角岡伸彦(ノンフィクションライター)
原は神奈川県に居を移していた横田に会いに行った。横田はマハ・ラバ村にいた仲間とともに脳性マヒ者の運動団体「青い芝の会」の活動に専念していた。青い芝の思想や運動スタイルには、村のリーダーである大仏の教えが少なからず影響していた。原は横田に話しかけた。
「横田さんね、自分が理屈をしゃべれるようになったり、結婚できるようになったのも、大仏さんという人に出会ってこそじゃないか。あんたはその大恩人のもとを去った。そのことにあなたたちはどういう風におとしまえをつけるの?」
半ば脅すようなかたちで、映画の被写体になることをけしかけた。問題はどのように撮るか、であった。
光明養護学校の介助職員時代、原には忘れられないシーンがあった。
障害を持つ生徒と日常的に接していて、生徒の身体がほとんど機能されることなく一生が終わってしまうのではないか、と感じることがあった。登下校、校内での移動、家での生活……すべてにおいて親や介助職員が世話をする。それは健全者に囲われた世界であるように思えた。
「おもしろいことをやってみないか」
ある日、原は高等部の車イスの男子生徒に声をかけた。原の言う「おもしろいこと」とは、一人で電車に乗ってみる、というアイデアだった。小田急線の梅ヶ丘駅で、その生徒は、通行人や駅員に一人で声をかけ、階段の昇降を手伝ってもらい、電車に乗ることに成功した——。
原が回想する。
「乗った時の光景がものすごくおもしろかったんですよ。今はどうってことないけど、当時は電車の中で車イスの障害者を見ることはほとんどない。彼が電車に乗ると、まわりの乗客が一斉に彼を見る。そうすると周辺の空気がフリーズするんですよ。それを少し離れたところから見た時にね、私はもうびっくりしましたね。空気が固まってるってことに。各駅停車の電車で、ドアが開くたびに同じ現象が起きた。新宿駅に着いて彼がホームへ移動するとフリーズした空気が移動していく。これはすごい、と思いました」
電車や駅の構内で、車イスに乗った生徒は、あたかも都市の中の“異物”であるかのように原には思えた。
「都市っていうのは結局、障害者を排除するかたちで成り立っている。排除された肉体がポツンと存在するだけで都市の秩序が破壊されるんだっていうふうに私には思えたんです」
車イスの高校生が電車に乗った光景が、映画制作を始めるにあたってよみがえってきた。
「障害者問題っていったいなんだろうって考えた時にね、まさに身体っていう価値観をめぐる問題であると。既成の価値観をいかに壊すか。そういう話を横田さんにずっとしていったわけなんです。あんたたちの身体を、あんたたちを排除した都市に放り込めばいいじゃん! その放り出した身体が、都市の中でどういうふうに壊れていくのかというのを俺のカメラで撮っていくよ……てなことを言って半年かけて横田さんを口説いたんですよ。横田さんは、おもしろそうだからやってみようとだんだん乗ってきた」
身体をめぐる価値観をいかに壊すか。そこから『さようならCP』のタイトルが浮かび上がった。別れから新しい出会いがある、という意味もあった。
準備は整いつつあった。ただ、問題が一つあった。撮影技術である。
「その時点で私は一六ミリカメラの扱い方を知らない。知り合いの東京12チャンネルのカメラマンにフィルムの詰め方から教えてもらった。その翌日、いきなり撮影を始めたんですよ」
冒頭に書いた、横田が横断歩道を膝立ちで歩くシーンは、車イスという便利な道具を敢えて使わず、素のままの身体を都市に投げ出してみる、という発想で撮影されたものだった。
撮影は丸一日かけておこなわれた。後日、現像されたフィルムを見た。が、すべて手持ちのカメラで撮ったため、画面が常に揺れ動いている。頭でっかちの観念的な映像しか撮れていないように原には思えた。
「もう一回やってみようか……」
プロデューサーの小林と相談し、撮影を続けることになった。
「最初は一日で一気に撮影をして、一〇分か二〇分のものでいいやと思ってたんですが、もうちょっと頑張って撮影しよう、もうちょっと……ということで半年もかかっちゃって、結局編集して八二分の作品になったんですよ」
(第5回につづく)
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「横田さんね、自分が理屈をしゃべれるようになったり、結婚できるようになったのも、大仏さんという人に出会ってこそじゃないか。あんたはその大恩人のもとを去った。そのことにあなたたちはどういう風におとしまえをつけるの?」
半ば脅すようなかたちで、映画の被写体になることをけしかけた。問題はどのように撮るか、であった。
光明養護学校の介助職員時代、原には忘れられないシーンがあった。
障害を持つ生徒と日常的に接していて、生徒の身体がほとんど機能されることなく一生が終わってしまうのではないか、と感じることがあった。登下校、校内での移動、家での生活……すべてにおいて親や介助職員が世話をする。それは健全者に囲われた世界であるように思えた。
「おもしろいことをやってみないか」
ある日、原は高等部の車イスの男子生徒に声をかけた。原の言う「おもしろいこと」とは、一人で電車に乗ってみる、というアイデアだった。小田急線の梅ヶ丘駅で、その生徒は、通行人や駅員に一人で声をかけ、階段の昇降を手伝ってもらい、電車に乗ることに成功した——。
原が回想する。
「乗った時の光景がものすごくおもしろかったんですよ。今はどうってことないけど、当時は電車の中で車イスの障害者を見ることはほとんどない。彼が電車に乗ると、まわりの乗客が一斉に彼を見る。そうすると周辺の空気がフリーズするんですよ。それを少し離れたところから見た時にね、私はもうびっくりしましたね。空気が固まってるってことに。各駅停車の電車で、ドアが開くたびに同じ現象が起きた。新宿駅に着いて彼がホームへ移動するとフリーズした空気が移動していく。これはすごい、と思いました」
電車や駅の構内で、車イスに乗った生徒は、あたかも都市の中の“異物”であるかのように原には思えた。
「都市っていうのは結局、障害者を排除するかたちで成り立っている。排除された肉体がポツンと存在するだけで都市の秩序が破壊されるんだっていうふうに私には思えたんです」
車イスの高校生が電車に乗った光景が、映画制作を始めるにあたってよみがえってきた。
「障害者問題っていったいなんだろうって考えた時にね、まさに身体っていう価値観をめぐる問題であると。既成の価値観をいかに壊すか。そういう話を横田さんにずっとしていったわけなんです。あんたたちの身体を、あんたたちを排除した都市に放り込めばいいじゃん! その放り出した身体が、都市の中でどういうふうに壊れていくのかというのを俺のカメラで撮っていくよ……てなことを言って半年かけて横田さんを口説いたんですよ。横田さんは、おもしろそうだからやってみようとだんだん乗ってきた」
身体をめぐる価値観をいかに壊すか。そこから『さようならCP』のタイトルが浮かび上がった。別れから新しい出会いがある、という意味もあった。
準備は整いつつあった。ただ、問題が一つあった。撮影技術である。
「その時点で私は一六ミリカメラの扱い方を知らない。知り合いの東京12チャンネルのカメラマンにフィルムの詰め方から教えてもらった。その翌日、いきなり撮影を始めたんですよ」
冒頭に書いた、横田が横断歩道を膝立ちで歩くシーンは、車イスという便利な道具を敢えて使わず、素のままの身体を都市に投げ出してみる、という発想で撮影されたものだった。
撮影は丸一日かけておこなわれた。後日、現像されたフィルムを見た。が、すべて手持ちのカメラで撮ったため、画面が常に揺れ動いている。頭でっかちの観念的な映像しか撮れていないように原には思えた。
「もう一回やってみようか……」
プロデューサーの小林と相談し、撮影を続けることになった。
「最初は一日で一気に撮影をして、一〇分か二〇分のものでいいやと思ってたんですが、もうちょっと頑張って撮影しよう、もうちょっと……ということで半年もかかっちゃって、結局編集して八二分の作品になったんですよ」
(第5回につづく)
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