1-2 ダビンチのヘリコプター

 

 ローマ空港(註1)は、レオナルド・ダ・ビンチ空港と名がついている。ターミナルの前には大きなダビンチ(註2)の彫像がある。

 ターミナルの前には大きなダビンチの彫像があって、ユニークな空港カラーを見せてくれる。イタリアの芸術、科学の誇りをまず空港からお見せしようというワケだ。数多くある彼の話題の中でも、飛行原理の知識については今日でも驚くべきものがあるといわれる。

 なかでも、ダビンチが考案したというプロペラをもつヘリコプター(註3)の図面は直径が46フィートもあり、大きなプロペラによるパワーが飛行には必要あると、ここでは理論ずけている。

 わが国の空を飛ぶ全日空(註4)の飛行機の尾翼にかかれているマークはこれをデザインしたものといわれる。(全文)

註1)

フィウミチーノ空港、 別称 ローマ・レオナルド・ダ・ビンチ国際空港

ローマの国際空港として、1956年~1961年にかけて建設された。その後、繰り返して拡張されている。(その空港ターミナルの手前にダビンチの彫像がある。)

註2)

レオナルド・ダ・ビンチ  1452年~1519年

レオナルドは、その生涯を通じて空を飛ぶことを夢見ていた。

1505年頃、「鳥の飛翔に関する手稿」など鳥の飛翔を研究し、ハングライダーやヘリコプターのような飛行器具の概念図を制作している。

註3)

ダビンチのヘリコプター(その概念図の説明)

金属の枠に布を張ったスクリューを軸のまわりを人がレバーを押しながら歩くか、軸に巻いたロープを引っ張るかして回す。ねじ釘が空気をナットにして高く舞い上がる。としている。

 

ヘリコプター(Helicopter)

エンジンの力で機体上部にあるメインローターと呼ばれる回転翼で揚力を発生し飛行する航空機の一種であり回転翼機に分類される。

日本語では、略して「ヘリ」と呼ばれる。

「ヘリコプター」の名前は、ギリシャ語の螺旋:へリックスと、翼:プテロン、に由来している。

ホバリング(空中停止)ができることが最大の利点であるが、飛行機に比べると一般的に速度が遅く、燃費が悪く、航続距離が短い。また騒音の問題もある。

メインローターの数、取付位置によって

1)シングルローター式

2)ツインローター式  ・同軸反転ローター式

              ・タンデムローター式

              ・サイドバイサイドローター式

              ・交差双ローター式       に分類される。

ヘリコプターの歴史

1901年、ドイツのヘルマン・カンズウィントは現在のヘリコプターに相当する回転翼を装備した航空機に2名を乗せて15秒間の浮上を実演した。

実際にきちんと飛行できるヘリコプターが最初に飛行したのは、ハインリッヒ・フォッケ、により1937年、ベルリンで開発された、フォッケウルフ,Fw61である。

又、イーゴリ・シコールスキイ、はヘリコプターのパイオニアの一人で、単ローター、尾部ローター付、という今日の、反トルク・テールローター形式の基礎となった、VS-300を、1939年に初飛行させている。

この間、ローターの駆動はレシプロエンジンからガスタービンエンジン(ジェットエンジン)に移行していくが、1951年、チャールス・カマンの、カマン、K-225は世界初のガスタービンエンジン式ヘリコプターとなった。

現在(2016年)の主な製造会社

・カマン

・シコルスキー エアクラフト

・ベル エアクラフト

・ボーイング(バートルを吸収)

・MDヘリコプターズ(ヒューズヘリコプターを買収)

・ユーロヘリコプター

・アエロ、スパンアル

・ミル

註4)

全日空:全日本空輸株式会社 通称、全日空 略称、ANA(アナ)

日本ヘリコプター輸送株式会社と極東航空株式会社が合併、1958年(昭和33年)全日本空輸株式会社として発足。

・日本ヘリコプター輸送(株) 通称、日ぺり 1952年(昭和27年)設立

東京を拠点にヘリコプターによる宣伝事業を行っていたがその後、飛行機による事業にも参入。1953年(昭和28年)貨物航空事業を開始。1954年(昭和29年)に旅客航空事業を開始した。(社章としてダビンチのヘリコプターの絵を図案化したものを用いていた。)

・極東航空(株) 1952年(昭和27年)設立

大阪を拠点として、西日本方面の航空航路を運営していた。

全日本空輸(株)として発足した時(昭和33年)の保有航空機。

・ダグラス DC-3  9機

・デ、ハビランド DH114 ヘロン  3機

・デ、ハビランド DH104 タブ  4機

・ベル 47D-1 ヘリコプター  4機

合計26機、これをもって日本国内最大ネットワークを誇る航空会社となった。

以後、全日空の事業は拡大、発展を続け、2014年(平成26年)には、「旅客」RPKと呼ばれる航空指標で、初めて JAL(日航)を上回って日本国籍航空会社のトップになった。

現在(平成28年)の保有機数。

・エアバス 10機 ・ボーイング 204機  計214機

 

このタイトルから

文中にある「ヘリコプター」、「全日空」を各々単独で註3)、註4)で紹介しまた。

このテーマ以外に「ヘリコプター」は登場しません。明日のために(第4部)「350トン空を飛ぶ」の中で、Mi12ヘリ の絵が描かれているだけです。(説明文はありません)

「ヘリコプター」について、次いで「全日空、尾翼のダビンチ」ついて、思っていることを書いてみます。

その1)「ヘリコプター」に思う

ヘリコプターのフォルムが飛行美を感じさせないこともありありますが、(主観ですが)ヒコーキファンは、ヘリを話題の対象に含めないようです。でも、飛行機ファンを含めて航空機ファンにとっても「ヘリ」の部門は大きな興味の対象の一つです。

航空ファンならずとも、ベル、シコルスキー、ヒューズ、バートル、という名前はなじみののあるはずです。

ヘリコプター製造会社の一つに「ベル」というアメリカの会社があります。日本では戦後、間もなくニュース映画、新聞写真に登場した、あの「ベル47D-1」の製造会社です。その頃、映画、雑誌に登場した「X-1」音速突破ロケット機も「ベル」製でした。

世界中で使われ、またベトナム戦争でも大量に使われ、消耗した 「UH-1」(映画「地獄の黙示録」に出てきます)は、ベル社に莫大な利益をもたらせたと言われています。

そして今、ボーイング社と共同で開発した、ティルト、ローター機「オスプレイ」 V-22が登場します。

ベル社では、1940年代から ティルト、ローター方式の航空機の研究、開発を続けています。当時、航空雑誌でみる「XV-3」は実用化出来る機体とは思いませんでした。コンピューターによる制御技術の発展もありますが、これまでの開発過程に。ベル社の執念を感じます。

「ヘリ」の欠点であった、航続距離、速度、積載量、の面では、まずは軍事用からこの、ティルト、ローター機に移っていくものとおもいます。

また、これとは別に「ドローン」が現在の「ヘリ」の分野にかなり、じぇっととって代わるのではないでしょうか。

その2) 尾翼のダビンチ に思う

航空機(旅客機)の尾翼には、その会社のロゴが描かれていることが多く見受けられます。

この本が出版された当時、(1970年、昭和46年)全日空機の尾翼には、日ペリ から引き継がれた、会社のロゴ、「ダビンチ、ヘリ」(ダビンチのヘリコプター概念図を図案化したもの)が描かれていました。商業デザイナーでもあった、おおばさん、このロゴに、かなり関心と興味を持っていたことが、文中からも察しられます。

全日空のロゴの由来は、この本ではじめて知ったわけですが、航空ファンの間では「ダビンチ、ヘリ」として広く知られていたようです。

当時、この「マーク」(’ロゴ’という言葉まだ使われいません)を見ると、「日の丸の中に、帆掛け船」としか見えませんでしたが、これは全日空機だと、十分認識でき、愛着がもてるものでした。

その後、ジェット機にヘリのマークは、そぐわない、All Nippon の文字が小さい、とかで(推測です)、現在の「尾翼にANA」のデザインに変わりました。(1990年、平成2年頃)

もう一方の、日本航空(日航、JAL)機の尾翼には、赤く「鶴丸」が描かれていました。これも、この時代に合わない、鶴は不吉な鳥だ、という国がある、とかで(推測です)赤い尾翼(「太陽のアーク」と呼ぶそうです)に変わっていきました。(2002年、平成14年~2011年、平成23年)

今、飛行機を利用する際には、主な空港では、ボーデング・ブリッジを使用しています。乗る飛行機の形、機体の塗装、尾翼のロゴなど、ほとんど見ることは出来ません。(搭乗パンフレットで見ることはできますが)

’機体塗装’や’尾翼のロゴ’のファンも多く、色や形にいろいろ意見を述べています。

その尾翼ファンの要望もあったようで、全日空では「尾翼のダビンチ」の旧デザイン塗装を一機、復活塗装をして就航(2009年、平成21年)させた、とあります。

「尾翼のダビンチ」は社史の中でしか見られないのでしょうか、全日空OBからの伝承はあるのでしようか。少しばかり気になるところです。

その頃(2011年、平成23年)日航機に、会社の再建策と共に、「尾翼の鶴丸」が帰ってきました。機体全体に淡いグレー、尾翼の中心に鶴の日の丸、以前見慣れた、あの「鶴丸」です。シンプルで落ち着いたデザインは「にっぽんのヒコーキ」を感じさせます。

全日空機の機体塗装は、青(・トリトンブルー・モヒガンブルーという)二色を基調にした機首から尾翼に伸びるライン、その先尾翼中央の大きく白抜きのANAの文字、伸び行く会社の力強さと外国受けの良さを感じます。

全日空は「青」、日航は「赤」、「青」、「赤」で飛行機を予約する旅客もいるといいます。

尾翼のマークで乗る飛行機を決めるわけでもありませんが、「尾翼にANA」 「尾翼の鶴丸」両社の健全なる競争を期待します。

このテーマを書いている途中に、「全日空」について気になるニュースが入ってきました。

ボーイング、787型機のエンジントラブルについての報道です。

・8月25日、国内線で787型機がエンジンの不具合で途中引き返すという事態が生じた。

・原因はエンジンの中圧タービンプレートの腐蝕による疲労から亀裂が発生したことによる、と特定した。(亀裂の進行はプレートを破損する恐れがある)

・早期に現行エンジンを予備エンジンと交換するか、現プレートを新プレート部品に交換して対応する。

・ボーイング、787型機の保有機数は50機

・エンジンメーカーはロールスロイス社。(型式トレント1000)

・ロールスロイス社は改良タービンプレートを2017年1月から供給できる。

・交換作業で機体の通常ローテーションが組めなくなり、欠航便がでる。

と全日空は公開、発表しています。

現状は、この問題を抱えたままでの、飛行、運用「が続くようです。「安全」にどこまで費用をかけることができるのか、「会社」の体質は。・・・適切なる対応を願いたいものです。

ジェットエンジンのこと、ネット検索で見ている中で、下記のレポート、参考になりました。

「航空エンジンの整備に関する現状と動向」

     公益財団法人 航空機国際共同開発促進基金

 

50年前、「ダビンチのヘリコプター」は全日空の代名詞でもありました。おおばさんからの伝承を含めて、全日空のこと、書いてみました。   (H28・9・29)

 

 このタイトルの挿し絵から

 左側の絵:ダビンチのヘリコプター、おおばさんの模写

 右側のロゴマーク:全日空のロゴ(1980年代まで使用)

 

航空機に関する最近のニュース

’16 9/23 航空自衛隊向け、F-35の製造ラインがアメリカ、テキサス州フォートワースのロッキード・マーチン社で日本の報道陣に公開された。

同工場から、4機 三菱重工、小牧南で、38機、2024年までに計42機を製造する。

’16 9/25 MRJ、1号機 アメリカに3度目の出発。25日13時30分頃、試験飛行拠点のワシントン州クラント郡国際空港まで8000キロを4日~5日をかけて飛行、移動する。ルートは新千歳空港ーカムチャッカ半島ーアラスカ。試験機の1号機~4号機を順次米国に移し、試験を加速させる予定。 

 

                                          

  

 

 

 

 

 

 

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