信心深い者が崇高とは限らない。
純真さのなかに残酷さが入り混じる。
 
盗人も暴行をする者と
信心深い者は対極ではないのだ。
 
泉の水では清められない人の業。
イングマール・ベルイマン監督の代表作。
厳しい不条理ホラーのような名作です。
 
 

処女の泉

イングマール・ベルイマン監督

1960年

マックス・フォン・シドー

 
私にとってのトラウマ映画
娘が劇場鑑賞しました。
 
世界の巨匠
イングマール・ベルイマン
生誕100年ということで
特集上映が開催されています。
娘「劇場でベルイマン作品を鑑賞してくる!」
私「何をみるの?」
娘「処女の泉
私「おぉっっ、、ホラーより怖い、ぞっとする話…」
娘「たぶん、私は好きなジャンルだと思うな(笑)」
第七藝術劇場で鑑賞した娘。
帰宅して興奮気味に話をしてくれました。
 
「さすがベルイマン!
一番好きなのは第七の封印だけど、
この作品も相当すごい!
人間をここまで残酷に美しく撮る
ベルイマン監督って本当に厳しい人だ」

 黒澤明監督の羅生門の登場人物と、
 今作のキャラクターを重ねて観るのも
面白かったそうです。
 京マチ子さんの役と、
今作のカリーナが重なったとか。
 
 同情する気になれない女性の描写が印象的。
 監督さんは女性に対しても容赦がないですね。
 
では娘の感想です。
 

 

 

あらすじ 

一人娘のカーリンは甘やかされ着飾り、

滲み出る軽薄さ
思慮深さに欠ける、無垢な娘。
彼女と対照的な召使の女。
虐げられながら暮らす女は、
カーリンを横目に心の中で悪態をつく。
教会に向かう道中、
悪漢たちにカーリンは襲われる。
彼らが一晩の宿をもとめに訪れた家は・・・
なんと彼女の実家だった。

 
 

 

感想 

罪なき子の死も親の復讐も、

あなたは見ていたはずだ。
それなのになぜ…。
 
召使女は
教会に行くことになったカーリンのために
サンドウィッチを作らされる。
白いパンにチーズとラム肉を挟むところ、
生きたカエルを捕まえて
2枚のパンで挟み込んだ。
そして、カーリンが
男たちとサンドウィッチを食べる場面。
和やかな顔つきだった男たちは、
突然いやらしく迫ってくる。
怖じ気づいたカーリンはサンドウィッチを落とす。
中にいたカエルが飛び出す
と同時にカーリンはあっというまに襲われてしまう。

2枚のパンに挟まれたカエル、
二人の男に襲われたカーリン。
 
着飾ったとしても所詮 
女はガマガエルのようなものだ
とでも言いたげな残酷すぎる演出。
 
見事に心を掴まれてしまいました。
 
後半、さらに恐ろしさが加速します。
 
父親が清めの儀式に使うため、
木を倒す場面。
 
まだ若い白くて美しい一本の木
それにまたがって、枝を切り落としていく。
このシーンがね、
カーリンが襲われるシーンと
重なって見えるんですよ。
神を信じる者もそうでない者も、
結局していることは…。
こんこんと湧き出る泉に、
けして流すことはできない
罪の意識が後を引く。
 
 
暴漢を赦すことができなかった我々。
 
神よ、許し給え。
 
救い給え。
 
泉が湧き出ると、
 
これが神の返事だと思い込む。
 
我々は神に許されたのだ・・・
 
そう信じて
明日を生きていく。