アルジェで日本人の人質が犠牲になっている模様ですね。

テロリストの殆どは、少年兵のようです。
もしもう少し時間を稼いでくれたら犠牲者は少なくて済んだかもという思いが過ぎります。

日本は援助大国ですから、強行突入して犠牲者が出たら援助やめるぐらいの恫喝はしていると思います。

しかもフランスでさえ出し抜かれて強行されてしまった。

マリに侵攻した時点で帰国命令を出せば良かったかもしれません。

戦争状態に入ったらすぐに退去勧告を出すような処置が必要かもしれませんね。

実は、過去に同じような事件がありました。
私自身がもっと声を大きくして訴えれば今回の事件は変ったかもしれない。


次の事件を起こさないためにも声をあげたいと思います。





2007年5/23放送「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”から


青山繁晴
「今日は僕にとって思い入れのあるテーマなので、気を付けて客観的にフェアに話さなきゃいけないと思ってるんですが、まず、恥ずかしながら、ちょっとこれを見ていただいて……(写真フリップを出す)。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、飛行機の中です。軍用機なんですが、まるで囚人護送してるみたいですが、そうでなくて、僕の記者時代の最後の写真です。ちょうど10年前の写真で、この取材をもって僕は記者を辞めました。これ、乗ってるのは、軍用機と申した通り、ペルー軍の軍用機です。何の取材していたかというと、実はこれなんです」(次の写真フリップを出す)

青山繁晴
「ペルー日本大使館公邸人質事件。みなさん、ご記憶の方も多いと思うんですが。この写真も僕が撮りました。日本人を含む人質がたくさん捕らわれました。隣のマンションから撮った写真なんですけど、これは10年前の事件です。じゃあなぜそれを今日やらなきゃいけないのか。どうしても今やらないといけない理由があって、お話ししたいので、この後できればぜひ見て下さい」



 ペルー日本大使公邸人質事件。
 日本人が初めて経験した大きなテロ事件となった。

【1996年12月17日 事件発生】

 サヨクゲリラ、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)のメンバー14人が、ペルーの日本大使公邸を襲撃。
 青木大使をはじめとする日本人及びペルー政府関係者ら、およそ600人を人質に立てこもった。
 人質は徐々に解放されるが、最後まで日本人24人を含む72人は拘束された。

 日本政府は事件発生当初からペルー政府に対し、平和的解決を要求。
 当時の橋本総理と、ペルー・フジモリ大統領は解決策を話し合い、一時は犯人グループのキューバへの亡命も検討された。
 しかし――。

【1997年4月22日 武力突入】

 事件発生から127日目、事態は急転する。
 およそ2カ月かけて掘られた地下トンネルから特殊部隊が突入。
 日本政府に一切の事前通告なしに行われた武力突入によって、ゲリラ14人全員が死亡。
 人質となった72人のうち、ペルー政府関係者1人が亡くなったが、奇跡的にも日本人24人は全員無事に救出された。

 人質とともに喜びを分かち合うフジモリ大統領の姿は、日本でも大きく報道され、一躍ヒーローとなった瞬間だった。


山本浩之(キャスター)
「さ、青山さんの“ニュースDEズバリ”、今日は10年前に起きました、ペルー日本大使公邸人質事件の裏側についての解説ということなんですが、なぜ10年前のあの事件を取り上げられたのか、それも含めて解説お願いします」

青山繁晴
「はい、さっき申しました通り、僕は現地で取材してたんですが、事件の発生直後から、武力突入で終わる解決まで、全部見た記者は僕1人だったそうです。4カ月長く続いたんで、ちょうど時差が昼夜全く逆で、全く眠れない生活が4カ月続くので、普通は交代するんですけど、僕の場合はいろんな事情で、最後まで1人で全部見たわけですね。で、その事件のために共同通信を結局辞めたんですけども、今に至るまでの10年間、あの事件の武力突入は間違いだったとずっと言ってきたんです」

青山繁晴
「10年経って、先週金曜日に当事者のペルーで、新しい裁判が始まりました。この裁判は、あの武力突入に大きな間違いがあった疑いがある、犯してはならない殺人が、虐殺が行われた疑いがあるという裁判が始まり、しかも大事なことは、その裁判のために、初めて日本人の人質だった方に、証言に立ってほしいという要請が初めて出たんです。つまりは、事件の本当の真相を、武力突入の本当の真相を知ってるのは日本人だけだよ、ということを、今のペルー政府が初めて言ったということなんです。実は僕は、金曜日に裁判が始まってから土日にかけて、ずいぶんたくさんの電話とメールをいただきました、長いつきあいの方々から。『お前が10年間言ってきたことが本当かもしれないってことが、ようやく出てきたね』と。『かもしれない』っていうのは、フェアに言わないといけない。まだ判決出てませんから。しかし、もう虚仮(こけ)の一念のように10年間青山が言ってきたことが本当かもしれないというのは、この裁判の始まりでわかったよという人が、政府の内部にもいるんです。その上で、この10年間僕が主張してきたことと逆に、日本ではどう見られてきたか。どう報道されてきたか」

村西利恵(進行役)
「まず1つめは『日本人は武力突入で救われた』ということ、2つめは『救ったフジモリ大統領はヒーロー』のように扱われたということ」

青山繁晴
「日本人の人質、24人いらっしゃいました。武力突入によって24人全員、お怪我はされましたけど、亡くなる人はいなくて、全員救出されました。だからこれ、当然だろうとみんな思うはずです。日本政府もそのように説明してきました。そしてこの武力突入を指揮し、あるいは計画したのはフジモリ大統領だから、日本人を救ったヒーローだと。今もそう思われてます。しかしこれは、僕が現地で取材した関係者から聞いた話を総合すると、事実はまずこうです」

村西利恵
「青山さんが取材した真実として、『フジモリ大統領は日本人が死ぬことを前提に武力突入した』んだと……」

一同
「えー?」(驚き)

青山繁晴
「つまりフジモリ大統領は、日本人を助けるために武力突入したんじゃなく、日本人は武力突入したら必ず死ぬと。違う目的のために武力突入したんであって、日本人を助けたのはフジモリさんじゃない。じゃあ誰が日本人を助けたか。24人全員助かりました。誰が助けたかというと、これです」

村西利恵
「『日本人を助けたのはゲリラの少年』……」

青山繁晴
「ここに写ってる絵の人間ではありません。ここに写ってるのは(右側の人物を示して)ネストール・セルパといって、プロのテロリストです。これ、まさしく主犯であってですね。これは(左側の人物を示して)セシリアという女性です。この写真には写ってませんが、実際には、ゲリラ…と呼ばなきゃいけない、犯人グループだから呼ばなきゃいけないけど、推定14~5才の少年がいて、その少年のおかげで日本人は全員助かったんです。どういうことか、いきさつをわかってもらうために、当時の現場の様子を見てもらいたいんですが、さっきのVTR見ていただくと、トンネルから突入したと言ってるけど、トンネル映ってないでしょ。建物の外からわーっと特殊部隊が入ってくるの映ってたけども、実はトンネルはあの大使公邸、国民の税金で造った住まい、その下に7本のトンネルを造ったわけです。そのトンネル含めた内部の模様は、今まで日本国民にはあんまり伝えられてないわけです。それを実際に見た内部を、写真は撮れなかったので、絵で今回は描きました」

青山繁晴
「もちろん、もうちょっと複雑な構造してますが、簡単に言うと、主な建物は2階だけで、日本人の人質の方々は、これ実際、らせん階段なんですが、らせん階段上がった突き当たりの小さな部屋に全員、24人いました。そこに見張り役の少年と書いてますが、絵には出せないけど、実際は軽機関銃持ってました。このスタジオの4分の1ぐらいの広さ、つまり僕と今、村西さん立ってますけど(2人の間は3mぐらいの間隔)、ここからそう変わらないぐらいの狭い部屋です。だから少年、テロリストがこうやって構えてたらですね、軽機関銃の引き金を引いたら、まず頭も何も吹き飛んでしまう。おそらく24人全員死んだと思われる。それ、2階ですね。で、トンネルから突入したということは、2階にはトンネルはもちろん届きませんから、最初フジモリ大統領が指揮した突撃部隊は、1階に入ってくるわけですね。これ(トンネル)、今1本描いてますが、実際は7本掘られました。トンネルから出てきて、1階にいたさっきのセルパのような主犯格をまず殺害したわけです。つまりここ(1階)で銃撃戦があったわけですね。銃撃戦があるということは、必ず2階に聞こえてしまうから、必ずこの少年は撃つであろうと、フジモリ大統領は判断してたんです。僕は推測で言ってるんじゃありません。ペルー側の内部から聞いてきた話です。というのは、このへんの盗聴マイクがいつも仕掛けられていたので、つまり持ち込んだ食料とか、そういうものに盗聴マイクが仕掛けられていたので、こういう状態だとわかっていたわけです。ですからさっき言った通り、ここから(トンネルから1階へ)突入したら、必ずこの少年が撃って全員死ぬと覚悟して、フジモリ大統領は突入したんです。じゃあどうして死ななかったかというと、この少年が、実はこの少年は、さっきゲリラと言いましたが、実際はほんの子供で、アマゾンのジャングルに住んでて、親が50ドルをさっきの主犯格から渡されて、50ドルで売られた子供です。その50ドルで一族が何年も暮らせるわけです。日本円で6000円ぐらいですよ。ですからテロリスト、ゲリラと言うけれども、実際はただの子供なんです。4カ月もいっしょにいたから仲良くなってて、人質の方の証言によると、いま証言を要請されている日本人の人質によると、引き金に指はかかってたと。だけど引けないまま彼は後ずさりしていって、部屋から出て廊下に出たと。その時ちょうど特殊部隊の兵士が上に上がってきたから、少年が部屋から頭が出たので、パーンとこめかみ撃ち抜かれて彼は死んだと。だからその人質の方が当時僕に証言してくれたのは、『青山さん、あの少年の指があと少し動いてたら、我々は全員死んでたんだ。フジモリに助けられたんじゃない』と、人質の方ははっきり言ったわけです。次にみなさん気になるのは、フジモリ大統領が日本人が死んでもいいと思うぐらい、何のために武力突入したのか。貴重な映像がありますから、ちょっとそれを出して下さい」(映像が出る)

村西利恵
「突入直後の公邸内の映像があります。こちらです。これもう突入の後ですね。直後です」

青山繁晴
「これは銃撃戦の後なんですが、フジモリ大統領ですね、日本人にもおなじみですね。ヒーローと言われてきましたから。こうやって今らせん階段を上がっていきます。ここ、ぼかしてありますけど、死体が2つ転がってるんです。ペルー国内では非常に何度も、ぼかしをかけないで流されました。今の死体の意味を、画像では刺激強いからお見せできないので、僕が自分の身体を使って説明しますが。あそこにあった2体です。ここ(1階)で殺されたさっきのセルパと、それからナンバー2のロハスというプロのテロリストで、殺されてもはっきり言って仕方ないけど、彼ら2人の死体をここ(らせん階段)に運んで置いてあったんです。射殺してここに運んだんです。大統領がそれを見る映像を、国営テレビで何度も何度もペルー国内に映したんですが、その映像は、主犯格のセルパは仰向けでした。仰向けでこのように、のど仏の上で十字に引き裂かれて、ザクロのように広げてあったんです。もう1人のナンバー2のロハスは、上半身裸にして裏返し、首を切断されてました。それ見た時、僕は意味わからないから、僕についてくれてた運転手さんに意味を聞いたんです。彼はもともとのインカ帝国から続いてきたペルー人です。『あれはインカ帝国から続いてきたならわしで、王様に文句言うな、権力者に物言うな、物を言った奴はこのようになる。ザクロのようにのど仏を切り裂くんです。首を切り落としたのも、決して権力者に物を言うなという見せしめなんです』と。で、その運転手さんはその映像が流れるまでは、『青山さん、僕はフジモリ大統領の大ファンです』と言ってたんです。が、あれを見て、『わかりました。ほんとは大統領は、俺に反抗するな、俺に抵抗するなというメッセージを国民に流すために、武力突入したんだ、それが目的だったんだ』ということを、僕じゃなくて、そのペルー人の人が言ったわけです。そしてその時に、さっき映ってた女性(セシリア)がいたでしょ。例えばあの人は、生きて逮捕されたんです」

一同
「生きて??」(驚き)

青山繁晴
「生きたまま逮捕されました。これ僕、断言するのは、その時、日本人の人質の方が見てるからなんです。複数の方が。生きて逮捕されて、後ろ手に縛られて、いったん公邸の外に出されたんです。出して見せて、もう一度引きずり込んで中に連れていって、四肢を切り落とし、乱暴を加えて殺したんです。いま裁判になってるのはその件なんです」

一同
「えーー?」(驚き)

青山繁晴
「何でわざわざ外に出したかというと、見せるためです。みなさん、今のような無惨な真実が本当の姿で、じゃあそういう武力突入にどうしてなってしまったのか」

<キーワード>
 「平和的解決」が武力突入を呼んだ

青山繁晴
「日本が求めた『平和的解決』こそが、この無惨な武力突入を呼んだんだということを、この後、ありのままにお話ししたいと思います」

(いったんCM)

青山繁晴
「これは当時記者だった僕が、下手ながら撮った写真なんですけどね(真ん中がフジモリ大統領、右側が池田行彦外相)。事件が終わった後に、池田行彦外務大臣、当時の僕の担当大臣です。お礼に訪れた時の絵なんですね。だから池田さん、複雑な顔なさってますが。この池田さんは事件が発生した直後、それから終わってしまってからの2回、来たわけです。問題は、発生した直後に池田さんがペルーにやってきた時。その時は僕は同行記者だった。池田外務大臣はとっとと帰っちゃいました。他の同行記者もみんな帰っちゃいました。しかし共同通信の判断で、青山だけは置いといた方が使えるだろうということで……」

山本浩之
「タフですからねー」

青山繁晴
「それで4カ月間いることになっちゃったわけですが、問題は最初に来た時に、池田外務大臣はフジモリ大統領に何を言ったのか。これは実は未だに公表されてないんです。外務省の中に、僕ははっきり物を言い過ぎると、僕を嫌ってる人もいます。しかし同時に、『青山さん、あなたがほんとのことを言って下さい』と言う外務省の高官もいます。その方から僕は実は、はっきり申しますが、記録をとりました。その人は退官したので言いますが、文書を見ました。その文書を見ると、この池田大臣がフジモリ大統領に言ったのは、『とにかく日本という国は平和的解決じゃないとダメなんです、国民がもたない』、つまり内閣がもたないんだと。もう何が何でも話し合いで、テロリストにある程度の妥協してもやむを得ないから、とにかく平和的解決だけで行ってくれと。その時に池田さんはフジモリさんに2回会ってます。最初、フジモリさんは断った。『とんでもない、そんなことしたら次から次へとテロが起こるじゃないか、できません』。池田さんは官邸に電話をした。橋本総理に。『ダメだお前、そんなもんじゃ、帰っちゃいけない』と。もう1回会いました。そしたらフジモリさんがガラッと変わってて、『平和的解決を目指しましょう』と。わけわかんない。実は外務省の中に、今もわけわかってない人がいるんですが、僕はこっちの方(フジモリ)の記者ですから、こっち側にも聞きますから。聞いたらですね、『青山さん、我々はびっくりしたんです』と。『どこの世界にそんな国があるかと思ったけれども、自分の国民が捕らわれてるのに』、拉致問題と同じです、『自分の国民が捕らわれてるのに、とにかく揉め事だけはやめてくれ、と頼みに来る政府がこの世にあるってこと、最初はわからなかった』と。しかしそれを聞いてわかった以上は、フジモリ大統領は、この人は天才的な政治家だから、あるアイデアを思いついた。すなわち、すでに大使公邸の構造を調べてて、これ、人質2階に上げられたらどうしようもないと。外から入っていくだけだとどんどん殺されていくだけだから、トンネル掘るしかない。トンネル掘るには最低4カ月かかる。その4カ月をどうやって保たせるか。あ、日本を利用すればいいんじゃないか、と。日本と平和的交渉をやってれば、テロリストも油断する。その間、時間が稼げる。で、ヤマヒロさん、きっと覚えてると思うけど、途中で突然、ペルー軍が音楽流し出したり、演歌を大音量でかけたり、あれ、未だに違った報道があります。あの目的はたった1つで、トンネルを掘る音を隠すためです」

一同
「ああー」(納得)

青山繁晴
「すなわちトンネルを掘るために、この日本国はダシにされたんです。利用されたんです。しかもですね、いま映像が出ましたね。もう1回出してくれますか」(人質と喜びを分かち合い、上機嫌のフジモリ大統領の映像出る)

青山繁晴
「フジモリさんが解決の後に、これ実はね、周りのペルー陸軍の大佐が僕に言ったのは、まるで酔っ払ったみたいだったと。どうしてか。自分に酔ってるわけです。どうしてかと言うと、日本人の人質は全部死ぬ、しかし国民に対して反抗するなとメッセージを送らなきゃいけないから、日本人の人質が死んで、国交断絶になって、日系人の大統領だからいっぱい援助があったのに、その援助もあきらめなきゃいけないと思ってたのに、何と1人も死んでないと。だからフジモリ大統領は、あの時ブツブツ言ってたそうで、後で関係者に聞いたら、彼は『私は神に愛されている』と言ってましたよと。こんな幸運は神に愛されてると思ったから、フジモリさんはその後間違って、憲法改正して三選に出てしまって(注:Wikipediaによれば……1993年に改正されたペルー憲法では大統領の三選を禁止していたが、フジモリ大統領は第一期は旧憲法体制下のため、自身の三選は可能であるとの憲法解釈をし、国会で承認させた。憲法裁判所はこれを違憲としたが、最終的に最高裁で三選出馬支持する判決が下り、フジモリの三選が可能となった)、だから失脚したんです。そのフジモリさんをかくまったのは誰ですか?」

山本浩之
「日本ですね」

青山繁晴
「その通りです。この10年間かくまってきて、未だにフジモリ大統領を応援してるでしょ。最後にみなさんに申したいのは、この10年、じゃあ日本はどこか変わったのか。全然変わってません。しかし僕は、変わったのかと問いかけたいのは、武力突入でも何でもやる国になれと言ってるんじゃない。そうじゃなくて、最後に見ていただきたい、最後の絵はこれ」(青山さんとペルーの子供たちの写真が出る)

青山繁晴
「特に子供たち。僕はペルーに最初、飛行機が下りていく時、池田外相の乗ってた飛行機下りていく時、屋根のない、建設途中の家がいっぱい見えてる。ペルーはけっこう活気があるじゃないか、家いっぱい建ててるんじゃないかと思ったわけです。しかしみんなが帰った後、時間できたのでそこに行ってみたら、実は周りにある家は全部、屋根がない家なんですよ。いっぱい雨降るんですよ。家といっても囲いだけなんです。もう息を呑むような貧しさで、みなさん、僕の汚い顔ですけど、あえてアップにしてくれますか(写真の青山さんの顔がアップに。複雑な表情)。この、僕は夕べ、10年ぶりに写真見たんです。800枚の写真からね、この1枚だけがこんな顔になってるわけですよ。この貧しさ見てね。何ということかと(涙)。僕たちが国民の税金で援助してきたあのお金はどこに行ったんだ、フジモリ大統領ら権力者の懐に入って、子供たちには全く入ってない。この子たちは親に50ドル渡されたからといって、テロリストにされて、そうやって後ろ手に縛られて、乱暴されて殺されたりしたんですよ。その10年の真実を、どうして知らないでいいんですか、この国は(号泣)。日本人が助かったらそれでいいんですか。日本人の人質の方々、助かった方々が僕に、『青山さん、私たちは、自分が助かっただけではだめだと思う』と。『この日本という国のあり方をどうにかしないとダメだ』と10年間僕に言ってきた方がいるから、僕も一生懸命講演で言ってきたんです。ペルーのことだと思わないで。僕たちの問題です。僕たちはいったいどんな国なのかということを、この子供たちの顔といっしょに、ぜひ覚えていただければと思います。すみません(涙)」

山本浩之
「いや、もう、これまでの青山さんとのお付き合いの中で、何度かこの事件については口にされてたんですよね、青山さんは。今ようやくテレビで語っていただいて、で、裁判も10年経ってようやく始まりました。これはだから、遠く離れたペルーでの裁判ですが、よく注意して見ないといけないですね、裁判の行方を」

青山繁晴
「そうです。あえて名前出すと、小倉さんという方が外務省の職を捨てて、この事件を批判して辞めた人が、証人申請されてますから、彼の勇気が出るようにみんなで応援してやって下さい。小倉さんをペルーに送れるように」

番組終了


最初の攻撃でヘリが車4台を爆撃、攻撃されないように普通は、中に人質を入れてあると考えるのが普通、要するに全く人質の命を助けようと考えてないのが解る。
もしペルー人質事件をきちんと検証出来ていれば、今日の事態に対応出来ていたのではないかと思うと慚愧に堪えない。
「最善の方法、現地で判断を」 首相、外務政務官に指示(朝日新聞デジタル) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130120-00000015-asahi-int