今になって僕の考え方が多方面から評価され始めている話
僕の考え方が今になって好評になってしまっているので何者でもない自分や、多少の劣等感を持っている人に実際はこうなんじゃないだろうか?って話を書いてみようと思います。努力も勉強も必ず報われるものではないです。待っていても現状が変わることは無いに等しいです。特別と言うものは何か頭一つ飛び抜けることではなくてめんどくさいから誰もやらない事をやれる事です。つまり、めんどくさい事は、周りが勝手に挫折するので、継続が力になるのもこのパターンです。逆にめんどくさい事を評価してくれるのは同じフィールドの人で、クライアントやリスナーや消費者に伝わるかといえば別の話になります。努力や頑張るではなくて没入することが良いと思います。大きな成長ではなくて、コツコツが息を長くしてくれます。そして、継続的な成功はコッソリと寄ってきます。周りの目よりも、自分はどうしたいか?を大事にするべきです。劣等感、悲壮感、孤独感、疎外感、気にする必要はないですが、感じた時に自分の行動を改める必要はあります。ここからが本題正論が全てではない世界です。正論を振りかざす時には、正義を背負う覚悟くらいはしないといけません文句もそうです。自分が出来ていないのに文句を言うのはマナー違反です。文句を言うのも資格が要ります。で、僕が言いたいのは本来は、それから逸脱しないために教養を身に付けるはずなのですがそれを無視して楽をして生きる事が流行りのようです。なので周りの言葉で落ち込んでしまうこともあります。反省をすることもあると思います。これが僕は成長だと思うんです。だって正面から喰らった上で、このままではいけない周りに迷惑をかけないように、自分をブラッシュアップする予定があるので反省も落ち込むこともするんでしょ?それはねすごく誠実なことだと思うの真面目な奴がバカを見る、そんな言葉が通るような民度の低い場所からは離れてください僕の持論でしかないのですが成功しない人は、平坦な何もない人生か、それ以下を送ります。これは安定を取るとかって意味ではないです。行動をしないけど口を出すような量産的な庶民のことを指します。この人達は生活レベルは異なりますが、ある程度の安定の上にいるので、想像力が自分の頑張った時期で止まります。何歳になっても人に喋れるエピソードが足されなくて、人によっては学生で止まる人もいます。そんな人は不運を避けることもできますが幸運も無意識に避けてしまうので一緒にいるとプラスから遠くなってしまうんじゃないでしょうか?僕はそれを不運と呼びますがそもそもそんな人には幸運は寄ってはいかないでしょう群れに染まるのは簡単です。あなたのイエスを誰かがノーと言う日もあると思います。ですが、あなたのイエスは誰かが言うノーという言葉で価値が出ます。そして、きっとなんですけどあなたが何かに没頭したり、うまくいきそうになってきたらあなたをバカにする人も出てきます。その人は、あなたをバカにする事が目的よりも大きく他人を下に見ることで自分の劣等感を埋めようとしている可哀想で暇な人なんです。まとめやる前に負けを考える馬鹿がいるか?みたいな言葉を聞いた事はないですか?僕はその通りだと思います。やる前にダメだった時の言い訳をするとか、やらない理由を並べるとか生き物としてレベルの低い事をしないで冒頭にも書きましたが、努力は全てが報われるわけではないですがそれを踏まえた上で圧倒的な努力をしてみてください無駄な努力は存在します。ですが、無駄な努力も沢山して何が無駄で何が効率がいい努力か見つけてくださいそれで道は、自分の力で切り開きく事ができます。長々とブログを書いてしまいましたが、あなたの努力や情熱に光が当たりますようにあ、僕のことも応援してや!笑僕はきっと応援しがいのある奴ですよ!長文駄文ですが、いろんなシーンが元気がなくなってきている気がします。いつまでも燻っているとね早くしないと僕が追い抜いてしまいますよだって、あなたは僕の生きている時代に生まれているんですからねとか言ってますができることなら仲間になって同じ方向を見たいものです。ホツマでした。でわでわ