こんにちは!
この時期は私たち夫婦の入籍記念日。
毎年行きつけのフレンチランチをしてきましたよ
生花が生けてあるテーブル・・・派手じゃない、さりげないおもてなしの心が好き。
って、美味しかった食事の話は良いとして、、、帰り道、運転する旦那がなんやら考え込んでいました。
私「どしたの?考えこんじゃって」
すると旦那はぽつりぽつりと言います。
旦那「・・・てかさ・・・考えてたんだけど・・・
るるちゃん(私)って、ほんと幸せだよね・・・」
話は続きます。
「好きなテニスとピアノをして、友達とランチやら遠足・神社巡り行って、仕事も週1で気分転換に楽しんでて・・・家事はばあば(同居)と分担してるから楽になったし、大きな庭と畑の趣味も存分に楽しんでる・・・なんかさ・・・改めて思うんだけど・・・本当に良いよね・・・」
しみじみ言う旦那w
・・・単刀直入に言います。
はい、幸せです。
なんなら今が人生で一番幸せです
その後、旦那に感謝の想いを伝えて、いろいろ話したのですが・・・
ここで、私の幸せ自慢の話をしたいわけではありません。
確かに、私は幸せですが、
この幸せはラッキーパンチ的に出来上がった幸せではなくて、
それこそ、人生のどん底を経験したこらこそある「幸せ」だと言うことを伝えたいんです。
「ぐぐっとさん」に障がいがあると分かった時、「一生彼の介護をしないといけないこと」に絶望しました。
しかし、そんな絶望に浸る時間もないくらいに目の前の障がい児育児に追われて、体を壊しました・・・。
(↑この表現、経験者なら多分よく分かりますよね?悩んでても、障がい児育児は待ってはくれないんです)
そんなどん底のどん底を経験したからこそ、ある日、絶望の淵に立って思いました。
このままでは私・・・
潰れる。
そして
家族総倒れだ。
心底自覚した時、とてつもない恐怖心が沸き上がってきました。
そして、思いました。
一度きりしかない人生
悲しくも楽しくも生きられるなら、、、
どうせなら、、、
楽しく生きたい。
いや、、、
楽しく
生きる。
決意した瞬間でした。
大袈裟に言わせて頂くなら、悟った瞬間でした。
これからは、自分の幸せにどん欲に生きていこう。
幸せさえも自ら切り開いていこう。
それはそれは、、、強く決心しました。
私の幸せは、延いては「ぐぐっとさん」を始め、家族の幸せだと気が付いたからです。
幸せにどん欲に。
もちろん、ただ無責任に楽しいことをやっているという意味ではありません。
そんなわけで、私は沢山のことを自ら選択しました。
ばあば(姑)との同居も、「ぐぐっとさん」との幸せのために積極的に選択しました。
(結果、大成功。家に大人が一人多くいるだけで、育児の余裕が全然違います)
価値観や義務感で選んでいた趣味を、自分の心の声に従って選びました。
(そしたら、長く続くし、何より楽しい。世界も人付き合いの幅も広がりました)
気持ちに余裕がなくなるので(障がい児育児で手一杯)、「?」と思うママ友と距離を置きました。
(大好きな友達だけが残りました、しかも深く)
大好きな庭や畑の為に、コツコツと開墾したり、DIYをして、長い時間を掛けてやってきました。一朝一夕では出来上がりません!
(庭の中が癒しの時間、子供たちと食育も楽しんでいます。コロナ期に、出掛けずとも自然を楽しんでます)
今まで条件で選んでいた仕事を、好きなことで選びました。
(偶然にも人間関係に恵まれました)
不確定な未来を、無意味に心配することを、強制ストップしました。
(体を壊して、体で覚えました)
体調や不調時には、一旦立ち止まって、生活、人間関係、心の状態を静観します。
(目に見える、もしくは見えないデトックスを意識したり、都度ライフスタイルをリプランします。大切なのは、生活全般をカスタマイズする人間力ですよね、そこは日々鍛えながら試行錯誤。)
もちろん毎日がキラキラハッピーライフとかではありません(←当たり前)
落ち込むことも、悲しい時もあります。
でも、そんな時の発散・回復方法(人・趣味・考え方・庭・自然などなど)が増え、昔よりずっと楽に楽しく生きられるようになったんだと思います。
信じられないかもしれませんが、これらは全部「ぐぐっとさん」が運んできた幸せです。
(きっかけは「ぐぐっとさん」)
「ぐぐっとさん」がいなかったら、こんなに心穏やかな私では断じてなかった。
そんなことを考えていた、11回目の入籍記念日でした。
人生って、不思議ですね。
そして旦那よ、いつもいつも本当にありがとう。
全ての幸せはあなたがいるからです。