「うつ病になるまで
生きることが、こんなに大変とは・・・思いもよらなかった。
療養しながら生きぬく人たち、本当にすごいヾ( ´ー`)」
「生きる」黒澤明監督1952年143分
映画ファンなら一度は目にする志村喬さんのブランコシーン。
彼女が大学と治療を両立していた頃。
希死念慮という発作が頻繁に起こり、苦しんでいました。
この症状は、脳神経の誤作動です。
「私、死にたくない。でも、発作に殺される!
なんとか生きつづけられないか・・・」
そんなとき
午前十時の映画祭7のラインナップにあった作品。
【娘の感想】
志村喬さんが市役所に勤める主人公を演じています。
人間が死を宣告されたら死ぬまでどう生きるか。
この物語は2部構成になっています。
前半は、主人公の目線で話が進む。
彼が自分の生き方を見つめ直す過程が丁寧に描かれます。
後半は、周囲の人間目線。
職場の人間の目を通して、彼がどのように職務を全うしたかが描かれます。
印象的だったのは部下だった女性と話す場面。
ここで自分がガンだということを初めて伝えます。
「自分には生きがいがないけれど、
残りの人生を有意義に過ごしたい」
それを聴く、とよさん。
彼女は役所を辞めて工場で働いています。
工場で作ったウサギのおもちゃを見せる。
「これを作ってると、世界中の子どもたちと遊んでる気持ちになるの。
あなたも楽しまなきゃ損よ」
そこでハッとした渡辺さん。
今の職場でも出来ることがあるのではないか。
彼の表情に生きる力がよみがえります。
ここで流れてくるのがハッピーバースデーの曲![]()
渡辺さんととよさんの反対側の席では、
大勢の人が友人の誕生日を祝っている![]()
大声で歌いながら手を叩いて。
その声に見送られるように階段を駆け下りる渡辺さん。
彼の新たなスタートが祝福されているよう。
素敵な場面でした。
社会というのはズルいものですね。
権力者は手柄を横取りするし、下のものはそれに従う。
しかし、渡辺さんはそんな低レベルな次元で生きていなかった。
重役たちが「うん」というまでその場を離れない彼の執念。
絶対にやり遂げるぞという強い気持ち。
ただただ仕事をこなす、事ながれ主義の人々に対し
渡辺さんは気高い存在として描かれています。
そして彼の生き様は公園という形になって生きている。ゴンドラの唄。
彼が歌う場面は2カ所。
この2つの場面、どちらも感動しました。
どう生きるか模索しているとき。
ダンスホールで「ゴンドラの唄」を演奏してもらう。
大きな目に涙をいっぱいためて。
これからどうやって生きよう。
誰にも言えない心細さ、押し寄せる不安。
彼の表情が物語ります。
そして、完成した公園で。
仕事を成し遂げたな。
これで思い残すこともないな。
しみじみと歌う渡辺さんの姿にグッときました。
いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを










