釣り人は若い女性の裸死体を撮った。
女は死人のメイクを施した姿を撮られた。
同じ店で現像した写真を間違えて受け取った2人
怪訝そうに相手を見る。
どちらも女が“殺されて”いるのだ。
犯罪の匂いを嗅ぎ取った両者は、互いの車のナンバーを必死に暗記する。
しかしそれも、ピクニックや地震や男たちの浮気や子どものことで、
すぐに記憶から流れていく。
「ショート・カッツ」ロバート・アルトマン監督1993年 3時間
 
(画像お借りしました)

母娘で1つの作品をみて、ほとんど同じ感想を持った「マーティ」

それに対して、今作は少し違う印象をうけた作品です。

私は、夫婦の暮らしを肯定的に楽しみ、
娘は、人間社会の皮肉を楽しみました。
 


【娘の感想】

どこのだれが自殺をしても、
世界は動きを止めない。

ぷかぷかと死体が浮かぶ、
その隣で鱒を釣り上げハイチーズ

子どもが意識不明で亡くなった、

とは露知らず、腹いせにいたずら電話するケーキ屋。


職権乱用の警官は犬を捨て不倫し、

男は見知らぬ女を殺す。
マグニチュード7.4の大型地震が人々を揺さぶったところで、
酒を呑みケラケラ笑うことを止めない。

「この地震の影響で、女性一人が亡くなった模様・・・」
たった一人ぐらいどうしたって言うのよ」

唯一の家族だった娘の遺体を目にして初めて
世界が止まったような、そんな気がするだけだ。


そして私たちも、たった3時間前に観たはずの
殺虫剤を散布するヘリコプターの映像を、
すでに忘れかけている・・・


人間は慣れる生き物だけれど、そこには弱点がある。

結婚して子どもが生まれることも、その生活も、
当たり前じゃないのに当たり前になってしまう。



そもそも生きていることだって
全然当たり前じゃないのに、
みんな当然みたいな顔して生きている。



地震や豪雨に見舞われたとき、
亡くなった方々のことを、復興までの道のりを、
絶対に忘れないでおこうと心に決める。

けれど、土砂を洗い流し瓦を新調し、
避難所や仮設住宅が空になれば、
一体どれだけの人があの時を思い出すだろう。



人間が生まれ持った能力、
慣れること・忘れることの愚かさを、
皮肉だよねって突っ撥ねて笑っている映画「ショート・カッツ」


娘の感想でした。