教授にはたいてい一つ個室が与えられている。教授室である。これまでに法医学で教授をしている人の教授室をいくつか訪問したことがある。部屋の中を見て気づいたことがある。二つのパターンがあるということだ。

 一つは、教授室の壁にほとんど何にも添付されていない部屋。もう一つは、壁にベタベタと写真や表彰状が貼られている部屋。

 法医学は社会との関係が密なことはまちがいない。警察から依頼のあった解剖を行い、警察の質問事項に答える。死因は何か。いつ亡くなったのか。薬物は飲んでないか。どんな傷ができているのか。裁判になれば問題になるような事項を解剖して報告する。いってみれば法医学の仕事は自ら進んでやっているというわけではない。社会からの要請に基づいて行っているといった方がよい。

 長年法医学にいると、警察庁や海上保安庁、法務省から表彰状をいただくことがある。私自身もこれまでに何枚か表彰状をいただいたことがある。

 教授室に入った時、そうした表彰状が何枚も貼られている部屋がある。部屋の主はどういった気持ちでそうしているのだろうか。貼ることによって、こうした社会貢献をしていますということを表現したいのだろうか。

 実は、私の教授室はそうはなっていない。そもそもそうしたことが嫌いだ。私は卒業してすぐに法医学を専攻したわけではない。研究というものに興味があり、大学院へ入った。そういった経緯が関係しているのかもしれない。

 もともと法医学を専攻した人は、法医学の仕事内容が社会と密接に繋がっていること、社会に必要とされていることを理解している。そこに魅力を感じて、法医学教室に入ったのかもしれない。解剖というものをそういった風にとらえている。

 私の場合、解剖というのは、研究材料を集めるという側面が強い。もちろん解剖している時には、研究のことだけを考えているわけではないが、研究に関係のありそうな症例に出くわすとわくわくする。私にとって、解剖をすることは私の知的な興味を満足させるという一面があるようだ。だから、わざわざ先方様から表彰状をいただく必要性などは感じない。私のこうした思いが、法医学に籍を置くものとして、正しいことなのか間違っているのか。今となっては、それはもうどうでも良いように思われる。間違っていると言われても、もはや考えを変えるつもりもないし、そんなことはできないように思える。