表現。 | natsuhoのブログ

表現。

今日、知り合いが出ている舞台を観てきました。
すごく久しぶりに会ったんだけど、
本当に全てがステキでした。


私はミュージカル好きだけど、お芝居も好きだし、
歌や小説や映画も好き。

どれも、「それが好き」って大きい声で言えるほど通じゃないし
何十作も観たり読んだりしてる訳ではないけれど。

その世界に、憧れもある。
…もちろん、その道で生きていこうなんぞは思ってないないけれど。

それで、
「なんでこういうのが好きなんだろうなぁ~」って電車の中で考えてた。


行きついた答えは、きっと、
“表現してる”
からだ。


私も、生きてる中で一応いろいろと思う事はある。

こういうの好きだな、ステキだと思う、
コレをいろんな人に知ってほしいな、
こういう考えを持つ人が増えたら良いな、
あの人、もっとこうしたら良いのに、
社会がもっとこうなったら良いな、
日本がもっとああなったら良いな、
世界がもっと…


だけど、それを語る術を私は持っていない。

インターネットは普及してるけど、そこで表現しきれる語彙力は持ってない。
直接会って話せる人数にも限りがある。
思いを伝えるのだって、苦手。

でも、それを
ミュージカルやお芝居や歌や小説や映画は、やってのける。

もちろん、「こう思う」っていうのを言葉で伝えた方が、
直接的で伝わりやすい時もあるかもしれない。


けど、そうやって直接的に言わないからこそ、心に刺さることってあると思う。
それが私にとっては舞台であり、小説であり、映画であり。

フィクションで、抽象的で、断片的で、時には理解困難で。
それだからこそ、自分でいろいろ考えさせられる。感動させられる。

私が「こうなったら良いな」って漠然と思ってることを、
多くの人に
感動と共に伝えられるから。

私は、舞台が好き。



こうやって思ったのは、
石田衣良さんの『約束』のあとがきを読んだから。


『約束』の中の作品のひとつは、池田小の事件を受けて弔いの気持ちを込めて書いたそう。

あんな凄惨な事件は、もう起こってほしくない。
そういう想いで小説が生まれた。


“犯罪を計画していた人が、この小説を読んで思いとどまった”
なんてオメデタイ話はさすがにないだろう。
殺人を計画している人が、この本を手に取るとは思えない。

けれど、この小説を読んでちょっとでも心が安らかになって、
その想いを胸に人と接する人が増えたら?
近くに助けを求めてる人、悲しんでいる人、怒りを抱えている人の支えになれるかもしれない。
そしたら、もしかしたら、陰ながら犯罪を防いでいるかもしれない。


そうやって考える私は、オメデタイ人間かもしれない。
ポジティブすぎるかも。
…「人生はもっと苦いぞ」って待夢磨心(タイムマシン)に乗った未来の自分に言われちゃうかも?(…コブクロ好きな人なら分かるかな?笑)

それでもやっぱり、
1人でも多くの人が
近くに居る人を1人でも多く支えられるような人になれば、
この世界も良くなっていくんじゃないかな、って思うんだ。


だから、そういうアプローチをしている人を、羨ましく思う時もある。


でも、自分は自分なりのやり方で進もう。
舞台じゃなくても、いろんなやり方があるよね。
それを探して行くのが、私の課題。