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訪問看護ステーション ぬまづ

笑顔と思いやりを忘れずに、サービス内容の充実と、利用者の要望に柔軟にこたえていけるステーションをめざしています。また在宅での看取りも含め最期まで支援させて頂きます。ご相談等ありましたら、お気軽にご連絡下さい。

早いもので、もうクリスマスやお正月の話がでる時期になってしまいました。

忙しさは変わらないのに、なんだか落ち着かない毎日です。


さて、もう1ヶ月ほど前になりますが、11月14日沼津市で開催された介護の日特別イベント、石飛幸三医師による講演会に行ってきました。

今回のテーマは「『平穏死』という言葉の意味」です。石飛医師は9月にテレビで放送された「老衰死 穏やかな最期を迎えるには」という番組に出演された医師で、その番組では、老人ホームでどのように最期の時を迎えているのか、実際の御家族とのやり取りが放送されていました。非常に興味深い、これから日本が考えていかなければいけない問題だと思います。講演会当日は医療、介護、福祉関係、一般の方々が大勢来場されていました。

「平穏死」とは、人生の終末期において、特に老衰の場合には濃厚な治療を受けるのではなく、生活の延長線上で自然な最期を迎える、人生最期の生き方、死に方についての提案でした。

日本人は昔から「死」についての話はタブーとされてきました。私たち医療関係者も、一番死が身近な存在でありながら死を口にすることははばかられていました。

しかし、石飛医師は、いよいよ最期を迎えそうな方の御家族に真正面から向き合い、現実を、真実を伝えています。「食べないから亡くなるのではなく、亡くなるから食べないんです。」と。もう命の灯が消えそうだと身体が判断した時食べ物を受けつけなくなる・・・それが自然の摂理だと。

現代は医療が発達し、本人の意思すら確認できない状態で延命治療を受け苦痛を生じている方々がいる現実があります。胃瘻や点滴がすべて悪いわけではありません。それらを真っ向から否定するわけではありません。ただ、それらを簡単にわかりやすく言えば「もう身体がいらないって言ってるんだ、自然でいいじゃないの?」ということだと思います。

思えば昔は二世帯、三世帯が住む自宅で老衰死される方が多かった、医療が発達した現代でも、何もしないことが悪いのではなく、自然の成り行きにまかせる、そんな昔に戻ってもいいのでは、と思いました。

私たちは職業柄、多くの死に立ち会います。最期の生き方、死に方は十人十色、皆それぞれ違います。一人一人の死に向き合う時にいつも「これでよっかったのだろうか」「ご本人はどう思っているのだろう」「御家族は快くあの世へ送り出せているのだろうか」等々、たくさんのことを考えます。また、いろいろ学ばせていただくことも多く、本当に心から感謝しています。

最近は、昔よりも「死」に対してオープンに語られることが増えてきています。自分は最期の時になったらどうしてほしいのか、普段から話し合っておくことも大切だと思います。もちろん途中で考えが変わってもかまわない、もっとざっくばらんに「死」に関して話すべきなのではないでしょうか?

そんなことを考える講演会でした。