ハ112-Ⅱ 1,500hp x2 630km/h 611機

・昭和19年1月 キ46-Ⅳ 三菱ハ112-Ⅱル 1,500hp x2 630km/h 4機(試作)

・昭和19年6月 キ46-Ⅲ乙 三菱ハ112-Ⅱ 1,500hp x2 630km/h 75機

・昭和19年7月 キ46-Ⅲ乙+丙 三菱ハ112-Ⅱ 1,500hp x2 630km/h 15機

・昭和19年11月 キ83 三菱ハ211-ル 2,200hp x2 655km/h 4機(試作)

 

 借り物の技術がら始まった航空機エンジン、昭和14年~19年空冷エンジンの進歩は目覚ましいものがありました。より高く、より速く、ターボチャージャーも実用化にあと一歩と迫ります。昭和20年、進攻作戦の領域はすべて消滅、司令部偵察機はその高速を買われ武装化されていきます。

 次のタイトルは海軍機に戻ります。海軍も偵察機に高速化を求めます。タイトル3-13)「盛りたくさんのアイデア機 高速水偵「紫雲」」に進めます。 (R2・8・22)

 

 このタイトルの挿し絵から

 上の絵: 一00式司令部偵察機三型甲です。

 この絵は機体後半、尾翼部がカットされて機首に部分を大きくクローズアップして載せられています。(尾翼部を描き加えてしまいました)

 平成21年、三菱自動車からEV車アイミーブが発売されました。この可愛らしいEV車のスタイルに写真で見た一00式司偵三型のキャノピーをダブらせたことを覚えています。

 下の絵: 一00式司令部偵察機一型のようです。

 この絵の下側に滑走路を描いています。各務原飛行場での初飛行の情景を描いたように思われます。

 

 航空機に関する最近のニュース

'20 8/16 鶉野飛行場跡平和祈念碑保存会

       紫電改の実物大操縦席模型が完成 兵庫県加西市市役所で9月6日一般公開