こんにちわ、いけおです。
今日は昨日のヒストリカルツアーの
続きをお送りします。
日本旧刑務所の後は・・
黒木大隊玉砕の地
日本は徐々に追い詰められ、
各地で激戦を行いました。ただ事前に
同じような島で何度も訓練し、3倍の兵力、
3倍の戦車・航空機で戦いを挑むアメリカに対し
玉砕していきます
しばらく使えなかったそうです
今はただの荒野で木が生い茂っていますが
昔はここから日本へ向けて大量に飛び立っていきました。
ちなみにアメリカは独自の空港を作っていましたが風向きの
関係など使い勝手が悪く、結局奪った日本の空港を使ったそうです。
旧日本軍が使用していた戦車。
4人乗りだったそう。普通の服装でも暑いのに
軍服で乗ったらさぞかしきつかったと思います。
ちなみに今サイパン南部での戦闘の話をしていますが
南部の守備は旧満州からの移送兵だったそうです。
マイナス40度で訓練された兵士が常夏のサイパンに
来て戦うのはすごく大変だったと思います。
地形すらわかっていなかったものが多数だったようです。
ただの穴・・ではありません。
旧日本軍 弾薬庫です。
周辺にものすごく蜂が飛んでいる為
近寄れませんでした。他のツアーバスも来ましたが
こちら同様降りませんでした
最後の画像は日本学校の校長先生の
お宅だった木造の建物です。もう建てられて
70年以上たっているのにいまだにしっかり
原型が残っていてすごいです。
ちなみにサイパンの教育では今まで占領してきた
スペイン・ドイツ日本・アメリカの中で日本が一番
しっかり教育していたようです。そして日本占領時代
沖縄から約24,000人もの日本人が移住したおかげで
サイパンはものすごく栄えたそうです。
これにてヒストリカルツアーは終了です。
太平洋戦争でこんな遠くの島で戦っていた
日本兵がいたと思うと感慨深いものがありますね。





