防府教会だより 599号 | 防府カトリック教会

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防府カトリック教会の日々の
出来事を綴っていきます。


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        赦されなさい

                               猪口 大記神父

わたしは言うーその日には祭儀に与かる人々は疎ら、慌ただしく立ち去る人々は群れとなる。人々は心に言うーああ、暗い、寒い、辛い。どれだけ犠牲を払えばよいのか。もう十分だ。しかしそれでも前に立ち怯むことなく、いつ果てるともなく話し続ける。嘆く者の呻きが満ち、怨嵯の視線が注がれる。安らかに眠る者は幸いである。彼らだけが安息の

内にいる。

 

四旬節黙想会、楽しみですねえ。いえいえ、良い指導者に恵まれれば、こんなことにはならないはず。祈りましょう。先程のはあくまでも私視点です。私の場合は力及ばず、たくさん犠牲を捧げさせますのでね。ああ、快感。 

 しかし、そもそも何のために黙想会するんでしょうね。固い椅子に座り必死で眠気と戦う。犠牲を捧げる意味では大成功。ただそれ故にこそ、最も尊い犠牲であるミサの参加者が減ると、本末転倒のような気がします。熱い信仰によって活き活きと参加できれば何よりですが、人はそうそういつも信仰に燃えているわけではない、というのが現実。

 

さて四旬節は「償いの季節」と規定されまそれ以外でも「償いの日」です。ちなみに金曜日は通年償いの日です。こんなのが教会法1250条あたりにまとめられています。

 

ただ「償い」つて何なのでしょうね。償いの日や季節に呼びかけられる回心の過程で

は、①聖霊に促されて罪を悔い、②赦しの秘跡で赦され、③罪の結果生じた損害を出来得

る限り償うこと、④「神や人々との間に残る傷の回復」や「霊的成長のため」に愛徳の業や信心業の実行などが勧められるのです。この辺はカテキズムの1453,1459,1460番でも読んでみましょう。

 

とにかく償いには③と④の両方があり、ここでは特に④の意味に注目します。それはr罪を赦された大がより良く生きるため」であり、「罪の赦しを実感させる」ものでもあります。適切な償いの業は、犠牲であるよりもむしろ、人の心を癒すものです。ただこれらの前提には①聖霊の働きと、②罪の赦しがあります。これを欠くと償い業の良さや、癒しが感じ難くなります。

 

マルコ福音書の3:28-30.を読むと、「聖霊を冒涜する者は永遠に赦されない」とあります。これは「聖霊の働きを受け容れない」態度と関わります。そこでは聖霊の業を認めず拒否しているからです。

 そもそも「神が救いを望む」とは、「罪の赦しによって神に立ち返ることを望む」ということでもあります。もし「赦されない」ことがあるならば、それは「赦しを受け容れない」からでしょう。もし自分は裁かれるのではないかと恐れて赦しを受けないならば、そ

れは罪を赦そうとする神の愛を信じるに値しないものとして「神を裁いている」ことになるでしょう。 恐るべき裁きや罰は、むしろ自分が自分に課しているものです。それらは全てを赦す神に委ねた方がいいのにねえ。

 

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 隣人となるために”被災地・福島を訪ねて

エリザベト  山本 綾子

 

東北大震災から7年の時を経て、『被災地は活気を取り戻し、復興に向かいつつある』とメディアは伝える。しかし福島は、第一原子力発電所の爆発事故により、放射線物質の拡散による被害に苦しみ続けている。福島へ行き現状を確かめたいという思いで、12月26日~30日に柴田神父様や山口教会の方々と被災地ボランティアに参加した。 

 

主な仕事は、放射線被害への不安から園庭や校庭で遊ぶことが制限されている子どもたちの学童保育の手伝いだった。室内に設置された砂場やジャングルジム。教室内で楽しそうに長縄をする子どもたち。青空の下、思いっきり駆け回るのが本来の子、どもの姿なのに、と私は複雑な気持ちになった。

  

4日目の視察では、防災センターを皮切りに被害の大きかった浜通りを南下した。報道された被害場所が次から次へと迫ってくる。

第一原発に近い双葉町や大熊町にさしかかると、手にした放射能測定器の数値が急激に上がり始め、緊張感が高まる。居住制限区域はもちろん、避難指示解除区域に入っても、目につくのは崩れたままの住宅、人気のない町で点滅を続ける信号機。帰還困難地域入口に

設置されたバリケード、随所に置かれた放射線量を測るモニタリングポスト、野ざらしのフレコンパック。荒廃した異物だらけの町が虚しく広がり続ける。これが復興から取り残された福島の姿である。

 

 

 

自分のふるさとに帰りたくても帰れなくなった現代の難民たちは、この豊かな日本社会の中に現実に存在している。この国は本当にこれで良いのか、と憤りを感じた。 考えさせられたのは、被災地支援が第2の段階を迎えているということだ。仮設住宅を離れ、新しい土地で暮らし始めた人も多い。この7年のうちに不便ながらも助け合いながら生活を支え合ってきた人々が、また離ればなれになっていく時期が来たのだ。新しい人間関係作りや環境への適応は、高齢者にとっては実に厳しく、ストレスの原因となる。被災者へ対するきめ細かな心のケア、健康状態の確認など、これからはソフト面での援助がさらに必要になるだろう。このニーズに応えていくことが、教会の役割かもしれない。

 被災地に笑顔を取り戻すために、苦しみの中から見えてきた光を応援していくために、

私たちは福島の人々の真の隣人となり生きていくべきではないだろうか。

 貴重な体験をさせてくださった防府教会の皆様に感謝しつつ、考えたことを綴ってみた。

 

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堅信をうけた息子へ

ペトロ 石田 達也

 

久々にあなたに手紙を書きます。堅信!おめでとう!お父さんは、嬉しいというよりホッと

したよ。洗礼、初聖体、ゆるしの秘跡、そして堅信。あなたはカトリック信者としで成人式”

を迎えました。おじいちゃん&おばあちゃんから受け継いだバトンをあなたに渡しました。あとはどうぞ、神さまとあなたとでお好きなように!

 「お父さん!堅信受けてもいいけど、神さまがいるとは信じてないよ!」お父さんは心の中でクスッと笑いましたよ。こんなところは似なくていいのに・・大丈夫!お父さんなんて、あなたと同じ年頃に「神さま!ほんとにいるんかい!」とけんか腰で、十字架のイエス様を睨んでいましたよ!そのくせ、試験期間中は「神さま!マリア様!どうか!お助け下さい」と祈っていたんだから・・とんだ放蕩息子だったんだよ。

 それから放蕩息子だったお父さんは、神さまに対抗意識を燃やして、高校、大学と学問的にいろんな宗教を勉強したよ。他の宗教施設にも行ったんだよ。でも、なぜあなたに受洗させたのか?・・お父さんなりの答えはねえ‥結局“実家”だったのかなあ。お父さんとお母さんがあなたの側にいることに対して、あなたは何の疑いや感謝もしないように・・そのことが“当たり前”なんだよ。「信じてない!」そう思うことは幸せなことなんだよ!お父さんやお母さんに対する“愚痴”と同じようなものなんだから・・だからこそ、あなたは教会にも行くし、中ブロにも行ぐのでしょう。

 「親になって初めてl分かる親心」この堅信のお恵みを本当の意味で分かるのは何時でしょうか?でも大丈夫!お父さんは確信しています。たとえ、あなたがカトリック教会を一時離れたとしても、故郷であなたのことを思うお父さんとお母さんが常にいるように、あなたの実家“カトリック防府教会”があなたの心の中に育っています。神父様、シスター、信徒の皆さんがあなたの小さな信仰の種を育ててくれましたよ。その種を、これからあなたが出会う人たちとの喜び、悲しみ、辛さを肥料とし、ますます大きな果実とし、次世代にバトンタッチすることを祈っています。本当におめでと!

 最後に、あなたが今まで頂いた秘跡。そのために多くの人たちがお世話して下さったよねえ。

もう成人したのですから、“感謝”を忘れずに、これからは、あなたも“与える人”になって下さい。それがお世話になった方への一番の恩返しだとお父さんは思うよ。頑張れ!!

 

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