あなたの父親ってカッコいいですか?
物を売る仕事ならペコペコしていたり、ドロだらけになっていたり、お父さんの仕事を胸を張っていえますか?

でも、そういう辛い仕事をやり通している理由は間違いなく子供のためなんです。
もし子供や家族が居なければ投げ出して辛い仕事をやれるわけがない。

そんなことを解らせてくれるドキュメンタリーを紹介したいと思います。

時代は、中国共産党の文化大革命までさかのぼります。
当時の中国は、非常に貧しく地方の場合、飢えに苦しむことも珍しくないと言われていました。
そこから抜け出そうと日本に渡ってきた中国の男性が必至に生き、残してきた娘の命を救おう(中国では実際なにがあるか解りません。政治的に不安定ですし)と頑張る物語りです。

後日談になりますが、このドキュメンタリーを制作した張麗玲さんが中国に下記の記事を紹介し大連に基金を作るまでになりました。
温家宝主席も佐藤水産の親族にお礼を言いたいと言っていたそうです。
そう言った意味ではドキュメンタリーが出来なかったら、あまり中国に下記の記事が拡がらなかったのかもしれません。

与えられた運命を愚痴をこぼさずに淡々と家族のために生きるお父さん達。

それでも、あなたのお父さんはかっこ悪いですか?



中国人研修生20人の安全優先 宮城の男性に感動の声 家族は安否を心配
2011.3.17 20:13
 【北京=矢板明夫】東日本大震災で、自社の中国人研修生らを助けるため逃げ遅れ、行方不明となっている宮城県女川町の日本人男性の行動が中国国内で大きな感動を呼んでいる。

 女川町入りした中国国営新華社通信記者の記事によると、地震が発生した11日午後、同町の水産会社「佐藤水産」で研修する大連出身の中国人女性研修生20人が会社の寮の近くでうろたえていたところ、同社専務の佐藤充さんが「津波が来るぞ」と叫びながら走ってきて、全員を高台にある神社に避難させ、立ち去った。佐藤さんの安否は17日現在も不明という。

 佐藤さんの妻は石巻市で、長女と長男は東京で無事が確認され、佐藤さんの安否を心配している。

 17日付の北京紙「新京報」は「感動」とのカットを付けてこの新華社電を大きく掲載した。インターネットには、「災害時に会社に来ている外国の若者のことを優先する日本人の優しさと責任感に涙した」など多くのコメントが寄せられた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110317/chn11031720150007-n1.htm


 

泣きながら生きて

1989年、一人の中国人男性が上海から日本へと渡ってきた。丁尚彪(ていしょうひょう)、35歳。上海の街角で日本語学校のパンフレットを手にした彼は、親戚や知り合いに頼み込んで借金をし、日本へとやってきたのだ。入学金と半年分の授業料は合わせて42万円。それは、中国で夫婦二人が15年間働き続けなくては得ることのできない金額だった。上海に生まれながら、文化大革命によって貧しい農村での生活を強いられた彼は、教育を受けることができなかった。日本語学校で学んだ後、日本の大学へ進学することで、彼は人生の再出発を図ろうとしていたのだ。

しかし、日本語学校のあった場所は、北海道の阿寒町。住所の最後には「番外地」とあった。中国から来た生徒たちは皆、働いて借金を返しながら勉強していくつもりだったが、町に仕事はない。かつて炭鉱で栄えたこの町は、過疎化を打開したいという思惑から、日本語学校を誘致したのだ。日本=東京というイメージしか持っていなかった生徒たち、中国人の経済状況を理解していなかった学校経営者……お互いの無知に因る悲劇だった。

多額の借金を返さなければならないため、賃金の安い中国に戻るわけにはいかない。丁は、やむなく阿寒町を脱出し、東京へとたどり着くが、語学学校の生徒ではなくなった彼にビザの更新は認められず、不法滞在者の身となってしまう。再出発への希望が消えた彼は、果たすことのできなくなった夢を一人娘に託そうと決意する。「娘を何としても一流大学へ進学させたい」。見つかれば即座に強制送還という身でありながら、借金を返し終えた後も東京で働き続け、稼いだお金はすべて上海の妻子へと送金した。

制作チームが彼と出会ったのは、1996年。来日7年目の春のことだった。7年間、中国へは一度も帰らず、3つの仕事をかけもちしながら都電が走る傍の豊島区の古い木造アパートで生活していた。壁には7年前に別れた、当時小学校4年生だった娘の写真が貼られていた。

年が明けて、1997年2月。制作チームは彼の家族を訪ねるため、東京で働く様子を撮影したVTRを持参して上海へ。8年ぶりに見る夫の姿、8年ぶりに見る父親の姿……自分たちを置いて日本へと旅立った彼が、日本でどれほど苦労しているかを知り、母と娘は涙した。娘の丁琳(ていりん)は、中国屈指の名門校、復旦大学付属高校3年生。アメリカへ渡り医者になりたいという夢を持っていた彼女は、父が自分のために身を粉にして働いていることを知り、努力の末、ニューヨーク州立大学に見事合格する。

出発の日、上海空港で一人去っていく娘の後姿に、母親は人目をはばかる事もなく号泣した。そして、ニューヨークへ向かう途中、東京での24時間のトランジットを利用して、父と娘は8年ぶりの再会を果たす。8年間も別れて暮らしてきたが、娘にとって、父は変わらぬ父だった。「私、知ってるの。お父さんが、心の底から私を愛してくれていることを」。

東京、上海、ニューヨーク。お互いを信じ、お互いを思いやりながらも、離ればなれの生活は続く。強い“絆”で結ばれた3人が信じ続ける希望とは……!?

YUTUBEに動画が上がっていました。
http://www.youtube.com/watch?v=HWGr8kdnkls&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=25kw_ZYPad8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=3WrjNte3QfU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=pPJG3dx8Vis&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=h-7eCKzpGaM&feature=fvwrel
http://www.youtube.com/watch?v=KoDkxHYsocg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=lm2-hcjPMh0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=CgX_iTB8xwg&feature=fvwrel
http://www.youtube.com/watch?v=jTLlBeRavpE&feature=related