呉市に移動してから
大和ミュージアムへ行きました。
過去の大戦での歴史を学ぶ為
広島に行ったら必ず寄ろうと
決めてましたニヤニヤ


今回もゆめタウンさんの呉店で、
駐車させて頂きました!口笛
もちろんお土産等購入させて頂きましたよ。


潜水艦のモニュメントが目印です。


展示の中で最も有名な大和の10分の1縮小モデルです。


ここは実物大の展示でした。

金剛型のヤーロー式ボイラーです。


船内は一区画事仕切られ、寡黙な重労働が
求められたのでしょう。

さて下の動画は、
凄く参考になったVRです。超おすすめビックリマーク







日露戦争から戦艦戦のウェイトが高く、
資源無い国では途中での軌道修正も
出来るはずも無く、
残念な結果となりました。
残念とは軽すぎる言い方ですが、
国民の将来を決定する戦いは
軽々しく始めるものでは無かった。


他の国の情報戦に誘導されたのか、
今となったら既成事実として
受け入れるしかないですねショック


1億総国民の魁となれ! 
狂気の沙汰でしか思われない命令を
敢行する艦長も冷静な判断力が
欠如してたのでしょう!
艦自体が投降してたら歴史は
変わったかも知れません。
到底思いつかない事でしょうけど。


大和で戦死した乗組員のリストですが、
都道府県別になっており、
海軍でもエリートと言われる人が
結集していたのでしょう真顔


戦後は、世界の造船業のリーダー企業として
巨大タンカーが有名ですが、
工業力で日本の高度成長を根底から支えました。


歴史的な背景も汲み取って、また眺めると
また違った景色が見えるようです。


戦力が不利になっていても、
そんな事実をひた隠し、純朴な若者を誤った
精神主義で破滅に追いやった罪は重いです。


回天という一人乗り潜水艦の設計は、
最初から有人型魚雷として自滅する事で
敵を滅する海戦用の特攻機でした。


総括したがるのですが、ニヒヒ
日本が軍国主義を邁進する契機となった本艦が
兵器では無く日本刀のような美術品に
見えてしまいました。
完璧なまでの破壊力でしたが、
生涯射程距離に捉えた艦影は
数度しかありませんでした。
最後は、無用の長者として
存在意義を軍から叱責されたのでしょう、
特攻として辛い道に進んだのは必然でも
無駄死になってしまいました。
一矢報いたい気持ちが無謀な作戦へと
邁進させてしまった感があります。
原爆と同じように人類の負の遺産として
後世の人々の為、学びの教訓とする事
しか無いです。

以上、出雲大社から広島の旅でした。
次回は、四国に渡って金比羅さんです。