それは、55年前の遠い昔の話だが子供心に強烈な記憶として残った。
 

当時、父は大型冷凍機の職人をしていた。

まだまだ日本の技術は未熟で冷凍機のほとんどはアメリカ産、

もしくはヨーロッパ産で、日本製としては最大手の三菱重工製が健闘しているぐらいだった。


俺の父親は、当時全国にも希少な冷凍機一種の免許を保持していて、

まあ頑固職人のお手本だった。


ただ、その免許と技術のおかげで、あらゆる企業から引手数多だったこともあって、父親は高慢になり
上司の言うことを聞かなくなり、上司から敬遠され職を転々とすることになった。

 

そんなことを続け、結局働き口が無くなり個人経営でやりはじめた。
独立しても、冷凍一種が必要な特殊仕事が個人経営の店に依頼など来るはずもなく、貧乏のきわみだった。


さすがにプライドだけでは食っていけず、当時、ちょうどTOTOのウォシュレットが出始め、トイレ交換の工事をし始めた。

俺は当時中学生で、たまに仕事を手伝っていたが、トイレの隅を拭きながら父親が
泣いているのを見た。

俺は父親のせいで転校を繰り返していたことを恨んでいたが
トイレの隅で泣いている父親を見て、さすがにそんな気持ちは吹っ飛んだ。


そんなある日、埠頭の管理組合から直接仕事の依頼がきた。

なんでもアメリカに向かう貿易船の冷凍機が就航後壊れたそうで、

その修理依頼だった。

 

......続く