ほてい将棋クラブ(日本将棋連盟 尾張北支部)

ほてい将棋クラブ(日本将棋連盟 尾張北支部)

ほてい将棋クラブは
愛知県江南市で活動する将棋クラブです
日本将棋連盟尾張北支部としても活動しています
支部会員101名(女性12、子ども60 2026年5月現在)
日本将棋連盟公認 棋道指導員1名、将棋指導員7名、将棋指導員補佐1名在籍

 土田(どた)さんは、私のことをいつも「せんせい」と呼んだ。年齢は彼の方が二十二も上なのに、出会った当初からずっとその呼び方を変えなかった。
 五年前、私が将棋の支部を立ち上げた頃からの付き合いである。教室を開けば、彼はいつも子どもたちの相手を熱心に引き受けてくれた。「あの子は強くなったなぁ」と、自分のことのように目を細めて嬉しそうに語る人だった。勝ち負けよりも、子どもが将棋を好きになっていくその過程そのものを、ただ愛おしそうに見つめている。土田さんは、そういう人だった。
 彼には、林くんという自慢の教え子がいた。教え子、とは言っても、林くんはまたたく間にメキメキと頭角を現し、今ではプロ棋士の養成機関である「奨励会」の会員になってしまっている。当然、二人の実力差は開いていった。土田さんから見た対戦成績は、一勝十三敗。ほとんど勝てていない。それなのに土田さんは、そのわずか「一勝」を、まるで宝物のようにつまみ上げては、本当に嬉しそうに話すのだった。「いやぁ、林くんとは一勝十三敗なんだ」大きく負け越していることを言い表しながら、一勝をあげていることもきちんと自慢する。彼はただ、かつて盤を挟んで教えていた小さかった少年が、自分を遥かに追い抜いて強くなったこと、そしてその少年とまだ繋がっていられることが、たまらなく嬉しかったのだろう。
 そんな彼の、どこか憎めない大らかな人柄を思い出すとき、いつも頭に浮かぶ光景がある。 一度、仲間たち数人で小さな喫茶店に入ったときのことだ。そこは、飲み物を頼むとサービスで小さなケーキが付いてくる店だった。最初に、私ともう一人の席へケーキが運ばれてきた。私は年長である土田さんへの敬意を込めて、「どうぞ」とその皿を差し出した。「お先にどうぞ」という意味だった。「え、いいの?」土田さんはぱっと顔を輝かせると、あっという間にそのケーキを平らげてしまった。しばらくして、残りの席の分のケーキが運ばれてきた。店員さんは、すでに私の前に皿を出した記憶があったのだろう。私の前を通り過ぎ、再び土田さんの前に新しいケーキの皿を置いた。私は当然、「さっきはありがとう」と、その皿がこちらに返ってくるものだと思っていた。ところが彼は、何の疑いも持たずに二つ目のケーキにフォークを突き立て、もぐもぐと食べ始めたのである。私の「どうぞ」は、彼の頭の中で「私の分もどうぞ」に翻訳されていたらしかった。私も甘いものには目がない。 だから少なからず惜しい気持ちもあった。けれど、あまりにも自然に、あまりにも嬉しそうにケーキを頬張る土田さんの姿を見て、なんだかおかしさが込み上げてきて、結局何も言えなくなってしまった。私はコーヒーをすすりながら、ただ笑って見ていた。
 そんな愛すべき食いしん坊の土田さんに、大腸がんが見つかったのは、二年ほど前のことだ。すぐに手術を受け、人工肛門になったが、病巣は取り切れたと聞いて胸をなでおろした。しかし、平穏は長くは続かなかった。やがて、他臓器への転移が見つかる。
「せんせい、いやんなっちゃったよ。転移してた」
私にそう告げた土田さんは、少し困ったような顔をしたけれど、その口調はどこか他人事のように軽かった。その後、腎臓の機能も落ち、週に何度も通う透析生活が始まった。隔週土曜日に開かれる「ほてい将棋クラブ」は透析の日と重なり、彼はクラブに姿を見せられなくなった。
 去年の秋、すっかり肌寒くなった頃、彼が突然クラブの会場に現れた。すでにその日の予定は終了し、片付けもあらかた終わった時間帯だった。驚いて
「どうしたんですか」
と尋ねると、彼は子供のような笑みを浮かべて
「駐車場に加太せんせいの車が見えたから、まだいるなと思って寄ってみた」
と言った。何か話したそうな気配を感じ、私は片付けを終え、会員たちと終了の挨拶をした後、近くの喫茶店へ彼を誘った。二人で向かい合ってランチを食べ、一息ついたときだった。土田さんはおもむろに、いつもの軽いトーンで言った。
「せんせい、ぼくね、余命宣告を受けちゃったよ」
あまりにも唐突で、あまりにも明るい声だった。私の脳は、その言葉の意味を正しく処理することを拒絶した。
「余命宣告って、土田さん。それ、“あと三十年は生きられますよ”とか、そういう性質のやつじゃないんですか」
私は、引きつりそうな顔を冗談で覆い隠すのが精いっぱいだった。
「いや、三ヶ月だって」
土田さんは相変わらず、どこか遠くの出来事を話すような口調で笑っていた。返す言葉を失った私は、重苦しい沈黙から逃れるように、ただ一つの話題にすがり付いた。
「最近、将棋は指していますか」
「いや、全然指してないなぁ」
「じゃあ、今度指しましょう。日曜日なら、私が土田さんのご自宅へ伺える日もあると思うので」
「ぜひぜひ、来てよ。いつでも待ってるから」
そう言って、その日は別れた。ランチの皿をきれいに平らげた彼は、本当に病人のようには見えなかった。ただ、
「透析をしているから生野菜は食べられないんだ」
と、皿の隅のサラダを寂しそうに残していたことだけが、かすかな違和感として残った。
 冬が訪れ、そして春の気配が近づいてきても、私は約束を果たせずにいた。 平日の仕事、土日の将棋の普及活動や大会運営。絶え間なく流れる日常の忙しさにかまけ、私はどこかで「まだ大丈夫だろう」と高を括っていたのかもしれない。三月のある土曜日、私はこの日、こども大会の運営スタッフとして働き、終了後に喫茶店で一息ついていた。このあとは県連の会議に出なければならない。その私のスマホに土田さんから突然の電話が入った。 
「せんせい、じつはね、昨日退院したんだけど、一ヶ月くらい入院してたんだ」
スマホから聞こえる彼の体調は、坂道を転がり落ちるように悪化しているようだった。私は、背筋が凍るような焦りを覚えた。医者が告げたという「三ヶ月」の猶予は、とっくに過ぎている。残された時間は、私が甘く見積もっていたよりも、遥かに短いのではないか。
 それでも私がようやく土田さんの自宅の門をくぐったのは四月に入ってからだった。彼を励まそうとか、そんな大それた同情の気持ちではなく、ただ、彼と将棋が指したかった。将棋盤を挟むことこそが、土田さんと私の間で、最も混じり気のない、自然な会話の手段だったからだ。けれどなかなか時間が取れない、ジレンマのうちに一か月が過ぎていた。
 午前十時に伺い、「一局指したらさっと帰ろう」と心に決めていた。お昼前にはお暇すれば、長居して病人の身体に負担をかけることもないだろう──。そう自分を納得させていた。しかしそれは、彼の衰えゆく現実を直視したくないという、私の身勝手な「配慮」という名の言い訳に過ぎなかったのかもしれない。玄関に現れた土田さんは、確かに以前より一回り小さく、やつれているように見えた。
 だが、盤を挟んで対峙した瞬間、部屋の空気は一変した。さっと切り上げるつもりだったその一局は、結果として三時間にも及ぶ大熱戦となった。
 序盤、私が不用意な軽いミスを犯し、土田さん優勢で序盤は進んだ。彼は一手一手をじっくりと考えながら指した。私は出されたおまんじゅうをいただきながら彼の指し手を待った。最初に出されたふたつのおまんじゅうを私はあっという間に口に放り込んでしまったが、土田さんはほんの一口かじっただけで、あとは盤を睨みつけたままだった。その時の私は、その光景の意味を深く考えもしなかった。ただ、「食欲がないのだろう」と、都合よく解釈して通り過ぎていた。
 中盤に差し掛かるところで、今度は土田さんに緩手が出る。そこからは、私が少しずつ形勢を押し戻していく展開となった。土田さんは「うーん」と時折低く唸りながら、深く、深く考え込んでいた。そして「ふむ」と小さく頷くと、震える指先でゆっくりと駒を運ぶ。彼の指先は、駒を握っているときだけ、確かな生命の灯を宿しているように見えた。時計の針はあっという間に正午を回った。
 見かねた奥さまが気を使ってくださり、途中で私たちにおにぎりを運んできてくれた。私は恐縮しながらいただいたが、土田さんはそれにもほとんど手をつけようとはしなかった。彼はただひたすらに考え、考え、静かに一手、一手を紡いでいく。張り詰めた静寂の中、パチリ、パチリと、乾いた駒音だけが室内に響いていた。私は対局の途中から、胸が締め付けられるような感覚に襲われていた。この時間を、この空間の匂いを、永遠に記憶に焼き付けておきたい。勝ち負けなんてどうでもよかった。目の前で命を削るようにして盤に向かう彼との、この濃密な時間を一秒でも失いたくなかった。
 午後一時を過ぎた頃、土田さんは小さく息を吐き、「まけました」と静かに頭を下げた。 その後の感想戦では、中盤のミスを「この香打ちかー!」としきりに悔しがってみせたけれど、彼の表情はどこか晴れやかで、とても満足そうだった。将棋盤から顔を上げた彼の顔色には、血色が戻っているようにさえ感じられた。帰り際、私は玄関先で彼に言った。「また指しましょう。五月四日に、また来ます」「うん、待ってるよ」五月四日は二週間後。すぐにやってくる。しかしそれが、彼と交わした最後の言葉になった。土田さんは、五月二日に亡くなった。私との約束の日の、わずか二日前だった。
 あの日、彼の部屋で向かい合った盤上の記憶をなぞってみたとき、ふと、あの時自分で平らげてしまった二つのおまんじゅうの光景が、脳裏に蘇ってくる。──あぁ、逆だったのだ、と気づく。かつて喫茶店で、私の「どうぞ」を「自分の分も」と勘違いして、嬉しそうに二つのケーキを平らげた、あの愛すべき食いしん坊の土田さん。あの日、彼の自宅で、私は出されたおまんじゅうを二つとも食べ、彼は一口しか口にできなかった。彼はもう、大好きな甘いものを一つも食べられないほど、その身体に限界を迎えていたのだ。 いま振り返れば、彼はあの三時間、命を削るように私と対話してくれていたのだと思う。 
 本当は、もう一局、指したかった。まだまだ、彼と盤を挟んでいたい。その後悔と未練は、おそらくこれから先も、私の胸の奥で消えることはないだろう。けれど、最後に土田さんと交わしたものが、励ましの言葉や病気の苦労話でもなく、ただの愚直な一局の将棋であったことを私は少し救いに感じている。彼が残していったあの時間は、いまも私の心に、消えない確かな対話として生き続けている。