2-10 サムライは刀を抜いた

 本格的な空戦、第一回

 空飛ぶサムライが本格的な空戦を行ったのは、昭和七年二月二十二日、中支蘇州の上空であった。

 第一航空隊所属の生田乃木次中尉が指揮する三機の三式戦闘機(註1)と、小谷進が指揮する一三式艦上攻撃機三機の編隊が、この日の主役となった。午後四時三十分、蘇州飛行場から駆上がってきた ロバート・ショート中尉操縦のボーイングFB2型戦闘機(註2)が、その快速を利用して小谷攻撃隊に機銃弾の雨をそそいだのがそのオープニングである。

 この攻撃で小谷指揮官は機上で果てた。同乗の佐々木電信員も左脚にタマがめりこんだ。機内は血で染まった。操縦の崎長中尉が無事であったので撃墜からまぬがれたのである。

 この惨劇の中に生田戦闘隊は後方三000メートルの上空からダイブをかけてショート機に反撃のタマを浴びせた。生田機は五0メートルまで接近したという。この攻撃をうけてショートは倒れた。急上昇の姿勢をみせたあとぐらりと機は左キリモミに入り地上にすいこまれて行ったのである。

 これで空戦は終った。

 豪胆 小谷鬼大尉(戦死後昇進)

   壮烈、空に死すとても

   妙技をつくす戦術は

   げに空軍の華なれや

 という軍歌に残って、空のサムライによる惨劇記録をとどめたのである。 (全文)

 

 註1) 三式艦上戦闘機

 三式艦上戦闘機 (A1N )

 中島飛行機が製作した、木製骨格羽布張り構造の複葉単座、単発戦闘機。昭和3年(1928年)に制式採用が内定し、翌、昭和4年(1929年)制式採用された。

 海軍は一0式艦上戦闘機の後継機を大正15年(1926年) 中島、三菱、愛知 の三社に対して競争試作を指示した。

 三菱は「M式艦戦」、愛知はハインケル社に設計を委託した「H式艦戦」(いずれも液冷エンジンを搭載) 中島は「グロスター ゲームコック戦闘機」を艦上戦闘機仕様に改造設計した「ガムペット戦闘機」 「G式艦戦」(ブリストル ジュピター空冷エンジン搭載)の三機種が提出された。

 結果、中島飛行機の「G式艦戦」の採用が内定(昭和3年)し昭和4年(1929年)三式艦上戦闘機 A1N1 として制式採用された。

 初期型の一号(一型) A1N1 の搭載エンジンは ジュピター6型 420馬力。後期型の二号(二型) A1N2 の搭載エンジンは 中島ジュピター7型 450馬力(金属製プロペラ)。(中島飛行機では ゲームコック戦闘機、搭載エンジンの ブリストル ジュピター の製造ライセンスを取得、中島ジュピターとして国産化した)

 昭和5年(1930年)から昭和10年(1935年)にかけて艦上戦闘機として運用された。製作は中島飛行機で生産機数は約100機。

 昭和7年(1932年)後継機の 九0式艦上戦闘機の運用が開始されると第一線を退いた。

 

 三式一号艦上戦闘機 (A1N1) 諸元

 エンジン: ブリストル ジュピター 6型 空冷星型9気筒420hp x1

 乗員: 1名 複葉、単座、単発艦上戦闘機

・全幅: 9.71m ・全長: 6.49m ・全高: 3.27m ・自重: 950kg ・全備重量: 1,450kg

・最大速度: 239km/h ・航続距離: 322km

・武装:7.7mm機銃 x2 爆弾 30kg x2

 

 三式二号艦上戦闘機 (A1N2)

 エンジン: 中島ジュピター7型空冷星型9気筒450hp x1

 

 中島飛行機が製作した 三式艦上戦闘機 (A1N)

・三式一号艦上戦闘機 A1N1 

  エンジン:ブリストル ジュピター6型空冷星型9気筒420hp x1 製作機数:

・三式二号艦上戦闘機 A1N2

  エンジン:中島ジュピター7型空冷星型9気筒450hp x1 製作機数:

                                       A1N1 A1N2 合計約100機

 グロスター ゲームコック

 イギリス、グロスター社の複葉、単座、単発、イギリス空軍の戦闘機。初飛行は1924年。

 グロスター クリープ戦闘機(初飛行、1923年)から発展した、木製骨格に羽布張り構造の旋回性を重視した軽量小型戦闘機。イギリスでは82機が製作された。

 日本での運用

 1928年(昭和3年)、中島飛行機が「ゲームコック」の翼幅と翼面積を増した艦上戦闘機「ガムペット」をもって海軍の次期艦上戦闘機の競争試作に参加、制式採用され 「三式艦上戦闘機」として国産化した。

 

 グロスター ゲームコック-1 諸元

 エンジン: ブリストル ジュピターⅥ 空冷星型9気筒420hp x1

 乗員: 1名 木製構造の複葉単座、単発戦闘機

・全幅: 9.80m ・全長: 5.98m ・全高: 3.27m 

・最大速度: 248km/h

・武装:7.69mmウ”ィッカース機銃 x2

 

 グロスター クリープ 諸元

 エンジン:アームストロング・シドレー ジャガーⅣ 400hp x1

 乗員: 1名 木製構造、複葉、単座、単発戦闘機

・全幅: 8.94m ・全長: 6.17m ・全高: 2.82m ・自重: 780kg ・全備重量: 1,189kg

・最大速度: 245km/h

・武装:7.69mmウ”ィッカース機銃 x2

 

註2)ボーイングFB2型戦闘機

 正しくは ボーイング218戦闘機

 ボーイング 218

 ボーイング P-12の試作型。アメリカ陸軍のテストが終了後、中国(支那)に売却された機体。1932年(昭和7年)2月、上海事変のなか蘇州上空で、この機を駆って  三式艦戦と交戦した米国人傭兵、ロバート・ショート中尉の乗機。

 

 ボーイング P-12

 アメリカ、ボーイング社の木製骨格に羽布張りの主翼、アルミ合金製セミモノコック構造の胴体を持つ複葉、単座、単発戦闘機。

 初飛行は1928年、1929年からアメリカ陸軍で運用が始まった。米陸軍機は、P-12B(初期生産型) P-12C/D(改良型) P-12E/F(胴体、軽合金製セミモノコック構造)と続き、生産機数は各型合計366機。

 米海軍でも「F4B」の名称で採用され、後継機の「F3F」の運用が始まる1938年まで第一線で用いられた。

 

 P-12B 諸元

 エンジン: P&W R-1340-17空冷星型9気筒525hp x1

 乗員: 1名 木金属混合構造の複葉単座、単発戦闘機

・全幅: 9.14m ・全長: 6.12m ・全高: 2.74m ・自重: 887kg ・全備重量: 1,210kg

・最大速度: 303km/h ・実用上昇限度: 7,740m

・武装:7.7mm機銃 x2 爆弾52kg x2

 

 九0式艦上戦闘機 (A2N)

 中島飛行機が製作した、複葉単座、単発艦上戦闘機。昭和7年(1932年)に制式採用された。

 中島飛行機は、昭和4年(1929年) 三式艦上戦闘機の後継機を自主開発、開始。イギリス、ブリストル社から「ブルドックMk2」を購入。この機体を参考にして昭和5年(1930年)(皇紀2590年)、NY試作海軍戦闘機「NY戦」(吉田ブルドック)を完成、海軍に提出した。三式艦戦と比較して大幅な性能の向上は見られず不採用となった。

 海軍でも昭和6年(1931年)アメリカからボーイング100D(P-12、F4Bの原型) を購入、後継機の開発を進めていた。中島飛行機は「NY戦」の経験と海軍から提供を受けたボーイング100D を参考にして、エンジンを中島「寿」に換え「NY戦改」として完成、昭和7年(1932年)海軍に納入した。海軍での審査の結果、性能は 三式艦戦を上回り、昭和7年(1932年)4月に 九0式艦上戦闘機(A2N1)として制式採用された。

 一号 A2N1(初期型) 二号 A2N3(生産型) 三号 A2N3(上翼に5°の上半角を付けた機体) 複座練習戦闘機 A3N1 がある。

 製作は中島飛行機と佐世保海軍工廠で昭和11年(1936年)迄に約140機が生産された。

 

 九0式三号艦上戦闘機 (A2N3) 諸元

 エンジン: 中島 寿二型 空冷星型9気筒580hp x1

 乗員: 1名 複葉単座、単発艦上戦闘機

・全幅: 9.37m ・全長: 6.18m ・全高: 3.20m ・自重: 1,000kg ・全備重量: 1450kg

・最大速度: 292km/h ・航続距離: 435km

・武装:7.7mm機銃 x2 爆弾 30kg x2

 

 中島飛行機が製作した 九0式艦上戦闘機(A2N)

・九0式一号(A2N1) 二号(A2N2) 三号(A2N3)艦上戦闘機

 エンジン:中島 寿二型空冷星型9気筒580hp x1

      製作会社:中島飛行機 製作機数:約40機

      製作会社:佐世保海軍工廠 製作機数:約100機  各型合計:約140機

・九0式複座練習戦闘機(A3N1)

      製作会社:中島飛行機 製作機数: 66機

 

 ブリストル ブルドック

 イギリス、ブリストル社が製作した複葉単座、単発戦闘機。初飛行は1927年。

 1926年、イギリス空軍からの仕様に基づいた単座戦闘機。整備の容易性が評価され、1928年から量産が開始された。1930年代初期のイギリス空軍の主力戦闘機。約440機が生産された。

 日本での運用

 1929年(昭和4年)、中島飛行機が2機を購入、艦上戦闘機(NY戦)開発の参考機として利用した。

 

 ブリストル ブルドック 諸元

 エンジン: ブリストル ジュピターV2F空冷星型9気筒498hp x1

 乗員: 1名 複葉単座、単発戦闘機

・全幅: 10.36m ・全長: 7.54m ・全高: 2.66m ・自重:    ・全備重量: 1,475kg

・最大速度: 300km/h

・武装:7.7mm機銃 x2 爆弾 9kg x4

 

 九五式艦上戦闘機 (A4N)

 中島飛行機が製作した複葉単座、単発艦上戦闘機。初飛行は昭和9年(1934年)。昭和11年(1936年)に制式採用された。

 九0式艦上戦闘機の馬力向上型として、昭和8年(1933年)に海軍から開発指示が出され、搭載エンジンを「寿」から「光」に換え、昭和9年(1934年)に 九0式艦上戦闘機改 として試作機が完成。「光」エンジンの安定性、視界不良、航続距離の不足が指摘され、これらの対策、改修に手間取り、九五式艦上戦闘機(A4N1)として制式採用されたのは、昭和11年(1936年)(皇紀2596年)1月となった。航続距離(不足)の対策として主翼下に増槽燃料タンクを取り付け、不時着水時には燃料を放出してフロートとした。

 九五式艦上戦闘機として採用された時には、九六式艦上戦闘機の試作機が完成、昭和11年12月に制式採用されたため、九五式艦上戦闘機の生産機数は昭和11年から昭和15年迄221機にとどまった。

 

 九五式艦上戦闘機 (A4N1 ) 諸元

 エンジン:中島 光一型空冷星型9気筒730hp x1

 乗員:1名 木金属混合構造、複葉単座、単発艦上戦闘機 

・全幅: 10.00m ・全長: 6.66m ・全高: 3.07m ・自重: 1,276kg ・全備重量: 1,760kg

・最大速度: 351km/h ・航続距離: 850km ・実用上昇限度: 7,740m

・武装:7.7mm機銃 x2 爆弾 30kg x2

 

 中島飛行機が製作した 九五式艦上戦闘機(A4N)

・九五式艦上戦闘機(A4N1 )

 エンジン:中島 光一型 空冷星型9気筒730hp x1 製作会社:中島飛行機 製作機数:221機

 

 光 発動機 (ウィキペディアより)

 中島飛行機が開発、製造した空冷星型エンジン。海軍に「光」として、陸軍には「ハ8」として採用された。社内の呼称は「NAP」。

 陸軍の指示により昭和6年(1931年)に開発を開始。ライトR-1820サイクロンEの機構を参考にした空冷星型エンジンが昭9年(1934年)「ハ8」として制式採用になった。更にその海軍型が製作され、最大出力が730馬力から770馬力に向上して、「光」発動機と命名され試作機(九0式艦上戦闘機改)に搭載された。陸軍機の呼称は「ハ8」。

 このエンジンは ライトサイクロンを参考にしたもので、ライト社の権利(ライセンス)を侵害した部分もあるので、「NAP」系列の量産が明確になった昭和9年(1934年)9月に陸軍の指示により中島飛行機はライト社から サイクロンF の製造権を購入した。生産数は「光」が約20台、「ハ8」、「ハ81」 合計730台。

 続いて昭和9年(1934年)1月に ライトR-1820サイクロンFの機構をそのまま取り入れたエンジンの開発を開始し、翌昭和10年(1935年)4月に一号エンジンが完成した。

 昭和11年(1936年)1月に 「光」発動機一型空冷星型9気筒730馬力(直結型)、「光」発動機二型空冷星型9気筒840馬力(減速型)として制式採用となり、昭和12年(1937年)10月、「光」発動機三型空冷星型9気筒770馬力 が制式採用された。陸軍では「ハ811」として制式採用となっている。

 生産数は「光」一型、二型、三型、合わせて約1,200台。「ハ811」が約200台。

 

 海軍機年表 昭和3年(1928年)から昭和7年(1932年)

1928年(昭和3年)(皇紀2588年)

  2月 一三式二号艦上攻撃機 制式採用

  3月 航空船を飛行船と改める

  3月 航空母艦 加賀 完成

  3月 二式水上偵察機 制式採用

  この年 三式艦上戦闘機 制式採用

       三菱、八九式艦上攻撃機 の試作開始

1929年(昭和4年)(皇紀2589年)

  2月  一五式一号飛行艇 制式採用

  5月  一五式一号飛行艇 横須賀ーサイパン間の飛行を実施

1930年(昭和5年)(皇紀2590年)

  1月  三菱 八九式艦上攻撃機 試作1号機完成

  この年 一五式飛行艇(改) 制式採用

       九0式一号水上偵察機 制式採用

1931年(昭和6年)(皇紀2591年)

  この年 一三式三号艦上攻撃機 制式採用

       一四式三号水上偵察機 制式採用

  12月  陸軍機 九一式戦闘機 制式採用

1932年(昭和7年)(皇紀2592年)

  4月  海軍航空廠を横須賀に設置

  12月  霞ヶ浦航空隊飛行船隊を解隊

  この年 九0式三号水上偵察機 制式採用

       九0式二号飛行艇 制式採用

       八九式艦上攻撃機 制式採用

       九0式艦上戦闘機 制式採用

       八九式飛行艇 制式採用

       オートジャイロをアメリカより輸入、萱場工業で実験

 

 上海事変と加賀飛行隊(三式艦戦)

 昭和7年(1932年)1月28日、上海、日本人租界の境界で軍事衝突が発生、この為居留民保護の名目で海軍艦艇、巡洋艦4隻 駆逐艦4隻 航空母艦2隻(「加賀」「鳳翔」)と陸戦隊7,000名を上海に派遣した。(上海事変)

 1月31日、艦隊は上海に到着、第一航空戦隊は上海沖に展開した。

 2月20日、日、支  両軍は戦闘に突入。

 2月22日 蘇州方面に出撃した 加賀飛行隊は蘇州上空で最初の空中戦を行った。

 この日、小谷中尉 率いる 一三式艦上攻撃機 3機、生田中尉 率いる 三式艦上攻撃機 3機がアメリカ人パイロット、ロバード・ショート中尉の ボーイング218戦闘機と交戦、ボーイング機は撃墜され、小谷中尉は機上で戦死した。

 2月24日 陸軍を上海に派遣

 3月1日 陸軍が上海周辺を制圧(七了口上陸作戦)

 3月30日 戦闘の中止を宣言。 停戦協定が結ばれた。

 

 ロバート・ショート中尉のこと

 アメリカの退役軍人ロバート・ショート中尉が支那軍パイロットとして戦闘を行ったことについて、上海の村井総領事からアメリカ総領事カニンガム氏に抗議提出を行った。

 これに対し、アメリカ政府は日本政府に対して、支那、中国は海外法権によりアメリカの司法権がおよぶところであるので、アメリカの陸軍予備役規定により外国の軍務に服する者は、その資格が剥奪されるとともに禁固3年または罰金1000ドルの刑に該当する旨の回答を得た。

 

 航空母艦 加賀

 ワシントン海軍軍縮条約の結果、建造中止となった 加賀型戦艦 を改装した航空母艦。1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦で沈没。

 起工 1920年(大正9年)7月 川崎造船所

 進水 1921年(大正10年)11月 川崎造船所

 改装、竣工 1928年(昭和3年)3月 横須賀海軍工廠

  公試排水量 33,700トン

 ・速力: 26.7ノット ・全長: 238.5m ・全幅: 31m

 ・飛行甲板(三層) 帰着甲板: 171.3m x 30.5m 発艦甲板: 55m x 24.4m エレベーター2基

 ・搭載機: 三式艦上戦闘機 16機 一0式艦上偵察機 16機 一三式艦上攻撃機 28機

        合計60機

 1932年(昭和7年)上海事変に参加

 改装着手 1934年(昭和9年)6月 佐世保海軍工廠

 改装完了 1935年(昭和10年)6月 佐世保海軍工廠

  公試排水量 42,280トン

 ・速力: 28.34ノット ・全長: 247.7m

 ・飛行甲板: 245.6m x 30.5m エレベーター3基

 ・搭載機: 九0式艦上戦闘機 12機 八九式艦上攻撃機 36機 九四式艦上爆撃機 24機

         合計72機

 第二次上海事変に参加

 1941年(昭和16年)12月7日保有機(搭載機)

  零式艦上戦闘機 21機 九九式艦上爆撃機 27機 九七式艦上攻撃機 27機 合計75機

 真珠湾作戦に参加 1942年(昭和17年)ミッドウェー海戦で沈没

 

 このタイトルから

 このタイトルの「サムライ」について

 今日、「サムライ」という文字が活字となって、「サムライ ブルー」(サッカー) 「サムライ(侍)ジャパン」(野球)と国を代表としたスポーツアスリートに付けられています。先の2016年リオオリンピック大会の陸上400メートル決勝で我がジャパン、リレーメンバーがフィールドに登場した時のパホーマンスはまさにこのタイトル題名でした。

 明治となり、武士(侍)の武装集団は、欧米に倣った軍隊となります。軍隊は 士官、下士官、兵士で構成されます。軍を束ねる士官は軍務をもって国家に仕える任官者です。以前の武士、侍にあたります。

 近代戦の軍隊は各兵科ごとに組織化された集団が士官に率いられて戦います。近代戦で「個」の立場で戦うことができるのが、唯一航空機、戦闘機同士の戦いです。

 第一次世界大戦の空の戦い、レッドバロンの物語りなどは昭和の初め、当時の少年達の胸躍らせてパイロットに強い憧れを持ったと聞きます。

 欧米に追いつき追い越せと最も近代化を図ったのが航空機、飛行機、特に戦闘機でした。

 戦いに備えて、日々訓練を重ねます。訓練の成果を試す機会が訪れました。昭和7年1月、航空部隊は上海沖に展開します。2月22日、蘇州上空、米国製戦闘機を巧みに操る支那軍機に遭遇します。

 このタイトルの記事、出来事は、おおばさん11才の時、この本を書かれたのが、敗戦後27年が経った昭和47年、50才の時です。書かれた記事、文の内容からはこのタイトル題名は思い浮びません。この時敢えてこの題名を付けたこと、何を伝えたかったのか、を今改めて考えてみたいと思います。

 今日、毎日の様に 「空のサムライ」はスクランブルで飛立っています。「刀」を抜く事態が起こらないことを、ただ祈るばかりです。

 

 グロスター ゲームコック戦闘機でもたらされた「ジュピター」エンジンは、海軍の 三式艦上戦闘機に搭載され、国産化されました、国産化されたエンジンは、陸軍の九一式戦闘機に取り入れられ、更にパワーアップされ「寿」エンジンとなります。

 次はタイトル「150機の編隊飛行ー九一式戦」に進みます。 (H30 ・7・16)

 

 このタイトルの挿し絵から

上の絵: 三式艦上戦闘機 です。

 三式艦戦の飛行する写真があります。機体、尾翼の記号番号はD-252、「D」は空母 龍驤 の搭載機の記号です。この絵は当時機体には、この様な記号番号が描かれていた、として眺めています。マフラーがたなびく様子、この機体の飛行ぶりを表す、おおば流の表現方法だと思います。

 

下の絵: ボーイング P-12 を描いたものと思います。

 支那軍機はアメリカ陸軍の標準塗装に「青天白日」のマークを描き入れていたようです。色を付けてみました。

 

このタイトルのページの挿し絵には、この二機の他 に三名が乗った一三式艦上攻撃機を描いて、空戦の様子を想像させています。

 

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