去年の今頃はマジでしんどかった(笑)

 

婆ちゃんが亡くなってもうすぐ1年が過ぎる

 

婆ちゃん以外にも去年は周りの人が沢山亡くなった。

 

御霊前を何回も書いた。

 

それでも『今日も元気だぁあああああ!!今日も無敵だぁああああ!!』と言い続けていた。

 

流行病の影響で『あ、コレダメなやつだ!』って思ったり、坐骨神経痛になっても鎮痛剤をラムネみたいに飲んで普段通り過ごしりている風をしたり。

 

なんか、自分のメンタル凄いな!!と本当に感じることがある(笑)

 

だけどね、お線香をあげる時に心がギュッとなったりはする

 

まぁ、仲の悪かった母親と婆ちゃんの写真が並んでいるわけよ

 

どんだけしんどくても、どんだけ悔しい日でも

 

チーンチーン

『今日も僕は無敵だから安心して成仏してよ』

 

『お師さんから良いお酒をもらったから一緒に飲もう』

 

『僕は人間に恵まれているから大丈夫だよ』

 

親族に気を遣っている(笑)

 

 

最近だと、子供の頃に、僕がレゴで得体の知らないものを作って、婆ちゃんに見せると褒めてもらえていたので

ガンプラのゲルググを作ったので仏壇に見せに行った。

 

もちろん婆ちゃんはゲルググなんて知らないし、褒めてもくれない

 

 

それでも僕は見せたい

 

 

多分、僕はお母さんのことも婆ちゃんのことも大好きだったんだと思う

 

生きている時には照れ臭くて言えなかったことが沢山ある

 

 

なので、最近は誹謗中傷がカジュアルになっているでしょ?
 
先天的に他人をイラつかせる才能がある人も実際いるけどさ
 
なんて言うんだろう
 
社会経験が浅くて、モノを知らないからこそ出てしまう言葉にも注意がしにくい世の中なのも知っているよ
 
弱者のポジションを取って〇〇ハラスメントだ!と言えば人間性を削って、人として足りないレッテルと一瞬の中身のない優越を貰えるのも知ってる
 
僕の人生にも間違いを正す人を、悪人呼ばわりする人は出てきたし、謝ると負けみたいに捉えていて謝れない人もいたけどね
 
他人の良いところを素敵と言える方が、僕はカッコいいと思うのよ
 
人の荒を探す暇があったら、頑張っている人を応援した方が良くないかね?
 
他人の頑張りが、耐えれない人も存在してはいると思うけどね
 
自分を守る事で精一杯な大人もいるとは思うけどね
 
親切な人も沢山いる訳だから、自分が俯いていたら差し出せれている手もスルーしちゃうと思うし
 
背中を押してくれる言葉に、心が麻痺して受信できなくなっちゃうこともあると思うの
 
それは勿体無いし、失礼や無礼な人を見る目で親切な人を見るのは良くないじゃない?
 
君の人生は君が主人公なんだし、主人公で良いのよ!
 
遠慮なく楽しめる環境にしたらいいと思う
 
ただ、楽しい(自分だけ)じゃなくて、楽しい(みんなで)が良いよね
 
楽しいや面白いは伝染すると思うの
 
まぁ、僕は親族に気を使ってしまうんだけどね(笑)

 

一人だとできないことも、仲間や親切な人がいると、実は難しい事ではないかもしれないよね

 
会話もキャッチボールなはずなのに、ドッチボールだと思っている人も多いし
 
会話はコミュニケーションなはずなのに、論破が凄いことと勘違いしている人も多いけど
 
会話を敵じゃなくて、仲間を作るツールとして使っていけたら良いですよね。
 
 
少なからず僕はそう思います。
 
 
生きている人に、自分が生きているうちに『ありがとう』とか言ってみるのも良いものだと思います。
 
読んでくれた人の世界が、少しでも豊かになれたなら良いね〜
 
 
うちの親も喜ぶと思います。
 
いつもホツマをありがとうございます。
 
でわでわ