2021年8月6日
明日は8月6日。
76年前を思う。
少し話は逸れるけど、「自分ごと」と「他人ごと」ってあると思う。
私にとって阪神淡路大震災は、「自分ごと」だった。
両親が兵庫に住んでいたことがあるから知り合いがたくさんいたし、
祖父母が当時、兵庫に住んでいた。
東日本大震災は、
地震の被害に遭った時点で、地震は「自分ごと」だけど津波は「他人ごと」だった。
でも、現地にボランティア行ってみて、津波も「自分ごと」になった。
対して、中越地震や熊本地震や他の災害は、どこか「他人ごと」のままのところがある。
それは、単純に自分と今まで接点がないから。
思ってる・思っていない、じゃなく、実感として関りがあったら「自分ごと」になるし、
関りがなければ、どこか「他人ごと」になると思う。
太平洋戦争は、祖父母から話を聞いていても、どこかずっと「他人ごと」だった。
それが、芝居を始めてその時代に生きていた人を演じる、ってなったときに
「自分ごと」になった。
それでも、大枠としての太平洋戦争の見方は変わったけれど、
場所や日時までの具体性を持った「自分ごと」とはまだ遠かった。
去年の10月。
『父と暮せば』をやらせていただいた。
行かなきゃ、と思って広島にも行った。
まだまだ想像力が足りてなくて、「他人ごと」の部分があるかもしれない。
でも、芝居を始める前、『父と暮せば』をやる前より、「自分ごと」になってる。
見方が変わったからと言って、何ができるわけでもないんだけれど、
明日という日、8月6日という日を前にして、
なんとなく、心がざわざわする。
自分に、なにができるかな。
明日じゃなくても、これから先に。