食べて食べて猛烈に食べるカオナシ。
寂しさを埋めようと
過食がとめられない。
飲み込んでいく。
身体が大きくなっても、
心が満たされなくてひもじいんだ。
小さい頃、私はカオナシが気持ち悪かった。
だけど今ならわかる。
孤独な気持ちを言葉にできない人だってこと。
 

 

 
「千と千尋の神隠し
宮崎駿監督
2001年
(画像お借りしました)

 

 
コロナ禍で初めて
ジブリ作品を大きなスクリーンで味わった娘。
 
幸運にめぐまれたなぁ。
 
久石譲さんの音楽の美しさ、
胸にしみこんでいく切なさ。
 
美しい水の表現を
目に焼き付けて帰ってきました。
 
「劇場に、たった3人で貸し切り。
贅沢でありがたい時間をもらったよ。
『偏見や欲に固執する人っていうのは、
自分を取り戻すために相当な時間がかかる
深い物語だ…」
 
そんな風に話してくれました。
 

 

 

  娘の感想

「千と千尋の神隠し」

リバイバル上映されると知ったとき、
海の上を走っていく
あの列車がよぎった。
お金が欲しいときだけ、
集まってチヤホヤする人々。
 
カオナシがお金を生む存在でなければ、
近寄ってこない連中。
その中で、
痛々しいほど食べつづけるカオナシ。

カオナシは、
自分と同じように両親も居場所もない
千の孤独に引き寄せられる。
彼女の後を追いかける
友だちになりたくて
両手いっぱいの湯札やお金を差し出す。
だけど千は必要な分しか受け取らない。
心の空虚を満たす料理をすすめたのに、
「私の欲しいものじゃない」
ときっぱり断られる。
拒否され困惑するカオナシは
怒りながら「寂しいんだ」と叫ぶ。
 
あぁ、寂しくて辛い人は
ぎりぎりになるまで本音を言えないんだな。
今まで言葉に出来なかった想いが
どっと溢れる。

吐いて吐いて、苦しい。
苦しくさせた千への怒りで暴れ出す
この場面がとても切ない。
 
たまった気持ちを吐き出して、
元の大きさにもどったカオナシに
 
千は「一緒に居場所を見つけに行こう」と
声を掛ける。
 
大切なものを失いかけた千だからこそ、
カオナシの心細さに寄り添うことが
出来たのかもしれない。

 
そんなカオナシに居場所を与えてくれたのは
思慮深い人物だった。
 
いっしょに食べ、
いっしょに何かを作る。
そのぬくもり。
ほっとする場所。
 
銭婆。
彼女の家は宝石やごてごてした装飾がない。
足るを知る人なんだなぁ。
 

千尋の心の目はどんどん磨かれていく。

 

汚い泥にまみれ強烈な異臭を放つ客
触れて初めてその痛みに気付く。
 
「湯婆婆の手先だから、
千も気を付けた方がいい」
と忠告されても、
少年の気持ちを重んじる。

 

先日読んだ本「かもめのジョナサン」の中に
こんな言葉があった。
 
「きみの目が教えてくれることを
信じてはいかんぞ。
目に見えるものには、
みんな限りがある。
きみの心の目で見るのだ」
 
 
湯婆婆は千尋を試す
「この中から
お前の両親を見つけろと。
 
それは心の目を鍛えた千尋への
卒業試験のように思える。
 
 
紫陽花椿が同時に咲く
不思議な世界が秘めていたのは、
物事の本質を見抜く強さだった。
 
 
ということで、娘のレビューでした。
 
アカデミー長編アニメ映画賞