私は、震災の事を非常に取り上げている。
それは、私が、下記にあるような体験をして決して忘れないため、そしてわずかながらの恩返しの気持ちがあるからだ。

その話とは。。。

彼と出会ったのは、彼が中学3年生の頃だった。
彼は中学3年生ではあるが、当時私より背が高く大きな子供だった。
彼は所謂、この近辺をしめている番長的な存在だった。
近郊の中学では、知らないものはいなかっただろう。
私の店は、中古ゲームソフト店だったのだが、彼はほとんど家庭用ゲームはしなかったのだが、彼の子分と言うか友達がゲーム好きで一緒に私の店に訪れていた。
彼等は不良ではあるが、弱い子をいじめたりするような奴等ではなく、まあちょっと元気が良すぎて所謂調子に乗っていた程度の連中だ。

彼等の一人が、いい気になってタバコをくわえて、私の店に入ってきたのが知り合うきっかけだった。
私は、優しい大人じゃなかったので、笑いながらタバコやるからちょっとこいといってバックヤードに連れて行きタバコを一本彼の口に持って行き力ずくで口の中に入れてやった。
普通、こんなことをされて頭にきてちかずくなくなるようなものだが。。。

彼等に本気でぶつかってくれる大人がいないようで、彼等は私に自分の悩みなどをうちあけるようなっていた。

ワカマチは、無事高校生になり、なぜか更正していた。
自分は、いつまでも悪をやっていられないという。

母親一人で自分を育ててくれているので、金の掛かる高校に入れてくれて、
いつまでも遊んでられない。。
彼は、早速学校が終わるとタコヤキ屋でバイトを始めた。
きちんと卒業して母親に早く楽をさせたいというのが理由だった。

しかし、あの日がやってきてしまう。。。。。




彼は、家の下敷きになり即死だった。
彼の母親も目をやられ状況が掴めないようだった。
だから彼の死は、すぐに知らなかった。
いや言えなかったといってもいいだろう。

失意のどん底のなか、仲間達が集まる場所もないまま私の店の前まで集まってきた。

おっさん、これからどうするねん。
こんな状態ならどうもならんだろう。
中にゲーム入っているのか?
入っているけど危なくて手の付けようがないだろう。
わしら掘り出してやるわ。
危ないから絶対にするな!!!!
私が税務署に確定申告に行っている間に仲間を集めて掘りだし始めたのだ。
彼等は、ワカマチがここに来ていることがわかっていたのだろう。

きっとワカマチが、おっさんを救えってみんなに命じていたのだろうか?
いや、彼等は一緒に彼とすごした思いでの場所がこんなになっているをいてもたってもいられなかったのだろう。

それを泥棒と勘違いして朝日新聞の記者が写真に撮ったのが、プロフィールの写真だ。

すぐに子供らからゲームソフトを受けとってラーメンをご馳走しているところに件の記者から電話があり、泥棒じゃないことを話して下記の記事になったのだ。

私を救ってくれた。新聞記事です。
新聞の記事を仮名にかえて転記してます。

西宮のゲームソフト店
なじみの高校生ら商品掘って励ます

脱サラから3年。ようやく軌道に乗った家庭用ゲームソフト店が、地震でつぶれ、大量のソフトは、がれきに埋もれた。
途方にくれる店長の姿を見かねて、なじみの高校生たちが、がれきの山に分け入り、ほこりだらけになりながら五十八本のソフトを掘り出した。
「また店を開いて」。
高校生らの励ましに、いったんは、店をあきらめた店長も「行商からやり直す」と再起を約束した。






兵庫県西宮市のゲームソフト店を一昨年三月、脱サラの、ほっちゃれさん(31)が始めた。
その一年前、ほっちゃれさんは、大阪府に店を構えたが、泥棒に入られ、商品をごっそりと盗まれた。
「こんなんで負けてられない」。
西宮で、店舗を借り、50本のソフトを並べた。
そのソフトが、ようやく5千本を超し、安定的に利益が、あがるようになったところへ地震。
店は、ぺしゃんこに押しつぶされた。
ほっちゃれさんは、今月16日、商品を取り出そうと、崩れ落ちた屋根のすき間から入り込んだが、手がつけらず、掘り出すのをあきらめた。
この光景を、客の一人で、ほっちゃれさんを「おっさん」と呼んで慕っていた県立西宮北高校のM君が、帰宅途中に見かけた。
「手伝う」とうM君を、ほっちゃれさんは、「危険だから」と、やめさせた。
M君も自宅が、壊れて、伊丹市に引っ越していたが、避難生活をしている仲間に連絡。
県立西宮西高校のMM君ら四人がこのほど、二日がかりで掘り起こし作業をした。
崩れ落ちた屋根の一部をどけ、二階の床をめくりあげた。
店内には、水道管の破損で水浸し。
ソフトの大半は、押しつぶされ、水に浸かって使い物にならない。
それでもM君らは何とか使えそうな五十八本を掘り出し、ほっちゃれさんに届けた。

ほっちゃれさんは、「彼らの行為で、もう一度、やってみようという気になった。
手持ちは、わずか十万ほどだが、震災で散り散りになった常連客が集える店を早く構えたい」と話している。


これからも震災を忘れずに震災被災者のために動いて行きたいと思います。
ほっちゃれのブログ