山猫ジャッカル
その座を奪われる時代がきてしまった。
貴族の時代から庶民の時代へ。
若さから老いへ。
時の移り変わりを受け入れなくては
と思いながらも、魂は彷徨いつづける。
 

 

 
山猫
ルキノ・ヴィスコンティ監督
1963年
バート・ランカスター
アラン・ドロン
クラウディア・カルディナーレ

良い台詞、良いシーンが詰め込まれ、

3時間があっという間。
娘は劇場鑑賞してましたが、
私は録画観賞です。
 
面白かったので、
思わずもう一回おかわり観賞。
 
さすがにバテました。
 
 
美しく華麗なだけじゃない、
侘しさ虚しさを画でみせてくれる
残酷な美文化遺産
 
ヴィスコンティ監督にしか描けない本物
ここにある。
 
変化を受け入れられない
父娘葛藤苦悩が描かれます。
父は時代の流れ老いを憂い
娘は想い人の変化を嘆く。
価値観の変化を甘受できれば
ラクに生きていけるのに。
ではわかっていても、
貴族としての誇りが許さない。
 

 

 

神父から「盲目の魂」と嫌味を言われ
激高する公爵。
「盲目じゃないからこそ、苦しいのだ。
君にはわかるまい」
 
神父は知る。
「我々には解からない
貴族の悩みや憂いがある、
独自のしきたりや美学を持つ

生き物なのだ」

 

 

 

 

  感想

浮かれ騒ぐ宴がつづくしさ

さりとて宴の終焉もしい
 
変化を歓迎し積極的に飛び込んでいく、
アラン・ドロンと
クラウディア・カルディナーレ。
美男美女が広い屋敷で
かくれんぼする場面では、
生者と亡者の対比が
浮かび上がってきます。
かつての貴族の繁栄が垣間見える
たくさんの部屋は、
今では蜘蛛の巣がはり、
家具も手すりもちはじめ、
すっかり色あせている。
部屋から部屋へ、
若い2人が新しい風のように
鬼ごっこをするんです。
この残酷さ。
2人は若くて柔軟。
老いの不安や死の恐怖も、ピンときません。

 
一方、公爵(バート・ランカスター)は、
舞踏会のむせかえるような
若さと熱気に息苦しくなり
隅の椅子に腰をおろす。
つかれた。
 
賑わいの中の孤独な自分。
そっと大広間から離れ、ひとり書庫へ。
 
死の絵画の前でたたずんでいると
甥と婚約者がやってくる。
彼らは、心細いことを口にする伯父さんが
心配になる。
元気づけようと、
甥の婚約者アンジェリカがダンスを申し込みます。
 
輝く美女の申し出にまんざらでもない公爵。
たとえ品性に欠けていても、
男をにする女性だ。
アンジェリカも心得たもので、
甘えて媚びながら男心をくすぐるんです。
 
胸に手をおかれ、ときめく公爵。
 
そういう気持ちに、年齢は関係ありませんね。
老いを感じつつも、枯れたわけじゃない。
 
伯父にリップサービスする甥(アラン・ドロン)
 
寛容に見せているけれど、
じつは内心おだやかではありません。
手をとりあってワルツを踊る伯父さんと婚約者。
2人を目で追いながら、
羨望と嫉妬の表情でみつめます。
アラン・ドロンの複雑な顔がいいですねぇ。
人の心をもてあそび、
翻弄することを楽しむ彼だけど、
伯父さんの魅力には太刀打ちできない」
心の中で、そう感じている。
粋で渋い伯父さんが皆の注目の的になり、
若返る姿に嫉妬する。
バートランカスターの顔が
一気に精気をとりもどす瞬間の美しさ。
青い瞳が、アランドロンの瞳以上に輝き、
はっとさせられます。
 
時代についていけない虚しさも、死の恐怖も、
踊っている間だけは忘れられる。
「まだまだ現役ですな」
「たいしたものだ」
「さすが、ダンスの達人と
呼ばれただけのことがある」
 
観客は口々にほめそやし、
華麗なステップと優雅さに目を細める。
 
それはまるで、
ロウソクの炎が
燃え尽きる直前の輝きにも似て。
 
貴族と市民がをつなぎ、マズルカを踊る。
部屋から部屋へ蛇行しながら動いていく。
 
そして、
時は容赦なく
次の世代に移っていく