2-18 ズボンを履いた爆撃機

  九三式重

 ズボンをはいたような爆撃機が生れた。三菱九三式重爆撃機(註1)の二型がそれである。

 脚にスパッツをばっちりとつけて風の抵抗を少なくしようと狙ったのだが、一型の評判どおりに双発とはいえ、七00馬力エンジン一個となると、よたよたどころか不時着をよぎなくされた。片肺飛行が不可能といわれたこの低速爆撃機は、加えて故障も多くて整備員にもキラワレた。

 ”空の鈍行”九三重はこれらの不評を背に、まったくそれは遠慮でもするように満州、北支の一部でそそくさと使われた。一型はこの脚にはスパッツがなくて車輪はむき出しであった。一トン半の弾を積むと二00キロというスピードには、空の勇者もてをこまぬいた。総生産は一一八機といわれる。 (全文)

 

 註1)九三式重爆撃機

 九三式重爆撃機(キ1)

 三菱が陸軍向けに製作した全金属製波板応力外皮構造の低翼単葉双発爆撃機。試作機の初飛行は昭和8年(1933年)3月。

 昭和7年(1932年)陸軍は八七式重爆撃機に代わる新型重爆撃機(キ1)の試作を三菱に指示した。三菱は先にドイツから輸入していた K.37 をベースに、これを改良、大型化、する形で仲田信四郎技師を設計主務者として設計を開始、昭和8年(1933年)3月に試作1号機を完成させた。

 試作機のエンジンは国産の700馬力三菱B-1(後の ハ2-Ⅱ)を搭載する予定だったが完成が遅れ、イギリスから輸入した ロールスロイス バザート エンジン(800hp x2)を搭載した。

 飛行審査の結果、いくつかの問題点が指摘されたが導入を急ぐ陸軍は国産エンジンの完成を待って、昭和8年(1933年 皇紀2593年)に九三式重爆撃機として制式採用した。

 国産エンジンを搭載した機体が部隊配備されたがエンジントラブルが多発した。またエンジンの出力不足で片舷(肺)飛行が出来ない状態であった。このため性能向上を図るため機体全体の大幅な改修、改造を行った。

 改修点は ・エンジンを改良型に換装 ・操縦席周りを中心として風防の形状を改良 ・降着部をエンジンカバーと一体化、車輪カバー(スパッツ)を取付けた。これらの改修により速度、航続性能に僅かの向上が見られ、昭和10年(1935年)この改修機は 九三式重爆撃機二型(キ1-Ⅱ)として制式採用された。これまでの生産型は 九三式重爆撃機一型(キ1-Ⅰ)と呼称されることになった。

 九三式重爆の部隊配備は昭和9年(1934年)春から開始され、稼働率の悪さ、低性能になやみながら支那事変、中国各地で使用された。昭和11年(1936年)で生産は終了、総生産機数は118機。機体搭載の三菱のイスパノ650馬力からの液冷エンジン ハ2 は九三式重爆撃機の搭載のみで生産を終了した。

 陸軍機、機体番号 キ番号を付けた最初の機体。キ番号は陸軍の機体開発計画順に割り当てられたもの(試作名称)で、キはキタイを意味する。

 

 三菱航空機が製作した九三式重爆撃機(キ1)

・九三式重爆撃機一型(キ1-Ⅰ) エンジン:三菱九三式一型ハ2-Ⅱ700hp x2

・九三式重爆撃機二型(キ1-Ⅱ) エンジン:三菱九三式三型ハ4 720hp x2

                       製作機数 一型、二型合わせて118機  

 

 九三式重爆撃機一型(キ1-Ⅰ) 諸元

 エンジン:九三式一型 ハ2-Ⅱ水冷V型12気筒700hp x2

 乗員:4名 全金属製 波板応力外皮構造 低翼単葉双発爆撃機

・全幅: 26.50m ・全長: 14.80m ・全高: 4.92m ・自重: 4,880kg ・全備重量: 8,100kg

・最大速度: 220km/h ・実用上昇限度: 5,000m ・航続距離:1,250km

・武装:7.7mm旋回機銃x3(前方、後方、後下方) 爆弾 最大1,500㎏

 

 このタイトルから

 「”空の鈍行”九三重は満州、北支の一部でそそくさと使われた」と記事あります九三重の部隊は飛行第六0戦隊のようです。この飛行六0戦隊での九三重の行動を「暁に散りし我が飛行第六十戦隊」という藤原氏の手記に見ることができます。

 九三式重爆、九三式双軽、九三式単軽の爆撃隊のことは次のタイトル「重より軽が良かった」でまとめます。(R1・5・5)

 

 このタイトルの挿し絵から

 上の絵:ズボンを履いた爆撃機 九三式重爆撃機二型(キ1-Ⅱ)です。前線部隊ではこのスパッツは外されて使用したようです。

 下の絵:ユンカースK.37 です。陸軍が買上げ「あいこく1号」と名付けました。この機体を国産化したのが 九三式双軽爆撃機。

 ユンカース波板、機体に張るとこの様に見えます。九ニ式重、九三式重、九三式双軽も想像してみてください と言っているような絵です。