40歳になったので

 

生まれた僕よりも、産んでくれた人

 

里美が母親になって40周年の話をしてみようと思う

 

母親の人生は大変だったと思う

 

里美には腹違いの妹が2人いる
 
理由は婆ちゃん(村一番の巨乳)が爺ちゃんと離婚してから
爺ちゃんが再婚したからである
 
で、婆ちゃん(村一番の巨乳)は、生活能力が著しく乏しいというか
お嬢様として育っていたので、礼儀正しい失礼な人と言うか、世間一般と別の物差しで生きていたので
 
里美は、子供の頃婆ちゃん(村1番の巨乳)の一番下の妹(僕からしてお父さんみたいな叔母さん)に育てられたそうだ
 
多分、凄く寂しかったけど我慢をしていたんだと思う
 
で、物心ついた頃の里美は、容姿とスタイルに恵まれる
 
息子の僕が言うのも不思議な話だけど、若い頃の里美(母親譲りの巨乳)は、タレントかモデルかわからないけどマギーって人に似ている。
 
なので、悪ノリで高校を辞めて水商売の道に進む
 
沢山恋愛をして、僕のお父さんと結婚する前に
結婚するかもしれなかった韓国の人との恋愛の話を、お母さんのお友達から聞いた事がある
 
で、ある日、真吉(父親)と里美は出会う
 
この出会いが里美の人生を変える
 
母親は今までの人生で一番好きになった人と微笑みながら言っていた。
 
バブルだったからなのか?
 
プロポーズの話がカッコいい
 
真吉はアメ村の某喫茶店に里美を呼び出して、プロポーズをする
喫茶店でプロポーズはバブル期には地味な話な気がしたけど
 
里美は全部やめて子供が産まれたら喫茶店をやりたいと言ったそうだ
 
そう、その喫茶店ごと真吉はプレゼントしたそうだ
 
超バブルー!!って思った。
 
今もその喫茶店はある
 
ってか、母親が亡くなるまで場所を知らないで使っていた。
 
余談ではあるが、お店をやっている人に「僕、真吉と里美の息子です」って言ったら
顔をグチャグチャにして手を握られながら、泣かれてから行きずらくて行っていない
 
話は戻るが
 
真吉と里美は幸せそのものだったそうだ
 
里美は料理や洗濯を一生懸命になって覚えて
真吉は沢山働いた。
 
で、妊娠している里美と真吉は九州でも有名な霊能力者(徳の高い僧侶の爺さん)の所に行って
お祓いをしてもらいに行く
 
その時に「この子は大変な人生を自分の意思で歩むので道中が可哀想だ」
「見なくても良いものを見て、聞かなくても良いものを聞く、神仏じゃ救えないものにまで手を差し伸べる」
と言われたらしくて
この話は100回くらいされたのだけど、なんか今となってはわかる気がする
 
そして秀真が爆誕する
 
通称しんちゃんこと真吉より秀でた子供になるように秀真だ
 
で、幸せが大きくなっていく中で
 
僕が4歳だったか5歳の頃に、真吉が死ぬ
 
33歳だったそうだ
 
ここで里美は壊れる
 
秀真は婆ちゃん(村一番の巨乳)に預けられるも、婆ちゃんは僕を他の人に預けてしまう(笑)
 
まぁここで元々仲が良かったわけでもない里美と婆ちゃんの関係が悪い方向に拍車がかかる
 
一方その頃秀真は、このタイミングで真吉サイドの婆ちゃん(ビックマム)が
僕がどんな状況にあるかを知らないで、善意全開で僕に「母親を守れるくらい強くなりなさい」と僕に空手とテコンドーとなぜかソロバンを習わせ始める
 
で、ちょいちょい里美と会うことはあったんだけど
母親は立ち直ろうとも、母親になろうともしていたので
子供秀真は九州に行ったり、大阪にいたり
死にかけたり、暴力をバチバチにくらって骨折したり、なぜか
お父さんみたいなおばさんの家に神棚があったので祝詞を覚えたり、徳の高い僧侶の所で写経したり護摩焚きに参加したりしていた。
(この頃に幽霊を見始める)
YouTubeで言ったトイレで龍を見たのもこの頃だ

 

 

なんやかんやで
 
里美が復活するも、大阪には真吉との思い出しかないので九州に移動したんだと思う
 
この時の母親の印象は、頭の中の里美より少し太っていた。
 
で、なぜかそこにフィーチャリング婆ちゃん(村一番の巨乳)が実現する
 
多分、母親なりに家族になろうと歩み寄ったんだと思う
 
で、婆ちゃんは不安定な人なので、婆ちゃんに僕は殺されかける(笑)
 
そこで、ばあちゃん離脱でザキミヤに移動するわけだ!
 
で、母親との二人暮らし
 
引っ越した初日に「ホツマごめんね」と言われる
思うところはあったけど、僕より辛かったのは母親だ
 
今思うと、里美は愛情に飢えていたんだと思う
僕には強くなれと言う真吉サイドの願いもあった訳だから
子供なりにグッと堪えたつもりが
 
中学生の秀真は、田舎者の同級生の人間としてのレベルの低さを感じて
母親を護ために習った格闘技を全力で暴力に変えてしまう。
 
まぁ良くなってもないのに、一線を超えた言葉を平気で口にするんだよね
 
ええ、ぼてくりまわしてやりましたよ
 
で、この頃の僕は自我の塊として完成していたので、暴力を振るった後に問題になっても堂々としていたので
「反省しなさい」と大人に言われても、「何を反省する事があんねん!自分の保身の為に言う相手間違ってんなよ!」とか言える人になってました。
 
親と住むのが当たり前のやつが、ぬくぬく育ったカスが、どんだけ里美が傷ついたと思ってんねん
 
子供として、里美には僕しか味方がいないと思っていたんだと思う
 
この考え方を基軸に行動してしまう感じが、真吉に似ていると言われる
 
 
まぁ、お母さんには沢山味方がいたんですけどね
 
で、高校を退学になる日も、里美は笑ってた
 
里美は変な人なのでずっとボロボロのヴィトンの財布を使っていた。
「しんちゃんがくれたもんだからね。」
 
学校を退学すると不思議なもので、ヤンキーの友達の現場仕事に履歴書も何も書かないで入れて貰えた
自分で汗水垂らして稼いだ15万くらいだったかな?
初めてのバイト代で僕は財布を買ってあげた
黄色いヴィトンの長財布、財布がこんなに高いと知らなかったけど
安易だけど、僕なんて半分しんちゃんで出来てるんやから使うやろ?と渡したら喜んでいた。
里美はこの財布を死ぬまで使っていた。
 
免許を取得する最後の試験の日に、車を貸してくれと言って
勝手に車の免許の試験を受けに車で行こうとしているところを見つかり
 
乗せて行ってくれた
 
試験終わりに運転をさせてもらって、初めて母親を乗せてドライブをした。
 
僕は生意気なので、照れくさいけど遠回りの道を選んだ
 
車で試験を受けにいく発想も、何も言わないで遠回りしたりする感じも
 
真吉そっくりだそうだ
 
大阪に旅立つその日も、バイトに行くかのように「行ってきます」と言って出ていった。
 
その後、きっと寂しかっただろう
 
時間がかなり空いて、病室であった里美は濡れたチワワくらいに痩せていた。
 
ガリガリになった体と、デカい目で真っ直ぐに見てくる視線、何も面白くなくてもニコニコしている懐かしさ
 
少し話していると、何かが込み上げてきて我慢ができそうになくなって
「ちょっとタバコ買いに行ってくる」と言って外に出た。
 
沢山涙が出た。
 
言葉も感情もまとまらないのに「ごめんなさい」と思った。
 
そして親子の時間を過ごしてから
 
僕は大阪に戻って、また数日後に来るからねって飛行機のチケットも見せていたんだけど
 
その日を待てないで里美は死んだ
 
享年57歳
 
多分真吉が迎えにきたんだと思う
 
やっと会えたんだから、一番喜んであげないといけないのに
それが出来なかったし、40歳になった今でも、まだ出来そうにもない
 
こんな里美と真吉の息子なので
 
他の誰でもない、里美と真吉の息子である生き方に拘ってしまう。
 
超損ばっかりだし、正直しんどい事ばっかだから投げ出して自分の事ばかりやれたら
僕は時間にもお金にも困らなかったと思う
 
でも、二人の子供だから
迎えにきた日に、胸を張って話せることを沢山増やせていると思う
 
 
でも、クソっ!
今となっては33歳の年下に勝てねぇ!
 
全ヴィジュアル系好きなギタリストがhideに勝てないって言うようなもんで
 
好きだからこそ、それが良いんだけどね
 
こう言う生き方もアリだと思えるのも
投げ出さなかったのも
 
里美の教育のおかげだな
 
ってか、そもそも徳の高い僧侶が事前に言ってたんだから
何があっても今更慌てる事もないでしょう
 
だから僕は大丈夫なので
 
成仏しろよー
 
母親父親40周年記念日おめでとう!
 
息子より