阪神大震災の際も多くのジャーナリストが入り、目の前の命を救うか、報道して多くの人を救うのか、心の葛藤で涙したことをいまでも語り継ぐ人が多いのですが。。。。
今そこで失われる命を前にして、人間としてシャッターを押す行為を自分が許せるか葛藤する。
当然我々被災者は、ばかやろう人でなしと罵りぶん殴られた記者は数を知れなかった。
カメラを取り上げられて壊された記者も大勢いた。

だが、それが報道され、その映像を見たものが、赤十字に募金をし、あれだけの多くの被災者がいたにもかかわらず、ひとり十万円という大金を渡すことができたのだ。

私も、その十万円がなければ今生きているかどうかわからない。
その十万円を握り締めて舞鶴港から小樽行きのフェリーにのって再起を誓ったのだから。

当時は、税金での私有財産の救済は、税金の使い方に不平等が生じると言って一切なかったのだ。

利子補給による貸付が精々であるが、これもかなり制限が多く誰も使わなかった。

新聞が利益だけを追わず、本当に市民のために自分が傷つくことがわかっていても真実について伝える気があるなら新聞は滅びないだろう。


報道ということについてひとつの考えさせられる事件を紹介します。

 1993年カーターさんは、長期間にわたる内戦で多くの人が飢餓に苦しむスーダンに入りました。世界の人々にその悲惨な状況を伝えるためです。

 そしてある日、彼は「その場面」に遭遇したのです。それはスーダンの小さな女の子が飢えと渇きで今にも命尽きようとしているところでした。しかもすぐ傍には大きなハゲワシがじっと少女を見つめています。命尽きるのを待ち構えているのでしょうか。カーターさんは夢中でシャッターを切ったといいます。

 この写真で彼はピューリッツァ賞を獲得しました。しかしこの1枚の写真がニューヨーク・タイムズの一面を飾った後、全世界にスーダンのことが知れ渡り、世界各国から支援の輪が拡がり何万人という人々が飢餓から救われました。

しかし。。。

彼は世界中から「写真をとる前になぜ少女を助けないのか」と、ものすごい数の非難を浴びることになりました。彼は受賞の数週間後に自殺したのでした。

 カーター氏が写真を撮影した際の状況については、これまで様々な報道がされてきました。彼は撮影後ハゲワシを追い払ったと語っていました。また、実はこのスーダンの少女のすぐ近くに母親もいたという説もあります。

このカーター氏の死をテーマにしたドキュメンタリー映画を製作したクラウス監督は、カーター氏についてこのように述べています。「この一枚の写真の中にカーター氏の複雑な心境が表れているような気がする。カーター氏は、このスーダンの少女にアフリカの苦しみを、そしてハゲワシに自分の姿を重ねて見たのではないだろうか。」

 また、カーター氏の娘はこう話しています。「私には(世界中からの非難に苦しむ)父が飢餓に苦しむ子供と同じに見えた。そしてこの世界こそがハゲワシだわ。」