私は、医師にはなりませんでしたが、この本に小学生の頃に出会って衝撃を受けた一人です。
山中教授も、この本で医師になろうと決意したんですね。
本の内容は、徳田氏の弟さんが、離島にいたために満足に治療を受けられなくて亡くなります。
それで島に病院を作りたくて単身大阪で一日18時間勉強して医学部に落ちたら自殺するつもりだったといいます。二浪の末、阪大医学部に入り、自分に多額の生命保険を掛けて、それを担保に患者のための病院を作るところまでの話でした。
今、目の動きだけで意志を伝えて、山中教授にも援助し、修復腎移植の推進にも尽力されている徳田虎雄先生は、本当に凄い方だと思います。
こちらでも書きましたが、多くの人に影響力を与え
ついには、ノーベル賞受賞者までに影響を与えていたなんて本当に素晴らしいです。
http://ameblo.jp/hottcyare/entry-11350275976.html
徳田理事長が山中・京大iPS細胞研究所長と面談
再生医療の実現化へ向けて 徳洲会グループが全面協力
徳田虎雄理事長は8月24日、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)を訪れ、ノーベル賞の有力候補として知られる山中伸弥所長(京都大学教授)と面談した。再生医療や新薬の開発に大きな役割を果たすことが期待されているiPS細胞の研究活動について、山中所長から説明を受けた徳田理事長は、徳洲会グループを挙げて全面的に協力することを約束した。
山中所長「医師になったのは徳田理事長がきっかけ」と涙
山中所長(左)との初面談は感動的な雰囲気に包まれた
iPS細胞とは、さまざまな組織や臓器に分化する能力と、ほぼ無限に増殖する能力をもつ「人工多能性幹細胞」。皮膚などの体細胞に4つの遺伝子を導入し、数週間培養して作製する。2006年に山中所長が世界で初めて作製を報告し、「iPS細胞」と命名した。
皮膚の細胞から心筋や神経細胞など体内の細胞をつくり出すことができるため、再生医療や創薬、疾患の原因解明などに大きな役割を果たすことが期待されている。
京都大学では10年4月にCiRAを開設。現在、200人を超える研究者が研究に従事している。
この日、徳田理事長は16時半にCiRAに到着。山中所長、井上治久准教授、iPS細胞再生医療推進室の高須直子室長ら職員に温かく迎えられた。
CiRAの概要や研究活動内容を紹介する準備が整うと、山中所長は「プレゼンテーションの前にどうしても徳田先生にお伝えしたいことがあります」と切り出し、しばし沈黙。その後、感涙にむせびながら、医師になったきっかけが徳田理事長にあることを明かした。
「高校生の頃、将来、医師になるかどうか迷っているときに、徳田先生の著書『生命(いのち)だけは平等だ』、井村和清先生の著書『飛鳥(あすか)へ、そしてまだ見ぬ子へ』を読ませていただきました。とても感銘を受け、医師になることを決意したのです。お目にかかれてたいへん光栄です」と山中所長。
何度も言葉を詰まらせ、そのたびに「すみません」と話す山中所長の姿に、鈴木隆夫・副理事長をはじめ同席した徳洲会グループ幹部も感動し、もらい泣きした。
続いて山中所長はCiRAの研究活動内容をスライドで紹介。iPS細胞の定義や作製過程、研究の現状や成果などを説明した。
最後に、10年間で達成すべき目標として、(1)基盤技術の確立と知的財産権の取得、(2)再生医療用iPS細胞の作製、(3)臨床研究の実施、(4)創薬―の4つを掲げ、それぞれの達成レベルを報告した。
再会を誓って固い握手を交わした
プレゼンテーション終了後、徳田理事長は徳洲会グループが離島・僻地 医療やゲノム、先端医療に精力的に取り組んでいることを説明したうえで、山中所長の研究に全面的な協力を約束。「徳洲会グループを挙げて行うので、できることは何でも言ってください」と強調した。
その後、山中所長、井上准教授が研究所内を案内。iPS細胞の管理体制や設備を、徳田理事長一行が見学した。
玄関に戻り、山中所長に花束を渡すと徳田理事長は、再び山中所長と固い握手を交わし、再会を誓って研究所を後にした。
初対面にもかかわらず、面談時間は当初予定していた30分を大幅に上回る1時間に及んだ。面談を終え、徳田理事長は「山中先生の涙が止まらなかったのは、感性が豊かで謙虚なお人柄だからでしょう」と周囲に漏らした。
山中所長は「ALS(筋萎縮性側索硬化症)の身でありながら凛とされていて、内側から湧き出てくる非常に強い生命力を感じました。従前のイメージどおりでした」と笑みを見せていた
徳洲新聞2012年(平成24年)9/10 月曜日 NO.842
http://www.tokushukai.or.jp/media/news/shinbun842.html
ノーベル賞受賞おめでとう-山中伸弥博士へオンライン寄付集まる /京都
もっともっと寄付が集まり研究を推進して欲しいですね。
ノーベル賞受賞おめでとう-山中伸弥博士へオンライン寄付集まる /京都
みんなの経済新聞ネットワーク 10月9日(火)2時41分配信
拡大写真
ノーベル賞を受賞した山中伸弥博士
ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥博士へ、受賞を祝うメッセージと寄付が集まっている。(烏丸経済新聞)
【画像】 2010年「京都賞」受賞時の山中博士
山中博士は今年目標に挑戦することで寄付を集めることのできる「Just Giving Japan」というウェブサイトを通じ京都大学iPS細胞研究所CiRA(サイラ)への寄付を募った。研究の合間にも鴨川沿いを走っているという山中博士の目標は、3月に行われた「京都マラソン」で完走すること。当初400万円の目標額を設定したが、京都マラソン号砲前に達成したため1千万円に引き上げた。
マラソン直前に風邪をひくなど本調子ではなかったが、自己ベストとなる4時間3分19秒で完走。マラソン後の1カ月間にも100万円を超える寄付が集まっていた。
ノーベル賞の受賞の発表があってから寄付も増加。呼びかけを始めてから10月8日までに寄付を行った人はのべ900人を超えた。コメント欄には「ラジオで速報を聞いた時は思わず拍手していました」など博士の受賞を喜ぶコメントとともに、今後の活躍を期待するメッセージが寄せられている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121009-00000000-minkei-l26
山中教授も、この本で医師になろうと決意したんですね。
本の内容は、徳田氏の弟さんが、離島にいたために満足に治療を受けられなくて亡くなります。
それで島に病院を作りたくて単身大阪で一日18時間勉強して医学部に落ちたら自殺するつもりだったといいます。二浪の末、阪大医学部に入り、自分に多額の生命保険を掛けて、それを担保に患者のための病院を作るところまでの話でした。
今、目の動きだけで意志を伝えて、山中教授にも援助し、修復腎移植の推進にも尽力されている徳田虎雄先生は、本当に凄い方だと思います。
こちらでも書きましたが、多くの人に影響力を与え
ついには、ノーベル賞受賞者までに影響を与えていたなんて本当に素晴らしいです。
http://ameblo.jp/hottcyare/entry-11350275976.html
徳田理事長が山中・京大iPS細胞研究所長と面談
再生医療の実現化へ向けて 徳洲会グループが全面協力
徳田虎雄理事長は8月24日、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)を訪れ、ノーベル賞の有力候補として知られる山中伸弥所長(京都大学教授)と面談した。再生医療や新薬の開発に大きな役割を果たすことが期待されているiPS細胞の研究活動について、山中所長から説明を受けた徳田理事長は、徳洲会グループを挙げて全面的に協力することを約束した。
山中所長「医師になったのは徳田理事長がきっかけ」と涙
山中所長(左)との初面談は感動的な雰囲気に包まれた
iPS細胞とは、さまざまな組織や臓器に分化する能力と、ほぼ無限に増殖する能力をもつ「人工多能性幹細胞」。皮膚などの体細胞に4つの遺伝子を導入し、数週間培養して作製する。2006年に山中所長が世界で初めて作製を報告し、「iPS細胞」と命名した。
皮膚の細胞から心筋や神経細胞など体内の細胞をつくり出すことができるため、再生医療や創薬、疾患の原因解明などに大きな役割を果たすことが期待されている。
京都大学では10年4月にCiRAを開設。現在、200人を超える研究者が研究に従事している。
この日、徳田理事長は16時半にCiRAに到着。山中所長、井上治久准教授、iPS細胞再生医療推進室の高須直子室長ら職員に温かく迎えられた。
CiRAの概要や研究活動内容を紹介する準備が整うと、山中所長は「プレゼンテーションの前にどうしても徳田先生にお伝えしたいことがあります」と切り出し、しばし沈黙。その後、感涙にむせびながら、医師になったきっかけが徳田理事長にあることを明かした。
「高校生の頃、将来、医師になるかどうか迷っているときに、徳田先生の著書『生命(いのち)だけは平等だ』、井村和清先生の著書『飛鳥(あすか)へ、そしてまだ見ぬ子へ』を読ませていただきました。とても感銘を受け、医師になることを決意したのです。お目にかかれてたいへん光栄です」と山中所長。
何度も言葉を詰まらせ、そのたびに「すみません」と話す山中所長の姿に、鈴木隆夫・副理事長をはじめ同席した徳洲会グループ幹部も感動し、もらい泣きした。
続いて山中所長はCiRAの研究活動内容をスライドで紹介。iPS細胞の定義や作製過程、研究の現状や成果などを説明した。
最後に、10年間で達成すべき目標として、(1)基盤技術の確立と知的財産権の取得、(2)再生医療用iPS細胞の作製、(3)臨床研究の実施、(4)創薬―の4つを掲げ、それぞれの達成レベルを報告した。
再会を誓って固い握手を交わした
プレゼンテーション終了後、徳田理事長は徳洲会グループが離島・僻地 医療やゲノム、先端医療に精力的に取り組んでいることを説明したうえで、山中所長の研究に全面的な協力を約束。「徳洲会グループを挙げて行うので、できることは何でも言ってください」と強調した。
その後、山中所長、井上准教授が研究所内を案内。iPS細胞の管理体制や設備を、徳田理事長一行が見学した。
玄関に戻り、山中所長に花束を渡すと徳田理事長は、再び山中所長と固い握手を交わし、再会を誓って研究所を後にした。
初対面にもかかわらず、面談時間は当初予定していた30分を大幅に上回る1時間に及んだ。面談を終え、徳田理事長は「山中先生の涙が止まらなかったのは、感性が豊かで謙虚なお人柄だからでしょう」と周囲に漏らした。
山中所長は「ALS(筋萎縮性側索硬化症)の身でありながら凛とされていて、内側から湧き出てくる非常に強い生命力を感じました。従前のイメージどおりでした」と笑みを見せていた
徳洲新聞2012年(平成24年)9/10 月曜日 NO.842
http://www.tokushukai.or.jp/media/news/shinbun842.html
ノーベル賞受賞おめでとう-山中伸弥博士へオンライン寄付集まる /京都
もっともっと寄付が集まり研究を推進して欲しいですね。
ノーベル賞受賞おめでとう-山中伸弥博士へオンライン寄付集まる /京都
みんなの経済新聞ネットワーク 10月9日(火)2時41分配信
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ノーベル賞を受賞した山中伸弥博士
ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥博士へ、受賞を祝うメッセージと寄付が集まっている。(烏丸経済新聞)
【画像】 2010年「京都賞」受賞時の山中博士
山中博士は今年目標に挑戦することで寄付を集めることのできる「Just Giving Japan」というウェブサイトを通じ京都大学iPS細胞研究所CiRA(サイラ)への寄付を募った。研究の合間にも鴨川沿いを走っているという山中博士の目標は、3月に行われた「京都マラソン」で完走すること。当初400万円の目標額を設定したが、京都マラソン号砲前に達成したため1千万円に引き上げた。
マラソン直前に風邪をひくなど本調子ではなかったが、自己ベストとなる4時間3分19秒で完走。マラソン後の1カ月間にも100万円を超える寄付が集まっていた。
ノーベル賞の受賞の発表があってから寄付も増加。呼びかけを始めてから10月8日までに寄付を行った人はのべ900人を超えた。コメント欄には「ラジオで速報を聞いた時は思わず拍手していました」など博士の受賞を喜ぶコメントとともに、今後の活躍を期待するメッセージが寄せられている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121009-00000000-minkei-l26