久し振りに’04年1月にマガジンハウスが発行した「クロワッサン、特別編集、『着物の時間』」をめくってみた。その中には、作家幸田文さんの娘さん、青木 玉さんや孫の青木 奈緒さんの着物姿がある。
私は、中学生のとき国語の教科書で「あとみよそわか」という幸田文さんの文章に出会った。主人が、「日本文学全集」なるものを学生時代に買い求めていたので、その中に幸田文さんのがあって「あとみよそわか」「おとうと」「黒い裾」など読ませてもらっていた。
文さんは、時の文豪幸田露伴から家事の事やじゃんじゃら髪にクリップの掛け方まで父に習ったと書いておられる。廊下を拭けば、「葦手模様と洒落るんじゃないよ」と雑巾の搾り方もいい加減で、かつ撫でまくったのだろう、父親から洒落た小言をもらっている様も書いてある。
六人弟妹の長女に生まれ、父の雇い主の都合で電気、ガス、水道なしの生活を5年ほどしたことがあり、ランプのほや磨きはわたしの仕事だった。
米を研ぎ、竈でご飯を炊くことや、雑巾をぎっちりしぼること、休みの時は弟妹のおむつから盥で洗った。勿論手押しのポンプ式井戸水を使って。
赤子をおぶうのは4歳のときからやっている。このブログを読まれた方は信じられないだろうが、私だってそのときの年齢に思い至ったときにはにわかには信じられなかった。
おぶっていたことは記憶がある。小走りに駆けて転び、右腕を折ったことがあり、4番目の弟は背中で引きつけたという忘れがたい記憶も。
40近くになって娘たちを見ていた時、思い出してふと気づいたのである。
負ぶっていた妹の月齢、年の差などで、どう考えても5歳手前の4歳だという結論に至った。
5歳の初めだったら何なの?という事なのだけど。妹娘が丁度そのくらいの年で、背中に赤んぼが居るのをイメージして始めて、そのときの自分を客観的に知ることが出来た。
そういう生い立ちだから、幸田文さんの「あとみよそわか」は楽しくてしょうがない。
着物に戻れば、玉さんや奈緒さんは思いのほか背丈の大きい方のようである。
母(文さん)の着物は、営業用です、と玉さんは仰っている。文さんの気性で着た着物は、自分は緩いので着ると肩が凝ると。
小紋の着物の裏に色違いの同じ文様があり、着付け師がそのことに驚くと、小紋のうるさい方のところへ行くとたいがいそうなっていますよと、こともなげに答えておられる。
そういう時代を知っておられ、かつそういう人々を知っておられる事に新鮮な驚きを感じるのである。私も着物が好きだ。週一位、出先に着物姿で出掛ける。大正生まれの母、昭和初期生まれの叔母など、ときのご婦人たちは正月や入学卒業、授業参観のときなど着物を着たものだ。私はそういう時代を見て育ち、嫁いだ相手が曹洞宗の寺の次男という事もあって、毎年の涅槃会には今は亡き姑さんも着物姿で、私も着物姿でお手伝いをしたので着るチャンスにも恵まれた。今日はこの位で。また着物と私の事を書かせていただこう。