盛者必衰なのか | ラダマーシ

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現在カタールで行われているサッカーU23アジアカップで韓国の敗退が決定した。

アジアカップは4年に一度行われるアジア各国代表チームの大会として有名だが、U23は23歳以下カテゴリーの選手が出場する事ができる2年に一度開催される大会。近年国際大会のレギュレーションが変わり、同大会はオリンピック開催年は本大会出場のアジア予選を兼ねる事となっている。

韓国はこれまでソウル開催時から連続9大会オリンピックへ出場しており、またオリンピックより上位カテゴリーに位置するワールドカップでの結果も毎回好調でアジアの強豪と認識されている。その韓国の今回の敗退、オリンピック不出場はアジアのサッカー界とスポーツ界において非常に大きな議論となっていくと思われる。

同国を打ち負かしたインドネシアは、これまでそれほど大きな注目を浴びることなく、しかし着実に成長を遂げており、 この大一番で果たした偉業はことの他アジアのサッカー上位国の一層の警戒を強める機会になるだろう。

また、インドネシアをはじめ、タイ、ベトナム、カンボジアなどの東南アジア各国がおしなべて存在感を高めつつあることを、今更ながら実感しているサッカーファンは多くいるのではないだろうか。今年初め、A代表と言われる各国最上位カテゴリーの代表チームが出場するアジアカップが行われたが、そこでもベトナムやインドネシアなど東南アジア勢は明らかな成長を見せていた。つまり、育成年代からA代表まで一貫した強化が図られており、全体的なサッカーの実力が向上してきていると見る事が出来る。

 

新興国の発展と共にこれまでの日本や韓国などの強豪国は今後この勢いに埋もれていってしまうのか。

スポーツ発展の実現可能性としてしばしば取り上げられる指標が人口だ。人口はそのまま経済力を表しており、したがって人口の多い国はスポーツで成功する素地がある、と言われるものだがこれはいささか雑である。大枠で見れば当てはまるが、その国家の政情や生活水準に依存する。多くの予算をスポーツの強化という人々の生活と直接的に無関係のものに費やせるかは、生活に困らないだけの豊かさがあるという前提が無い限り人々の同意も得られず長期的な強化は難しい。またその国において既存スポーツより注目を集めない事には有望な人材も確保できない。

例えば中国はサッカーの育成に大量の予算を投じまた、国内プロリーグを活発化させてきてはいるが、サッカーが国民的なスポーツになったとは言えず、また代表チームは結果を得る事ができていない。徐々にアジアにおける存在感は低下しており、国家としてのサッカー強化、またプロリーグ全体の予算についても大幅に減少させている。

大規模人口はそのまま選手の才能の豊富さに直結するが、それらを探し出し管理育成するには、人口の多さは高いコストとなる。したがって、スポーツの強化には経済力が必要であるが、それと共に効率的な育成の仕組みづくりを推進できる社会全体、そして当該スポーツ界自体の高い生産性が不可欠となる。人口の多さは必須ではない。

 

日本のサッカー界は独特な発展をしてきており、特に資金確保に至るプロセスと仕掛けが複雑かつ巧妙だった。

例えば、日本は90年代まで実業団チームの全国リーグ、その下に大学、高等学校、中学校とすそ野が形成されていたものの、アマチュアスポーツであるが故に資金獲得力に乏しく、各企業がスポーツ支援や従業員の帰属意識向上の為、いくばくでもない広告効果を見返りとして活動費を捻出していた。一方で代表チームもアジアの第二第三勢力を抜け出せずにおり、サッカー自体の社会的な認知は非常に低かった。

転機は日本開催の2002年のワールドカップ招致だった。当時はワールドカップ出場国のグループリーグ敗退は前例がなかった為、誘致活動と並行して代表チームの強化が計画された。

日本サッカー協会は2002年の開催を仮定し、逆算してその年に代表を牽引しているだろう世代を軸に、全国の有望な少年サッカー選手達を定期的に市町村や県、国単位で招集し、トレーニングと国際大会の経験、また有望選手のセレクションを試みる綿密な計画が実行されはじめた。並行して、その選手達の受け皿となるべくプロリーグのJリーグを創設、サッカー自体への注目を集めるだけでなく、サッカー界全体で資金を獲得するビジネスモデル構築を図った。

日本開催ではなく日韓共催ではあったものの、結果的に、ワールドカップ招致、育成年代強化、プロサッカーリーグ創設という両輪ならぬ三輪が効果的に相互作用を発揮し、現在の代表チームの確固たる地位を築くに至った。

これらはサッカー関係者だけで達成できる範疇を超えている。サッカー界にリーダーシップが求められるのは当然だが、さらには政財界が一体となり多くのステークホルダーを関与させ、それぞれに魅力的な利益をもたらさない限り達成不可能であるからだ。

古くからサッカーが文化として存在するヨーロッパや南米であれば既存のシステムをプロ化させれば比較的容易に達成可能なのかもしれない。一方で野球が一番の人気スポーツであった日本においては、経済成長や高い教育水準、多文化への寛容性など、国としての一定の成熟度合い、サッカー界における優れた人材、また政財界との関係性を構築できたからこそ推進できたと言える。

 

日本代表チーム強化の背景と比較して、東南アジア各国が同様の仕組みや構想を取り入れているかは不明ではあるものの、育成年代からプロリーグ、代表チーム強化まで成功しつつある過程を見るに、一貫性のあるサッカー界の構築と資金獲得の好循環が生まれつつあると考えられる。

これまで先進国の日本だからこそ、代表強化に成功し欧州各国に割入る事が出来たとも言われてきた。すでに海外各国に文化として根付いているスポーツや芸術について、当初の大きなギャップを分析し成長計画を立て、彼らに並ぶほどのレベルにまで再現可能としてしまう日本人の賢さや底力、ある種の執念深さはそれはそれで評価に値し、誇れるものなのではないかとも感じる。

しかし、東南アジア各国の躍進は経済においてもスポーツにおいてもそれらの勢いは決して一過性のものではなく、着実に社会が成熟していきている現れなのであれば、日本人は社会、経済、文化、政治、さまざまな面で一層の努力と新たな試みを続けなければ、世界の競争に取り残されてしまうのではないか、という危機感がよぎった。

例えばサッカーにおいては、これまで日韓と中東各国が存在感を発揮していたが、日本は後発国からリーダー的ポジションを開拓してきた経験を基に、第二第三の同様のチームを創出する支援を通じたアジア各国と連携を深めることで、アジア全体を世界の新たな勢力として盛り上げていく事が可能なのかもしれないし、またそういった役割が求められていくだろう。